【主に拠り頼む】信仰の目をもつ

    どうか主があの時約束してくださったこの山地をわたしにください。あの時、あなたも聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々がありますが、主がわたしと共にいてくださるなら、約束どおり、彼らを追い払えます。」

    旧約聖書 ヨシュア記 14:12

    カレブの大胆さの背後には、

    主が共にいてくださるという

    信仰がありました。

    信仰の目をもって

    神の可能性を信じ、

    たとえ不可能に見えても

    主によって道は開かれると

    確信して進みました。

    12人の斥候が遣わされた時、

    皆同じ光景を見たのです。

    しかし、その光景は

    同じように映りませんでした。

    その違いは

    人間の観察力や洞察力によるのではなく、

    信仰の目の違いでした。

    主の御心にかない、

    主が共にいて下されば、

    敵の大きさ、城壁の強大さは

    問題ではなくなります。

    全知全能の神様に拠り頼むならば

    不可能なことは何一つないのです。

    信じるという行為は、本来単純です。

    神様の約束への信頼は

    ただ信じるということから生まれます。

    自分の足元を見る消極的な信仰ではなく、

    主に信頼し主の御力に委ねていく

    積極的な信仰を持ちたいと思います。

    目の前がどんなに困難な状況にあっても、

    神様の御力に信頼して、

    信仰をもって

    神様の御心を行う者でありたいと思います。

    聖書の一番最初「創世記」から耳で聴けます☆
    軽くて読みやすく革もイイ!
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