転職は30代でやめとけ?|32歳・転職6回の私がたどり着いた結論

    私は32歳にして転職6回といった、なかなかに短期離職繰り返してきた人生を送ってきました。もはや、辞め癖がついているといっても過言ではありません。そんな私は、またしても「もうここ辞めようかな」と思うようになったのです。しかし、決死の思い合って現状に留まることを決意。それほどに、30代で転職はやめた方がいいです。実体験から語らせてください。

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    はじめに|また辞めたい、と思ったその瞬間

    私は、つい最近まで「この会社を辞めてやる」と本気で思っていました。そのときの私は、正直に言えば、不平不満でいっぱいでした。苦労して、やっとの思いで手に入れた就職先(現在の職場)だったにもかかわらず、今やその過程での苦労など、まるでなかったかのように忘れ、感情のままに「嫌だ」「もう無理だ」という思いがMAXになっていたのです。それほどまでに、退職を本気で考えていました。

    ついに私は、社長に「辞めたい」という連絡を入れたのです。お返事は、「ど、ど、どうしました!?」──当然ですよね。あまりにも突然だったのですから。実際、お話もしました。退職も受け入れてくださいました。「もったいない」とは言われたものの、私はもう何を言われても「とにかく退職したい」の一点張りでした。ところが私は、その二日後に激しく後悔することになります。

    「私は、なんて感情的に動いてしまったのだろう」と。

    辞める理由は、本当に辞める理由だったのか

    確かに、現状には不満はありました。ですが、それは「退職」に至るほどの理由だったのかと問われれば、答えは否でもあったと思います。嫌だから辞める、この感覚で生きていくと、自滅するのはどこかでわかっています。世界は自分中心でまわっていないのだから。それでも、感情的に「とにかくもうここに居たくない!」が強く強く出てしまったのです。

    ただ、冷静になると社長との話し合いの中で、何度も言われた言葉を思い出します。「もったいないよ」と。その言葉が、なぜか強く引っかかりました。そして同時に、これまでの自分の行動が、急に恐ろしくなったのです。いろいろと親身になってくれた人がいたのに、「嫌」という感情で離れるのは正しい判断なのか?と。いや──これは、まずいのではないか、と。

    「曲がった道」をまっすぐにされる神様

    私は神様に祈りました。クリスチャンですから、常に神様へ祈りながら生きています。それが一番安全なのは、論理的では語れない、個人的な今までの経験から来ています。自分の判断だけでは信用にならないのです。自分の意見は大事だけれど、正解とは限らないということ。神様の導きこそが結局は一番の正解だということ。

    主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。

    旧約聖書 エレミヤ書 29:11

    心をつくして主に信頼せよ、 自分の知識にたよってはならない。 すべての道で主を認めよ、 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

    旧約聖書 箴言 3:5-6

    上記の聖書の御言葉が、ふと心に浮かびました。この言葉を思い出した瞬間、私は、今の自分の状況こそが、その御言葉そのものだと感じたのです。私は良き判断だと思っていたこと(会社を辞めること)、それは本当は間違った道(というか、平安ではない道)かもしれないと心の中で急に悟り始めたのです。私の内におられる聖霊様の導きかもしれません。とにかく、胸をぎゅっと掴まれるような感覚とともに、痛みや後悔が一気に押し寄せてきました。

    でももう、辞めると言ってしまったこと。私はもうどうしたらいいのかわからなくなりました。

    人は、自分に都合よく解釈する

    実は最初、私はこう思っていました。「神様が、私に苦しい道を歩ませるはずがない」「だから、今の仕事が曲がった道なのだ」と。──なんとも人間らしい解釈ですよね。これを自己中心的と言わず、なんと言えましょうか。試練の道も、また神様が与えてくださった道なのに。

    しかし、大事なのは試練は試練で終わらないということ。恵みに変わることも、クリスチャンであれば知っているはず。神様はすべて、良きものとして、神様を信じるすべての者に平安を与えられるからです。

    神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

    新約聖書 ローマ人への手紙 8:28

    ゆえに、自分の心で決めた道こそが、曲がった道だったのだと。

    取り下げられた退職願い

    私はもうどうすることもできないため、神様に祈り、悔い改め、そして結論として──道は、まっすぐにされました。ひょんな流れから、退職願いを取り下げることができたのです。

    きっかけは、社長と一番近い別部署の先輩でした。たまたま二人きりになり、その時に思い切ってその話をしたのです。後悔もしており、どうしたらいいのかもうわからない・・・と。その人が急いで社長と話してくれて、結果的に丸く収まったわけです。そしてどうやら、社長は、私の言葉を「一時的なもの」として受け止めてくださっていたようです。とはいえ、別室で改めて話し合いこそありましたが。もちろん、私は心から謝罪しました。

    そして、心に決めました。この道(この仕事)こそが、今の私の道なのだと。「本当に合っているかわからない」という思いは今も多少あります。けれど、そんなこと今の自分がいちいち判断するべき問題ではないとも思うようになりました。どこに行ったって、結局は繰り返すだけかもしれませんし。何よりも、今回の件で、自分の属しているこの会社、ここで働く人たちの人間性を見た気がして、もう少し一緒にいたいと思うようにもなりました。

    どんな仕事でも「違和感」は出てくる

    正直に言えば、心のどこかで「いや、やっぱり違うのでは」と思う自分もいると先ほど述べさせていただきました。どんな仕事を選んだとしても、同じことは起きるから。これって、スピリチュアル的な話とかではなく、自分の人生に与えられた恵みの前の試練だと思うのです。

    銀を試みるものはるつぼ、金を試みるものは炉、 人の心を試みるものは主である。

    旧約聖書 箴言 17:3

    完璧に合う職場など、存在しません。そんなことわかっているのに、「少しでも良い方へ・・・」と意識して転職を繰り返してきたのが私です。32歳にて6回の転職歴。まぁまぁ多いですよね。それだけ転々としてきました。留まる選択をしてきませんでした。

    ずっとこの生き方が通用しないことをわかっていました。けれども、それ以上に自分の感情が最優先となり今まで生きてきたわけです。でも、今回の件にて「主が、ここにとどまりなさいと示されたのだ」と私に示してくださったのだと思います。だから、ここに留まる選択をしました。それが、自分の計画ではなく、主の計画によって人生を歩くということなのだと思います。

    転職6回「転職の落とし穴」

    私は、これまでに6社の転職を経験してきました。長く勤めた会社は、正直ありません。こういう生き方も、確かにあります。ですが、はっきり言います。茨の道です。楽な人生ではありませんでした(まだ32歳ですが、いや、もう32歳か)。経歴的に不利になるだけではありません。それ以上に、

    • 人間的な成長が浅くなる
    • 忍耐力が育ちにくい
    • 自覚のないまま、自己中心的になる
    • 「自分の意見こそ正しい」という思考に陥る

    こうした危険があります。自由を求めていたけれど、自由が何だかわからなくなりますし。楽しいことばかりが人生ではないですし、かといって過度な我慢も良くない。けれども、自分なりに工夫する必要はあります。上手く生きていくとは、そういうことなのかもしれません。転職ばかりでは、この感覚がわからなくなってくると思います(私がそうでした)。

    もっともらしい転職理由

    よく聞く、退職をするべく理由があります。いや、方便かもしれませんが。

    • 「お給料が安いから」
    • 「この人が嫌だから」
    • 「ここより、あっちの方が良さそうだから」

    これらを並べて、職場を転々としてきたのは昔の私です。結論、おすすめしません。人生で一度は転職してみても良いとは思いますが(一度と言わず二度くらい)、でも、私のように6回はさすがにハードモードですよ。20代までなら、まだ取り返しがききます。ですが、30代以降は、転職を重ねるほど、生きづらさが増すと感じています。その理由は先ほど述べたとおりです。仕事はお金だけではありませんから。時間は取り戻せません。

    結論|「置かれた場所で花咲こう」と決めた理由

    30代の転職は、もうよほどでない限りはやめときな!これが私の結論であり、私への戒め。この言葉は、脅しでも根性論でもありません。30代は、

    • 環境を変えることで解決する問題
    • 自分が変わることでしか解決しない問題

    この二つが、はっきり分かれ始める年代です。私の場合、後者でした。今までは、不満があるから辞める。違和感があるから移る。それを繰り返した先にあったのは、自由でも成功でもなく、どこにも根を張れない自分でした。言葉というよりも、感覚的な重みを悟った感じですね。だから私は、今回「とどまる」選択をしました。それは妥協ではありません。

    聖書には、こうあります。「すべての道で主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる(箴言3章6節)」と。自分の感情や計画ではなく、主の導きを信じると決めたからこそ、現状にとどまる決断ができました。今の私は、神様さまさまなのです。

    置かれた場所で、花を咲かせること。それは、与えられた環境を肯定することでも、我慢し続けることでもありません。その場所でしか得られない成長を、逃げずに引き受けるという姿勢です。

    転職を否定したいわけではありません。本当に離れるべき場所も、確かにあります。けれど30代の転職は、「感情」ではなく「意味」で選ぶべきです。私は遠回りをしました。転職6回という経歴は、決して誇れるものではありません。それでも今、はっきり言えることがあります。軽々しく環境を変えなくなったとき、人はやっと深く根を張れる。この経験が、同じように迷っている誰かの立ち止まる理由になれば幸いです。

    転職をやめたあとに起きた、いちばん大きな変化

    転職 30代 やめとけ

    転職を思いとどまってから、自分でも驚くほど大きな心境の変化がありました。それは、自分の中にあった「二心(ふたごころ)」が消えたことです。それまでは、

    • 今の会社に残るべきか
    • もっと条件の良さそうな転職先を探すべきか

    その二つの間で、心が常に移ろいだ状態でした。本気モードになれていなかったのです。それどころか、条件ばかりを気にして、意識はどこにも定まらず、まるで糸の切れた凧のようだったと思います。

    どちらにも本気でコミットできない。それは、仕事を「仕事」としてしか見ておらず、そこで一緒に働く人の存在を、ほとんど見ていなかったからだと、今になって気づきました。正直に言えば、いっそ誰かが明確に「嫌な人」でいてくれたら、辞める決断もしやすかったのに──そう思ってしまうほど、周囲の人たちは良い人たちでした。いえ、今回の件で初めて気付かされました。

    だからこそ、転職を思いとどまった、というのが本音です。そして今は、こう思います。人間は、本来そこまで「嫌な存在」ではないのだと。少なくとも、自分で選んだ会社で出会った人たちなら、なおさらです。

    向き合うことは、確かにしんどいです。逃げることが必要な場面も、もちろんあります。でも私は、逃げることを選び続けてきた人生でした。だから32歳の今、「もう、逃げるだけの選択はやめよう」そう思えたこと自体が、自分にとって大きな節目だったのだと思います。神様のおかげです。神様の導きあっての今ですから。

    二心が消え、ここでやると腹をくくったことで、初めて人とも仕事とも、ちゃんと繋がれた気がしています。これが、私なりの「大人になる」という感覚です。アーメン。

    365paradise
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