【もっと黙想しよう】クリスチャン1年目の私が考える聖書の学び

    ここ最近、記事の更新が非常にスローペースになっていました。理由はシンプルです。一度、立ち止まってみたからです。これまでの記事では、私がピンときたものを温めることなく発信していました。質より量だと。とはいえ、量より質も少し違います。もっと黙想しようよ、これが私の結論です。

    INDEX

    このブログのはじまりは、御言葉を伝えることだった

    私はクリスチャンになり、本当の救われました。生きることに希望が湧きました。これまで惰性で生きていて、生きる喜びよりも、毎日の疲れや悲しみの方が多かったです。そんな私を造り変えてくださったのは、ただただ神様からの憐れみと恵みといった愛でした。それを知れたのは、聖書です。ですから、私は聖書を多くの人に伝えたいとずっと思っていました。それは今でも変わりません。この思いが、このブログを作った始まりです。

    誰も読んでくれないと悲しむが

    元々私はライターであり、編集者です。文字を書くといった分野は、ある意味では本業であり、能力を活かすといった意味ではぴったりでした。ブログは相性ばっちりだと思っていました。ところが・・・現実問題、PV数を見ると思わず悲しくなりました。見てくださる人がなんと少ないこと。いえ、見てくださるだけでもありがたいのです。私はいつしか、そういった小さなことさえ気づけず、数字を追う人間になっていました。

    私は発信者ではない

    私はこのブログを続けることに意気消沈し、しばらく更新はスローペースになっていきました。その分の与えられた時間を、とにかく聖書と向き合いました。これがもう素晴らしかったです。どういうことかといいますと、御言葉を黙想するという学びができました。ここ最近の私は、発信者ではありません。ただただ聖書と向き合い、一人静かに黙想している人間です。これが最高なのです。聖書を開く時間を増やし、神様の御言葉をじっくり考え、対話する喜びを知りました。これがクリスチャンなのだと、やっと実感してきました。

    私がここで一番伝えたいことは、一つだけ

    これまでのブログ記事では、さまざまな聖句を深めていくことや、まとめ記事のようなものを作成してきました。これらの記事によって、聖書を学ぶプラスになればいいなと思ってのことでした。しかし、それが何だっていうのでしょうか。そのような内容は、すでに世にたくさん出ています。数字を追って、何だっていうのでしょうか。

    私が伝えたいのは、神様からの愛のラブレターです。聖書の御言葉ってことです。解説なんて、究極は必要ありません。なぜなら、ラブレターは受け取り手の感性で読みますからね。それが至福です。この喜びを知っているのは、他でもなく私自身なのに!ということで、もっと大切なことを私はお伝えしたいのです。それは、神様との個人的な対話です。解説はそこに必要がありませんから。

    じっくりと静かに聖書を読み、心に響いた御言葉をじっくりと時間をかけて向き合ってみてください。黙想してみてくださいね。神様との個人的な関わりは、最高の至福です。

    • URLをコピーしました!
    INDEX