【終末が近い罪の世界】汚れた心の衝動と、偽りの哲学

    現代は、ノアの洪水が起きた頃の時代と、何ら変わりないと私は思っています。技術面では、今や先人の生み出した物の積み重ねで豊かになりましたが。しかし、霊的にはいつまでも欠乏しています。それどころか、落ちていくばかりです。今や、神様を知る人は少なく、信仰をもって生きている人は恐ろしいほどに少ないでしょう。これは、聖書でもすでに預言されており、終末を指しています。

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    現代は、終末時代

    現代は、罪の頂点に立っているかのような暗黒時代です。そして、「そんな悲観することないよ」と言われる人が大多数でしょう。大前提、これは陰謀論ではありません。私はあくまで聖書を学んできたクリスチャンとしてお話します。

    みんな神様を無視している

    この世界を造ったのは、一体誰でしょうか。私たち人間を造り出したのは誰でしょうか。どうして命は生まれ、科学ではつくれないのでしょうか。人はなぜ、一人として同じ人がおらず、個性があるのでしょうか。・・・すべては、創造主なる神様がいるからです。それを知っている人は、どれだけいるでしょうか。

    「私の努力」という高慢さ

    「神様なんていないよ」と冗談のように笑う人がいます。自分に与えられた能力や容姿、地位、環境、あらゆるものに対して、「これは私の力なのだ」と利己的で傲慢、高ぶる人がいます。確かに、努力は存在しますし、素晴らしいです。しかし、誇るものではありません。

    今だけ金だけ自分だけ

    また、自分の心を満たそうと、人をけちらしてでも上に立とうとする人がいます。欲のままに不品行を働く人がいます。今だけ金だけ自分だけ、このような人がたくさんいます。クリスチャンとして、このような風潮で広がる現代に、私は悲しみを感じずにはいられません。神様が造られた美しい世界と人が、どんどんと蝕まれていく汚れが嫌で仕方がありません。

    罪の世界で疲れ果てていく私たち

    このような状態がまかり通っている現代を、罪の世界といわず何なのでしょうか。死にたくなるのもわからなくありません。生きる力が消えてしまいそうになる人が多いのも、罪の世界による影響です。ほとんどの人は、癒えることのない重荷を背負っています。

    いずれも、自分の中心に神様がいないからです。ですから、常に未来に不安を感じがちです。そして、他人よりも高くありたいと願い、常に何かを追い求めて完全に疲れていくのです。

    それでも美しい世界

    大前提、罪まみれな世界であれど、生きた神様は昼も夜も休むことなく、私たちのために働いておられます。ですから私たちは生きていられますし、この世界にも美しいものはたくさんあります。視点を変えればいつだって、美しい植物があり、日々を頑張って生きている素直な人たちも多いです。だからこそ、クリスチャンの私としては、罪な世界であっても命を諦めたくはありません。

    歴史を辿ると見えてくる世界

    そもそもが、罪まみれな世界というのは、自分のこれまでの生き方のせいではありませんので、歴史は知るべきです。よく、「歴史は勝者によって作られる」だなんて言われますが、まったくもってその通りです。しかし、聖書は神様の霊感によって書かれているため、勝者の視点はありません。そこから見ていくと、現代に至るまでの人類の歴史が見えてきます。

    アダムとエバから現代まで、罪の連鎖

    もはや、生まれた時からこの性質を代々受け継いでいることは、頭どころか心から理解できます。それが聖書。読まずして、人の歴史は何も語れません。行動による罪ではなく、人間は等しく皆持ち合わせているのです。アダムとエバの子孫、つまり、人類史上始まってからずっと続くすべての人間です。

    罪の代償は死、終わりがくる

    私たち人間にも、終わりがきます。この地球が終わりを迎える時です。聖書では預言として警告されています。かつて、ノアの洪水の時代には、実際に大洪水が起きるまで、地上では罪にまみれていました。アダムとエバの息子・カインの子孫が繁栄し、あらゆる欲望で罪の種が広がっていました。

    神様と道と、罪の道

    そんな時代、続く子孫の中でもエノクという人物だけは、神様への信仰を忠実に守っていました。彼は神様から引き上げられ(昇天)、死を体験することなく天に迎えられました。そのような人もいた一方、時代は進むにつれて、罪の生き方をする人が増えていきました。

    そんな罪に溢れたノアの世代の頃、神様による大洪水の一掃が起きたのでした。しかし、ノアと家族の8人だけは、神様の憐れみと助けによって箱舟によって守られました。人間と、つがいの生き物たちだけが生き残り、他は神様の怒りによって一掃されました。

    歴史は繰り返される

    このようなことが、もう一度起こります。それが、聖書の最後の預言です。ちなみに、聖書にはおびただしい数の預言がありますが、すべて成就されています。それこそ、誰の子孫が、どのような時にと、正確に神様の計画が組まれています。ですから、この世界が終わるのは本当のことなのです。

    終末はまもなく、自分はどちらを選ぶのか

    ノアの時代にも勝るかのような現代は、まもなく終末が訪れてもおかしくはありません。黙示録にそれは描かれております。そいて、私たちの世代では、洪水ではなく、火で一掃されると預言されています。しかし、生きる道は私たちが選べます。滅ぶのか、神様と共に生きるのか。

    救いが用意されています

    ここに救いがあります。神様を誠に信仰する者は、火による死を体験することなく救われます。かつてのエノクのように、先に天に引き上げられる人もいるからです。また、ノアの箱舟のように、神様の思いもよらぬ方法で守られるでしょう。

    どんな方法なのかは、もはや私には知る由もありません。しかし、神様は、ご自身を信じる者を見捨てられるような方ではありません。だから信じることができるのです。これが、神様を信じるクリスチャンの希望の一つです。

    現代の姿と警告

    洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。

    新約聖書 マタイによる福音書‬ ‭24‬:‭38‬-‭39

    日々、神様から離れぬよう、信仰をもちながら一日一日を歩んでいきたいと思います。そして、私一人が救われたらそれでいい、という精神ではなく、私の大切な人や、ご縁ある人、また、まだ会ったことのない人にも、神様を知る機会があるようにと、願わずにはいられません。神様もまた、そう思っておられます。

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