きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
新約聖書 ルカによる福音書 2:11
ローマ皇帝とイエス様は、同じ時代を生きていた

「イエス様が生きていた時代」と聞くと、多くの人がネロやカリギュラの暴政を思い浮かべるかもしれません。クリスチャンが迫害にあっていたという歴史を連想するからでしょうか。コロッセオで、キリスト教徒が迫害されたという話は私の教会では伝わっています。
そんなどこか因縁深いローマですが、イエス様の誕生と受難は、そのローマ帝国が最も安定していた時代と重なっていることがわかります。つまり、イエス様がお生まれになったのは、初代ローマ皇帝アウグストゥスの治世。そして、十字架刑が行われたのは、その後継者である皇帝ティベリウスの時代でした。イエス様は「ローマ帝国が本格的に狂気へ向かう前夜」に、この世に来られたのです。
アウグストゥス時代――「平和」が完成したローマ
アウグストゥスは、内乱続きだった共和政ローマを終わらせ、帝国に安定をもたらしました。とはいうものの、その前日譚は、アウグストゥスの叔父であるユリウス・カエサルによってローマの土台は整えられてはいましたが、アウグストゥスの手腕は相当なものだと思われます。そして自身を皇帝と名乗り、パクス・ロマーナ(ローマの平和)が始まったのでした。
- 内戦の終結
- 法制度の整備
- 道路網と物流の発達
- 通貨と税の統一
- パクス・ロマーナ(ローマの平和)
表面的には、これ以上ないほど「整った世界」です。しかしその平和は、剣による血と暴力の秩序であり、同時に皇帝崇拝という偶像を静かに育てていました。アウグストゥス自身は慎重でしたが、彼は「神とされたユリウス・カエサルの子」を名乗り、人が神になる道を開いてしまったのです。
ティベリウス時代――光が処刑された瞬間
イエス様が宣教を開始し、十字架につけられたのは、皇帝ティベリウスの治世です。初代皇帝アウグストゥスの次の皇帝が、そのティベリウスです。時代そのものとしては、まだ狂ってはいないローマ帝国だったと言えます。
- 法は機能している
- 宗教は秩序を保っている
- 皇帝は暴君ではない
それでも、光であるイエス様は、この世界から受け入れられず、その生涯は苦難の連続でした。イエス様を十字架にかけた(許可した)ローマ人の総督ピラトは、皇帝ティベリウスに任命された「地方行政官」でした。イエス様の処刑は、ティベリウス帝国の統治システムの中で起きた出来事でした。宗教指導者と政治権力が結託し、「無罪の人」を十字架にかけた。この出来事によって、世界の闇がはっきりと姿を現します。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
新約聖書 ヨハネによる福音書 1:1-5
ローマ皇帝とイエス様
ここで一度、ローマ皇帝とイエス様の時代関係を、時系列で整理しておきましょう。名前を知らなくても、流れが一目でわかるようにします。
時系列対応表
| 年代 | ローマ皇帝 | ローマ帝国の特徴 | イエス様との関係 |
|---|---|---|---|
| 紀元前27年〜14年 | アウグストゥス | 表面的な平和と秩序(パクス・ロマーナ)/皇帝崇拝の芽生え | 誕生・幼少期 |
| 14年〜37年 | ティベリウス | 秩序は維持/宗教と政治の癒着 | 宣教・十字架 |
| 37年〜41年 | カリギュラ | 皇帝が自分を神と宣言 | 十字架後 |
| 54年〜68年 | ネロ | 皇帝崇拝の暴走/迫害の始まり | 十字架後 |
| 81年〜96年 | ドミティアヌス | 生前神格化の制度化 | 十字架後 |
年代は一部、端折りを入れています。ともかく、この表を見るとわかるように、イエス様の受難は、ローマ帝国が完全に狂う「前」に起きています。私たち現代人からすると、皇帝カリギュラや皇帝ネロの残虐性が有名ゆえ、時代の深刻さに思い馳せてしまいがちです。事実、とんでもない時代だったのかもしれません。確かにイエス様の十字架後、ローマ帝国は急速に暗黒化します。
- カリギュラ:自分を神と宣言
- ネロ:皇帝崇拝と迫害
- ドミティアヌス:生前神格化の制度化
などなど。しかし、何も闇はこの時代に突然始まったのではありません。イエス様が十字架にかけられた時点で、すでに
- 人間を神にする思想
- 権力を絶対化する構造
- 真理を排除する宗教
は完成していました。それこそ、人間の始祖・アダムとエバの時から。残虐非道な皇帝ネロたちは、人間の罪を、隠さず表に出したにすぎません。この人たちだけが罪人ではないのです。
なぜイエス様は、そのタイミングで来られたのか
イエス様は、人類史上もっとも混乱した暗黒の時ではなく、暗黒が完成する直前に来られました。
- 世界が「平和だ」「安全だ」と言っている時
- 秩序と正義が機能しているように見える時
- しかし、神の代わりに人間が崇められ始めた時
その真っただ中で、神の国の価値を語られました。このタイミングは、偶然ではありません。
しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。
新約聖書 ガラテヤ人への手紙 4:4-6
ローマ皇帝とイエス様――二つの「救い主」?
ローマ皇帝は「平和をもたらす救い主」と呼ばれました。しかしイエス様は、
- 剣ではなく
- 支配ではなく
- 偶像でもなく
十字架によって救いを示されました。何から?・・・罪から。
ローマ皇帝の時代に、ローマ皇帝とは真逆の王が現れたのです。それこそが、イエス・キリスト。この方は、来るべき日にこられる、本物で唯一の王です。
まとめ
- イエス様の誕生:アウグストゥス時代
- イエス様の受難:ティベリウス時代
- ローマ帝国は「最も整った時代」に光を拒んだ
- ネロの狂気は結果であり、原因ではない
平和の裏で育った偶像を、イエス様は十字架で照らし出されました。それは、今の時代を生きる私たちにとっても、決して過去の話ではありませんね。平和だ、なんだ、と言っている時こそ、この世界は暗黒なのかもしれません。しかし大丈夫です。私たちには誰よりも強い方・イエス様がおられます。アーメンです。




