【愛が必要です】人はパンだけで生きるものではない

    人は何で生き、何によって幸せを感じていくのでしょう。ここには、二段階の過程があります。肉体として生きる自分と、さらに自分の核となる霊的な部分の自分です。それぞれ栄養は別であり、中でも必要なのは霊的な部分です。先に答えをいいますと、愛です。これは他者から与えられるものとは異なります。もっとすごいものであり、これ以上のものはありません。それが、神様の愛です。

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    肉体に必要な栄養を学んできた私

    筆者の私は栄養学を大学で学んできました。この栄養素を取れば、こういった作用がある、といったことを科学的な根拠を元に学んできました。私はこういった学問に、初めこそ「なるほど!」と感心していましたが、どこかのタイミングで心に響かなくなりました。結局、私は栄養士として働くことはなく、別の道を進みました。

    科学的根拠を重要視される現代

    こんにちでは、このような科学的根拠が重要視されています。有名なところでいえば、セロトニン。幸せホルモンだなんて言われている脳内物質です。幸せになりたいから、セトロニンを意識していこうという世の風潮なのだと思います。

    ですから、セロトニンを増やすための行動(運動・睡眠・食事)が推奨されていたり、中には、セロトニンが増えると謳うサプリメントが販売されるなど、もう何でもありな世界になっています。

    栄養をとることで、万事解決?

    確かに、何かしたら意識して行動すれば、それなりの結果は生まれるでしょう。栄養学的に言えば、毎日バランスの良い食事を摂っていれば健康的な肉体になれるというように。しかし、現代を見れば、絶望です。いくら栄養学が広がろうと、不健康な人ばかり。病気もどんどん増えます。いくらセロトニンを意識していても、鬱になる人はいます。みんな、何かしら思い煩い、心を重たくされている人ばかりです。

    私たちには神様が必要です。

    ・・・どうしたら、幸せになるのでしょうか? 科学的な根拠を以ってしても、何かが足りないのです。私はそれに対する出口であり、真実を30歳の時に見つけました。それが、イエス・キリストです。神様の愛が必要なのです。

    人はパンだけで生きるものではない

    イエスはお答えになった。 「『人はパンだけで生きるものではない。 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』 と書いてある。」

    新約聖書 マタイによる福音書 4:4

    人には食事が必要です。栄養が必要です。しかし、それだけでは生きていけません。聖書では、上記のように、神様の御言葉が必要(注・意訳)だと書かれています。よくわからない人も、きっと多いかと思います。神様の御言葉とは、聖書を正しく読んでいくと得られる愛そのもののことです。経験上、私はそう感じています。

    実験|ねずみの親子

    ある科学者の話があります。母ねずみ・子ねずみ2匹の実験です。母は子をよく舐めていました。科学者はそれを見て、最初こそ単なる毛繕いくらいに思っていました。子ねずみ達を母親から引き離して飼育すると、母から舐めてもらっていたねずみの方は、すくすく成長していきました。一方で、意図的に隔離していた子の方は、成長が抑制されていました。舐めるといった毛繕いには、同時に愛の行動でもあったのです。

    実験|パブロフの犬

    教科書でも出てくる有名な実験「パブロフの犬」でも、愛の必要性を感じさせられます。この実験は、条件反射を説明しておりますが、もう一つ気づくべき点があります。流れを追って、説明していきましょう。

    「パブロフの犬」の実験
    STEP
    博士はベルを鳴らしました。

    犬からしてみれば、よくわからない行動に見えたでしょう。。

    STEP
    一週間、ベルを鳴らしたあとに、犬に少しだけエサを与え、抱きしめたり撫でたりしました。

    犬は、ベルの音は自分をかまってくれるという合図だと理解したでしょう。

    STEP
    それから一日後、博士はベルを鳴らしたが、エサを与えず、抱くことも撫でることもしませんでした。

    犬は、反射的に唾液を出しました。かまってもらえると、体が反応していたからです。

    STEP
    二日後、昨日と同じことをしました。

    犬は唾液を出しましたが、量が減っていました。

    STEP
    三日後、また同じことをしました。

    犬の反応は鈍くなり、唾液は少量でした。

    STEP
    それ以降も同じことをしました。

    ついに犬は、ウーっと唸って威嚇しました。

    犬の立場からしてみれば、「裏切り」のような感覚すらあったかと思います。愛を注いでくれた存在が、無意味なことで試し、無関心なのです。ここに愛はありません。犬は、博士に対して日毎に信頼関係を喪失していったことでしょう。しまいには、敵のように威嚇までしたのですから。もはや、最初の頃の愛はありませんでした。

    生きていくためには、食事は必要です。それがもらえないことへの不満やストレスは、もちろんあるでしょう。しかし、それ以上に愛です。この犬は、博士から撫でたり触ってもらえたことに愛を感じていたのだと思います。

    愛なくして、喜びはない

    まさに、聖書に書かれているとおりです。私たちは食事や環境だけで生きているのではありません。愛が必要なのです。ちなみに、愛とは神様そのものです。クリスチャンとして深く学んでいくとそれはわかるのですが(聖書に書かれています)、こんにち言われるような愛とはまた違います。簡潔に説明できるあっさりしたものではありませんから。ともかく、神様からの愛なしに、人はいつまでも空虚なままです。

    科学的根拠は大したことがない

    肉体としては、食事をしていくことで普通に生きてはいけるでしょう。しかし、私たちの霊的な部分は常にお腹を空かせたままです。ここには、栄養学だとか脳科学だとか、人が導き出した科学的根拠は何一つ意味がありません。神様のみが与えることのできる、愛の奥義です。

    生き物はすべて、愛で真に生かされていく

    ですから、私たちには愛が必要です。神様の愛が必要です。心の奥が空虚だと、自覚している方にこそ、聖書は必要です。もちろん、人は誰しもがそうです。自分でそれを自覚している方は、幸いでしょう。なぜなら、神様の愛が必要なことを理解できるのですから。ここまでお読みくださりありがとうございます。ぜひ、聖書を読んでみてくださいね。神様との個人的な関わりで、あなたに愛が注がれますように。

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