バプテスマ(洗礼)を受ける必要性は、クリスチャンとして重要です。イエス様への信仰を表し、のちの神の国と教会メンバーになるために重要です。バプテスマ(洗礼)は霊的な死と蘇りを象徴し、全身を水の中に沈めることで罪のゆるしと聖霊の内在を得ます。イエス様ご自身もバプテスマ(洗礼)を受けられ、その必要性を示されました。
バプテスマ(洗礼)を受ける必要性
- 私の救いのため
- 天国の喜びのため
- イエス様への信仰を表すため
バプテスマ(洗礼)は何を意味するのか
- 葬式と結婚式
- 神の国と教会メンバーになる
- 神様に対する正しさ
聖書の教えるバプテスマ(洗礼)の方法
- 霊的な死と蘇りのために、水の中に沈めること
- 全身を水の中に沈めること
信じてバプテスマ(洗礼)を受けた人への約束
- 罪のゆるし
- 聖霊の内在
- 神の子と命名
イエス様、バプテスマ(洗礼)を受ける
そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
新約聖書 マタイによる福音書 3:13-17
【想い】バプテスマ(洗礼)を受ける前の私
私は聖書研究をしていく中で、「べつに水の中に入らなくても、信仰は同じものでしょ」と思っていました。ですから、バプテスマ(洗礼)については必要性を感じていませんでした。ちなみに、聖書には「それをせよ」のようなハッキリとしたことは書かれていません。
しかし、イエス様の行動には如実に現れています。イエス様ご自身が、バプテスマ(洗礼)を受けられたからです。私はそれを知った時から、他の誰が何と言おうと、絶対に受けたいと思っておりました。そして、2023年11月にバプテスマ(洗礼)を受けました。