今、とても苦しい思いをしている方はいませんか?もう投げ出したい、消えてしまいたいと。そういう困難の道の只中に置かれている方もいらっしゃるでしょう。実は書いている私もその最中です。しかし、私は知っています。逃げたいほど辛いのならば、逃げてもいいと。その奥義をお伝えします。
苦しい時こそ、逃げてもいい

「逃げてもいいのだろうか?」――これは多くの人が心の中で抱く問いですよね。私も生きてきて何度思ったでしょうか。結論から言えば、苦しいのならば逃げてもいい生き方を選んでいいのです。これは私の経験則でもあり、もっと大きなことを見据えた時に導かれる答えでもあります。
そもそも「逃げる」という言葉はネガティブに聞こえるかもしれません。しかし本当は、そこが自分の身を置くべき場所ではないと教えてくれているだけです。頑張って、踏ん張る必要などありません。ともかく、逃げたいと思ったら去ってもいいし、別の道を選んでもいいのです。なぜなら、人間には限界があります。もし耐え難い辛さを骨の奥深くまで感じているなら、それは「新しいスタートライン」に立っている合図でもあるからです。
人生は一本道ではない
逃げてもいい生き方を受け入れるには、「人生は一本道ではない」と理解することが大切です。これを知らずして、逃げるという選択肢はなかなか取れないともいっていいでしょう。逃げる勇気には、次の道が必要です。
私はかつて出版社に在籍していました。ある日、編集長と「人生とは何か」というテーマで2時間ほど語り合ったことがあります。編集長は、初めから編集長を目指していたわけではないとのことでした。むしろ、いくつもの職種を経験し、迷いも限界もあったといいます。そして、気がつけば編集長になっていたと。悩んでいる私に対して、ハッとする言葉をいただきました。それは、「めちゃくちゃな道を歩んでいると思っていたけれど、実は確かに山を登ってきていた」と。
人生は山登りのようなもの。登山道はいくつもあり、整備された道もあれば獣道もある。分岐点で迷う時もあれば、すんなり進める時もある。つまり、選択肢は一つではないのです。生きている限り、幾度となく選択の繰り返しです。そうやって道をつくっていくのです。ですから、逃げるということも、一つの道になっていくのです。そこでTHE ENDではありません。
お金の不安が「逃げられない理由」になる
「逃げてもいい生き方」を頭で理解しても、実際に行動できない人は多いでしょう。この選択は勇気のいることです。ほとんどの場合、余裕の中だとか、計画の中にはいないのですから。だからこその、逃げるという選択にもなるのですから、困難の中での決断ともいえます。
では、何が要因で逃げる勇気が出せないのでしょうか。何を恐れているのでしょうか。答えは簡単です。その大きな理由は「お金」です。生活の不安があるから、勇気が出ず、苦しい環境に耐え続けてしまうのです。私たちは生きている限り、お金が必要です。命とお金は同等かのような、いえ、時に命よりも重くとらえてしまうのがお金です。
私もお金の重みを、命以上のものだと経験をしてきました。けれど、不思議なことに、どんな時も乗り越えることができました。その秘密は――神様の存在でした。今からお伝えすることを知れば、人生は途端にラクになっていきます。逃げてもいい、という確信すら与えられる人もいるのではないでしょうか。
神様が支える「逃げてもいい生き方」
聖書の中で、主イエス様はこう語ります。
空の鳥をよく見なさい。まくことも、刈ることも、倉に納めることもしない。けれど、あなたがたの天の父は、養っていてくださるではないか。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれた者ではないか。
新約聖書 マタイによる福音書 6:26
人ひとりの命は、決して軽くはありません。神様はその価値を誰よりも、私たち以上にはるかに理解しており、常に見つめてくださっています。たとえ周囲の人があなたを気にかけなくても、神様は必ずあなたを心配し、助けてくださるのです。
「逃げてもいい生き方」を決めるのはあなた自身
神様は強制されません。最終的に「逃げるかどうか」を決めるのはあなた自身です。けれど、本気で決意するなら、神様は必ず助けてくださいます。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
新約聖書 ヨハネによる福音書 14:6
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
新約聖書 コリント人への第一の手紙 10:13
最初は道なき道のように見えても、神様と歩むと決めた瞬間に、その道はすでに用意されています。だからこそ、苦しい時には思い出してください。逃げてもいい。そして、それは立派な生き方のひとつである――なぜなら、神様が共にいてくださるから。道を整え、備えてくださるからです。そう信じて、一歩を踏み出してみませんか。
