【適応障害】壊れたものは、造った方だけが修復できる

    以前勤めていた会社で、私は適応障害になりました。それは前兆こそあったけれど、突然ガツンと影響がやってくるのです。心の状態は目には見えないから、どんな傷を受けているのか可視化できません。それゆえ、「打たれ弱い」だの「やる気がない」だの、精神論的に対処されてしまう時ががあります。結論、それは全くもって見当違いです。この記事では、精神科医が言わない見解を、私の経験と克服できたことを通してお伝えしていきます。

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    あなたは消耗していないか?

    適応障害 我慢

    私の場合、仕事でそれは起こりました。ことあるごとに詰めてくる上司の方がいて、私は毎度心を曇らせ、辛そうに仕事をしていました(というか、周りの方から辛そうと言われました)。とある会議の時、とてつもなく詰められ、今でも覚えているのですが、心の何かが割れるような音が聞こえました。私はこの時「あ、もうダメだ」と思ったのです。

    我慢を続けていくと

    まず大前提、我慢は大切です。しかし、忍耐とは違います。忍耐は目的や信念のために、困難を受け止めて耐えることですが、対して我慢とは、本当は嫌・つらいことを、無理して抑えることなのです。何にせよ、限度があります。人は痛みを感じますから、本当に限界になる時がきます。耐え難い我慢が積み重なると、それは「ただの嫌な出来事」ではなく「心の傷、見えない痛み」となり、どうしたらいいのかわからない病気にさえなるのです。

    逃げていい

    我慢の限界がきたら、いえ、我慢の度に苦しくなっているのであれば逃げた方がいいです。私はその当時の会社で、詰められる度に心にヒビが入り、次第に涙が出てくることが多くなりました。しかしそれを「私は泣き虫だから」と片付けて、ぐっと堪えて我慢していました。しかし、ある朝、「会社が怖い」「私は何のために生きているのだろう」と思ったんですね。私は生きるために、逃げることを決めました。

    適応障害はみんな起こる

    心の病気とかいうと、精神的に弱いからだと思う方がいるかと思います。私がかつて、そう思っていました。確かに多少の個人差はあると思いますが、人間ってみんな大したことはないというか、どんぐりの背比べでしかないと気づきました。状況次第で誰にでもなりうる病気なのです。この壊れかけた世界で、心を一切病まずに歩めるほど、人生は容易くないです。そういう世界なのです、この世は。

    誰かに助けてもらおう

    個人差があると、先ほどいいました。強いて言うなら、我慢を続ける人って、甘えるのが下手だと思います。まぁそれ、私なんですけど。自分一人で解決しようとすると、心の重荷があまりにも大きくなるんですよね。そして、キャパオーバーになるのです。すべてを抱えるから。その耐え難い重荷に潰されてしまうから。そうなる前に、誰かに担ってもらうなどの働きが必要ですが・・・何にせよ、押しつぶされてしまったのなら、ならばこそ誰かに助けてもらうことはますます必要です。

    精神科(メンタルクリニック)

    助けてもらう先と考えた時、クリニックをイメージするかもしれませんね。そもそも、もし休職をするのであれば精神科に行ったことがあるかと思います。大体、何かしら薬を処方されます。結局はそういった薬ともらうこと、その前に話を30分ほど聞いてもらうくらい。というか、ただの問診なんですけどね。むしろ冷静に見極めようとしている精神科医に対してイライラすることさえあるのではないでしょうか(それ私なんですけど)。結局、素晴らしき助け手かと言われたら、私は少し疑問が残りますけどね。でも、本当にいい医師と出会えたらそれは良きことだと思います。

    ヒーリングやセラピー

    クリニックとは別で、民間療法や不思議な何かから癒しを施してもらおうと考える人がいるかもしれません。実際、そういう人は多いかと思います。いわゆる、スピリチュアル系・ニューエイジ系・オカルト系・陰謀論など。しかし、これは沼です。かつて私はハマっていました。それこそ、10代の頃から30歳まで、長きに渡ってです。これらの摩訶不思議な世界に解決はなく、蛇のとぐろのようにただ回り、徘徊するのみなのです・・・。

    十字架にかかった神様

    じゃあ、どうすればいいのか?私は生きてきて33年、初めて本物の医師を見つけました。自分の抱えていた心の苦しみ、悲しみ、耐え難い思い・・・これらすべてを丸ごとを確実に受け入れてくださり、しかも本物の癒しと慰めと回復を与えてくれる方がいます。それが、イエス・キリスト。心の悲しみはイエス様にすべて持っていくということです。これは宗教ではありません。真実なのだと私は知っています。今も天で生きておられ、地上にいる私たちの苦しみを憐れみをもって見つめ、助けたいと願っておられる方なのです。その方に助けを求めることが大事です。神様は待っておられます。

    求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

    新約聖書 マタイによる福音書 7:7

    病の回復への道

    適応障害 我慢

    適応障害やうつ病など、心の病・精神疾患の治療方法は世の中に数あれど、真実は一つしかありません。人間は壊れたらどうすればいいのでしょうか?壊れたものは、造った方だけが修復できるということ。人間を創造されたのは神様です。ちなみに進化論というのがありますが、あれは全くの嘘です。人間といった精密で圧倒的な個性をもった生命が、超自然的に発生しただなんてありえません。聖書には、私が造ったと神様が何度も呼びかけています。その創造主なる神様、この方に助けを求めれば、助けてくださいます。真摯な心の叫びを、このお方は無視される方ではありません。

    この大祭司(イエス様)は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。

    新約聖書 ヘブル人への手紙 4:15

    最後に

    神様は、神様であるのに人間の姿となってこの地上に姿を現してくださいました。それが、イエス様。この方は、初めから死ぬことを目的に生まれました。過去・現在・未来、すべての時間軸にいる各時代の人間すべての苦しみを、神様の命を代償に償われました。私たち人間はイエス様のこの救いの死を受け入れた時、私たちが生きるようにと受けられた代償を受け入れた時、私たちには救いが与えられます。それゆえ、私は心の傷をも、不思議と回復させられたのです。神様はあまりにも素晴らしく、私はこの方によって生かされていると知りました。

    わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

    新約聖書 ヨハネによる福音書 14:16-17

    すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

    新約聖書 マタイによる福音書 11:28-29
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