私はバプテスマ後、半年間聖書から離れてしまいました。半年間の間にいろいろありました。引っ越し2回、仕事、物欲と見栄、お金への執着など、清貧かつ愛ある品性からかけ離れていきました。今また聖書に立ち直ることができました。というわけで、今回の記事では、バプテスマ後の試練についてお話します。
神様から離れていた半年間
この半年間で、私は聖書からも教会からも離れてしまいました。行くのが面倒になり、次第に必要性も感じられなくなり、神様と切り離された生き方をしていました。自分の意思ではありつつも、決心ではありません。自然と離れざるを得なかった流れです。私はこれを試練と捉えています。
バプテスマ前の私はまっすぐだった
私はバプテスマ前まで、聖書に熱心でした。喜びでいっぱいでした。イエス様から目を逸らさず、信仰を胸のうちで温めていきたいと本気で思っていました。だから、バプテスマを受けました。そして、死も、悲しみも、嘆きも、労苦もない、新しい世界に行くために。そんな私が、まさか半年間、信仰を捨てたも同然の道を歩んでしまいました。
沈めのバプテスマ後
私はバプテスマを受けた二週間後、教会に行かなくなりました。そして、今に至るまで(2024/5/15現在)、ずっと行っていません。聖書もまともに開くことがなかったです。祈ることも徐々に減りました。どうしてここまで変わってしまったのか? ということで、私がこの半年間で起きたこと(試練)について、証しをさせてください。いろいろなことがありました。
バプテスマ前から予定していた引っ越しを、バステスマから3日後に決行しました。その引っ越し先は、風俗店が多い&暴力団事務所がある&夜は危険&サイレン鳴りまくり、な危険地帯でした。女性の一人暮らしとしては、あまりにも不安要素ばかり。なぜ引っ越し前に気づけなかったのか、今にして思えば不思議です。事前に自分の目で確認していたのに、です。
あまりにも恐ろしい場所だったので、精神が壊れると予感し、すぐに引っ越し先を決めました。入居から2日後には、また不動産に行って探す日々でした。体が休まりません。この時は、神様に祈って祈って、祈りました。
新しい引っ越し先は決まったものの、約一ヶ月のブランク期間がありました。それまでは、我慢して治安の悪い場所で暮らしました。外を出るのが怖くて、近場のスーパー以外は出歩きませんでした。幸いにも仕事はリモートでしたし、究極はウーバーイーツで凌ぎました。教会にはいけなくなりました。外を出たくなかったのです。
無事に安心できる物件へと引っ越せました。約一ヶ月間教会に行かなかったので、なんだか行くことが面倒になりました。現実はようやく落ち着いたのに、行くという習慣が私からは消えました。信仰の心だけは持ち続け、毎日聖書を読んでいました。
その月は忙しく、仕事に打ち込んでいました。私はなぜか見栄を張りたい気持ちが湧いてきました。「もっとオシャレしたい」と。久々にハイブランドのアクセサリーを購入しました。それが火付けとなり、急にお金を使いまくりました。
スキンケアに力を入れようとしていた時、合わなかったのか、炎症を起こして外に出れなくなりました。それほどに顔がひどかったのです。顔は腫れ、膿で汁が出てきては固まり、ボコボコ状態でした。聖書を読む気にもなれず、お金も一気になくなり、「これが治ったらお金を稼ごう」とお金に目が向いていきました。
仕事が増えることは嬉しいことです。私は自分のキャパシティMAXまで仕事をしました。朝から夜まで忙しく、常に頭の中は仕事でいっぱいでした。お金は稼げましたが、この月ではいよいよ聖書を読むこともなくなりました。安息日の存在も忘れていました。私の安息もありませんでした。
お金を稼ぐことの楽しさを知りす。仕事で得られる報酬は、まるでやりがい数値でした。仕事への意識が高まり、脳科学やスピリチュアルな情報に手を出します。昔もそれは知っていて、あまりよろしくないものだと決別したのに(そしてクリスチャンの道へ)、また戻っていました。
この日、久々に聖書を読みました。心が潤っていくのを感じました。「ローマの信徒への手紙 8~15章」で、私は心を改めたいと心底感じました。神様に感謝です。私はまた聖書を読むことができました。感動のあまり、翌日にはこのサイトを立ち上げ、御言葉を勧める人になろうと決心しました。
以上です。これが、私のバプテスマ後から半年間の試練と、ついぞ見つけた希望です。世の出来事にいちいち心を傾けていた半年間、実は私にも罪悪はありました。「聖書読んでない、もはやクリスチャンではない」と。これは今思えば、義務感ですよね。信仰とは違います。どうであれ、聖書を読めない自分が嫌で仕方がありませんでした。急に空っぽになりました。何よりも、神様からも見捨てられたのかもと諦めてもいました。しかし、神様はずっと私を見守ってくださったのです。今また、戻ることができたことに感謝です。
主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」
旧約聖書 出エジプト記 14:14
バプテスマから3年半とは
今になって思い出します。それは、教会での牧師さんからの言葉。私がバプテスマを受けてから、あることをお話してくれました。「ここからが、本当の信仰生活のスタートですね」と。当時は意味がわかりませんでした。今ならわかります。サタンは黙っておらず、いよいよ本格的に攻撃してくると。しかし、恐れることはないと。そういうお話です。
- イエス様御自身も試練に遭ったこと。
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イエス様御自身が、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた後、聖霊によって荒野に導かれました。荒野でサタンから誘惑(試練)を受けたイエス様でしたが、聖書の御言葉によって対応し、勝利されました。世、悪魔を跳ね除けたのです。それは強力でした。
- イエス様の弟子が3年半共に歩む。
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イエス様の弟子たちは、3年半共に連れ添っていました。つまり、3年半ほどの時間が必要だったともいえるわけです。何がというと、信仰生活です。
私は荒野にいたのだと理解
私はこの半年間、荒野にいたのでしょう。誘惑を受けました。これに乗ってしまった私は、更なる問題が起きました。楽しいこともありました。それらは、聖書から離れる火付けにもなりました。サタンの思惑に乗ってしまったのです。
それでも、神様は私を導かれました。なぜか、5/10に読んだ「ローマの信徒への手紙 8~15章」の御言葉が身に沁みてきて、神様の元へと戻ることができました。これは私の力など一切なく、すべて神様の業です。このサイトもそうです。私はもう、導かれたとしか思えません。
真の信仰に約3年半
きっと、この先もさまざまな誘惑に遭うかもしれません。牧師先生や長老が言っていました。この方たちは、信仰生活における大先輩です。多くの人をみてきて、またご自分も試練に遭ってきたからこその言葉だったのでしょう。このことをよく心に留め、信仰生活を固めていきたいと強く思っております。
人間は弱い、本当に弱い
所詮、人間は弱いのです。これは諦めたような意味で言っているのではなく、ただただ事実。この世界には、目には見えないけれど、確実に悪魔(サタン)がいます。この存在の目的は、人間を不幸にすることです。慈悲などありません。慈悲は神様がお持ちです。神様と悪魔による、人間の取り合い・・・いえ、神様が悪魔から人間を取り返すための恩寵期間が、今この時代なのだと感じています。
本当の幸せは、神様と出会うこと
私はすでに幸せ者です。2023年5月頃に、聖書に出会いました。そこから貪るように御言葉を食べてきて、同年11月には、沈めによるバプテスマを受けることができました。ここまでに至るに、素晴らしい教会にも出会いました。今は行けなくなり、まだ気が思いです。本当はまた行きたいです。教会に行ける勇気がほしいです。
そんな弱い私だから、できることがあります。聖書の素晴らしさを、人にお伝えすること。聖書を真に知らずして、このまま一生を終えるのは悲しいです。本当の意味を理解せずに生きていくことも、苦しい結末。私は神様から受け取った恩寵を、人にお伝えしていくことで返していきたいと思います。それでも足りないくらいの恵みをいただいております。
以上が、バプテスマ後からの試練の告白でした。
2024/5/15 18:00 自宅にて記す
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\ 聖書には主に「4つ」の訳があります! /