【自立してからが人生】麦は泣き 麦は咲き

    私は今日、素晴らしい一曲に出会いました。それが、『麦の唄(中島みゆき)』です。よくよく聞いてみれば、どこかで耳にしたことがありました。歌詞が気になり調べてみると、私はここに聖書の大切な部分が込められているように感じました。とはいえ、中島みゆきさんはクリスチャンではありません。しかし、この世界は全能の神様からきています。さて、この記事ではクリスチャンの私から見た『麦の唄』の考察です。

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    麦の唄 by 中島みゆき

    あれこれと私が語る前に、まずは『麦の唄』の歌詞を読んでみましょう。というよりも、合わせながら実際に曲を聴くことをおすすめします。中島みゆきさんの魂がこもった歌声には心揺れ動かされます。

    その総てと離れても あなたと歩きたい

    こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

    旧約聖書 創世記 2:24

    麦の唄は、一人の人間が相手(妻や夫)と出会い、二人で生きていく世界観だと私は感じました。まだ出会っていない時から、すでに希望に思いを馳せているようにも聞こえるのが序盤に感じました。

    麦に翼はなくとも 歌に翼があるのなら

    「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。 また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」

    新約聖書 マルコによる福音書 4:3-8

    麦と聞くと、イエス様が例え話をされた「種まき」のお話を思い出します。麦の穂の話とかね。ともかく、種そのものは当たり前ですが、翼はありませんよね。しかし、言葉を乗せることで誰かに届くのです。クリスチャン的には伝道の土台を感じました。

    そして、男女でいうならば、未来の結婚相手へと届くメッセージなのかな・・・と私なりに意味を深読みしてしまいました。深い歌詞だもの、仕方ない。

    新しい「大好き」を あなたと探したい

    この歌詞あたりから、この男女は出会い、夫婦になったのかなとまたもや深読みしました。人は一寸先の未来も見えませんが、すべては神様のご計画のうちに歩んでいるのが聖書の教えであり、私はそれを信じています。

    ですから、違う世界を生きてきた二人が出会い、新しい大好きを見つけ、二人は一つになるのだと思います。そのまんま、聖書の伝えようとしている奥義そのもので、麦の唄の歌詞には驚かされます。

    生まれた国 育つ国 愛する人の国

    違う世界の男女が一緒になれば、きっと妻が嫁ぐという形で夫の土地に行くのだと思います(時代に違いはあるかもしれませんが)。これは個人的な話ですが、生まれ・育ちは別の土地で過ごしました。自分は寄留者だと思っています。

    妻という立ち位置になると、きっと寄留者になるのだと思います。結婚をしていない私がとやかく言うのあれですが、涙もありきなのだと思います。それでも、愛する人の土地へと行くのが妻の覚悟。結婚は美しくもあり、真剣な契りだと思っています。

    どんな時も届いて来る 未来の故郷から

    この歌詞が、素晴らしいです。未来の故郷という言葉、私はすぐにピンと来ました。神の国です。大前提、中島みゆきさんが何を思ってこの言葉にしたのかはわかりかねますが、クリスチャンの私が感じたのは神の国です。なぜなら、私たち人間はこの地で必ず死にます。これが第一の死であり、審判で神のラッパが鳴り響き、一瞬にして私たちは復活します。

    復活の時、神様を信じてきた者は、かねてより約束されていた神の国に行けるのです。第二の死はもう経験しませんん。私はまだ見たこともない未来の故郷に思いを馳せて、この地上を生きています。希望だからです。

    伝えておくれ故郷へ ここで生きてゆくと

    いよいよ、ラスト間際の歌詞です。すでに出ている歌詞ですが、深い言葉だなと感じます。未来の故郷を心待ちにしてはいるものの、今ここを生きていることを忘れてはなりませんよね。神様の理の中で、引き合わされたその相手と生きる土地で生きると決めること。聖書を読んでいくと、この手の話はたくさんあります。

    ところで、この歌詞に出てくる故郷とは、一体どこでしょう?生まれた土地?育った土地? もちろん、この答えは自分の中だけのものですね。私は不思議にも、大学入学と同時に上京してきた東京都だと直感的に思いました。

    麦は泣き 麦は咲き

    サビ部分の歌詞に出てくる、なんとも印象深い言葉です。麦が何かはともかく、泣くこと・咲くこと(笑うこと)こそが人生だなと、今しみじみと思いました。ところで、聖書では麦はキーワードの一つです。

    これは私のイメージですが、イエス様という決して朽ちることのない黄金の麦が、今や全世界の広まっているのです。これが福音であり、信仰です。私もその穂をいただきました。そして、クリスチャンとしての涙、笑顔は、これまでの人生では味わったことのないものでした。これは祝福です。それにしても、中島みゆきさんの作詞作曲には脱帽です。美しいです。

    自立した大人がわかる歌詞

    麦の唄 考察 聖書

    何をもって自立というのか。自分で書いていてツッコミたくなりました。何が言いたいのかというと、一人でも生きていけるような人間が、それでも人生を共に歩む人と出会って二人で生きていくというのが人生だよねってこと。そうではない人生も、もちろんあります。とはいえ、これらすべてに言えますが、自立なしにありえない話です。

    人生は逆風が吹くときもあります。泣いて泣きまくる時もあります。それでも、笑顔になる時があるのです。喜びあり、悲しみあり、それでも生きていくのが人間なのでしょう。その中で与えられるのが、結婚かもしれませんね。たとえばね。

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