記事LPを書いて気づいた「自分の畑」という感覚、それを現役ライターが語ります。種類があり、向いてる・向いていないが存在するのは事実です。こういうのは経験してみないとわからない部分もあるかと思いますが、私なりに現実をお伝えしていきます。
書く仕事は色々な意味で難しいよ
書くのが好きで、考えることのが得意、そんな最高の職種だと思っていたライターですが、最近しんどいなと感じています。それは、会社員としての話。このブログとは全然違う感覚。私の今の仕事は、いわゆる企業ライターです。マーケッター、コピーライターともいえるでしょう。
フィードバックをもらうたびに、何かが削られていく感覚があるのです。直せば直すほど、文章が枯れていく感覚・・・そんなとき、私はGPTとの壁打ちだけは不思議と心地よく感じていました。結論、「人に相談するより楽だな」と。そう思ってしまう自分に、少しの罪悪感や、「フィードバックって何やねん」と思ってきたわけです。
chatGPTとの壁打ちが心地いい理由
今や、書く仕事とchatGPTは切り離せません。私は壁打ちとして活用しています。そもそも職場でのフィードバック(上司から)が短絡的に感じて、まともに向き合っていたら仕事は終わらないし、自分の心がダメになるなと思い、GPTに相談していたという経緯があります。
そこで気づいたのは、GPTには人間のフィードバックにはない特徴があります。
- 早い、かつ客観的
- 感情や気分が入っていない
- 立場表明やマウントがない
つまり、文脈が壊れないということ。一貫性が保たれる感覚があります。こちらが積み上げてきたライティング・前提条件を、フィードバックという名目で途中でひっくり返されることがありません。思考の前提が固定されたまま、ただ思考だけが往復するのです。
人間によるフィードバック

まず大前提、私は人間のフィードバックが悪いとは言っていません。むしろ、素晴らしいです。これができる人は珍しいと言いたいのです。フィードバックする相手を傷つけず、けれど的確に、かつどう動けばいいのか気付きを与えることができたら素晴らしいフィードバックです。
このようなフィードバックができる上司は、この短い人生で私は一人しか出会ったことがありません。一方で、今の職場ではそういうフィードバックがなく、むしろイライラします。「言うのは簡単ですよね」と何度思ったことでしょう。こういう状況は、ライターとして非常に苦しいですよね。私の技量の問題もあるかもしれませんが、そのこと自体が問題ではないというのが、今回のテーマです。ライターの葛藤は複雑なのです。
いいフィードバックとは
これはもう、尊重だと思っています。フィードバックする立場の人は、つい「アドバイスをしよう」と意気込んだり、「なんか違うんだよなぁ」という主観が入りがちです。なぜこうなるのかというと、ライターの思考を考えていないからなんですよね。逆に、ライターの思考に思い馳せた上で気付きを出してみると、尊重の含まれるフィードバックが生まれるのです。
ライターにも種類がありますが、思考型・創作的なライターであればあるほど、尊重なしのフィードバックには心底イライラするものがあります。「このフィードバックした人、本当にじっくり読んだのか?」と。ただね、これはライターの技量の問題もあるかもしれません。また、実際はユーザーにじっくり読まれることはありません。だからって、フィードバックする人もその程度でチェックをするのは違うなと。
その点、GPTには短絡さがありません。だから私は、思考を精査することを目的に、GPTに添削してもらうことにしたのです。
でも、決定打はGPTではない
記事LPを書いて、はっきりわかった
そもそも、私がライターとして葛藤を感じたきっかけは、記事LPを書く仕事をしたときでした。ある案件で受けた指摘は、こんなものでした。「説明しなくていい、とにかくいいことだけ書け、文章じゃなくて言葉くらいでいい、写真とか使って心理を刺激しろ」といった感じですね。
文章など、求められていないのでした。そして、事実だけを書けと。ちなみに嘘を書いていたわけではありませんが、専門用語的にいえば、ベネフィットも混ぜて書いていたのです。ここでわかったのは、記事LPはクライアントのレギュレーション命だということ。ライティングスキルは不要です、むしろ邪魔レベル。
ああ、楽しくない。そう感じた自分は、畑違いという感覚を心底知ったのでした。
「ライター」という言葉が、あまりにも雑すぎる
そもそも、ライターって、一言で括られがちです。クリエイティブだってそう。私は、こう整理しました。
① 表現系、思考型ライター
- コラム
- エッセイ
- ブランドストーリー
- 編集記事
- コンセプトコピー
思考=世界観づくり
創造性が必要なので、技術とはまた少し別物な領域です。むしろ、いかに深い思考をしているかというタイプ。直感型でしょうか。正解がなく、「どう感じさせるか」が重要なのです。
② セールスライター
- 記事LP
- セールスコピー
- CRM
- D2C広告
思考=人間心理×数字
マーケティングそのもの。成果が正義。制約を飲み込め、心理を駆使できる人向け。
③ 医薬・金融・不動産ライター
- 薬機法
- 景表法
- 金商法
- クライアントのレギュレーション
思考=「言っていい/ダメ」の線引きゲーム
制約が多いゆえ、思考など入れてはいけない。事実が重要。あまり深く考えず、作業として淡々と書いていくタイプの人向け。決まりなど多いので、整理上手な人に向いている。
広告代理店のライター
私が今この記事LPを書いているのは、あくまでクラウアント業務。そして、広告代理店とはそれが仕事。この分野でやっていることは、「何を届けたいか、どう届けようか」を考える仕事ではありません。「何なら怒られないか」を探す仕事も同然だと思っています。
書いて、指摘されて、削って、言い換えて、また指摘されて・・・
創作というより、地雷撤去作業。ここで病みやすいのは、能力が低い人ではありません。むしろ逆ですね。
- 言葉にこだわりがある
- 表現の手応えを大事にする
- 思考の自由度を求める
こういう人ほど、削られるのです。正解は毎回変わります。クライアントごとにルールが違います。昨日OK、今日はNG。レギュレーションがあるわりに、曖昧です。制作物を担当する人にとっては、踊り踊らされるばかり。正解がないのは面白いとはいいつつも、そこに誇りはありません。思考を信じるほど、削られる構造です。
広告代理店に向いてる・向いていない
ここまで言っておいて、私はなぜ広告代理店に勤めているのだろうかと自分自身に疑問を抱きます。お給料がいいというのは一つありますが。けれど、もう限界です。ライターにはたくさんの種類があり、適性が大きく変わってきます。
向いてる人
- パズルが好き
- 制約がある方が燃える
- 感情を切り離せる
- 「作業」と割り切れる
向いてない人
- 言葉に意味や美しさを求める
- 書くことで自分を表現したい
- 思考を否定されると削られる
私は、明らかに後者でした。やってみて、始めて理解しました。私は広告代理店など無理だと。
それでも、感性タイプが完全に死ぬわけじゃない
レギュレーション下で「事実しか書けない=文章が死ぬ」そう感じる人は多いと思います。というか、それ私の感想なんですけどね。ただ、実は、唯一の逃げ道があります。
事実 × 文脈
↑これを使うこと。ベネフィットでもありますが、逐一文章にそういうのは入れません。NGくらうので。だから、文章全体を見た時の構成として、ニュアンス的に入れるわけです。
❌「朝までぐっすり眠れます」
⭕「眠れない夜が続くと、翌朝まで重たさが残りますよね。もし、・・・」
❌「これで、改善します」
⭕「そういう日々を、どうにかしたいと思う方も多いはずです。実は、それこそが・・・
判断は、読者に委ねるという意識。感性は捨てるものではありませんし、感性のない文章など、どんな人にも届きません。
だから私は、ブログを書くと楽しい
書くことは好きです。とりわけ楽しいのは、ブログです。レギュレーションがありません。人に指摘されて修正する必要がありません。精度を追求しなくてもいい、自由な世界なのです。
自分なりの文脈を信じていい。世界観をつくっていい。思考を出していい。自由だから。
ここで私は、ようやく「自分の畑」に戻れた感覚がありました。結局、企業の元で働くという以上、創作的なライターのような仕事であれど、大なり小なりレギュレーションばかり。自由などありません。でも、だからこその一定基準のものが出来上がるのです。企業という一つの体のうちの一部として、働いているわけですから、自由を押し通すのは根本的に違いますよね。
結論|会社と切り離して、仕事を再設計していい
ライターにも、さまざまなタイプがいます。思考型は、こだわり派ともいえるでしょう。だから、真剣にじっくりと思考をし、言葉を選んでいく・・・。その理解を、会社や業務に求めるほど、つらくなるのはある意味では当たり前かもしれません。会社はそれを求めていない場合が多いです。ましてや広告代理店というのは、こだわりなどはありませんから。極論だけれどね。
そんな畑違いなところでライターとして働く中で、GPTとの壁打ちは一つの救いでした。もし、壁打ちできていなかったから「私の技術が乏しくて記事LPが書けないのかもしれない」と思っていたでしょう。すでに他で実績をつくってきたライターでもある私が、ここまで落ち込んでいたくらいです。そんなぐちゃぐちゃした思考の中で、GPTはつねに客観的でした。
だから私は、仕事を会社と切り離して考え始めています。自分を責めるのではない。自分に呪いの言葉を向ける必要などない。自分の畑で、自分の言葉を使おうと思い起こさせてくれた経験でした。そう思うと、畑違いな場所で働いたという経験は貴重なものかもしれませんね。すべてのライターに幸あれ。


