人間と家畜と獣──創世記1章に見る生き物の距離感

    私たちは日々、犬や猫、牛や馬など、様々な動物と関わりながら(物理的ではないにしても)暮らしています。彼らは人間にとって、ただの「生き物」ではなく、癒しや助け、時に食物として生活の一部として存在しています。しかし、聖書の創世記1章を見ると、神は動物を一まとめて創造したのではなく、「家畜」と「獣」を明確に区別して描かれています。ここには、人間と動物、そして自然との関係について深い意味が込められているのだと思います。少し考察してみましょう!


    INDEX

    創世記1章にて、動物が誕生する

    家畜 獣 違い

    神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。 神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。

    旧約聖書 創世記 1:24-25

    家畜、這うもの(=蛇)、地の獣、とそれぞれ役割のように神様がわけられています。ひとまとめに、例えば「地の生き物」などとは言っていないのです。

    家畜とは何か

    家畜とは、人間の生活や産業の役に立つよう飼育される動物を指します。牛や豚、鶏、羊などが代表的です。特徴は次の通りです。

    • 人間の管理下にある
    • 食料や労働、資源の供給を目的としている
    • 人に馴れており、名前を付けて愛情を注ぐことも可能

    現代でいう「ペット(愛玩動物)」も、人間と距離が近いという点で共通しています。犬や猫は家畜とは目的が違いますが、共に生活し、癒しや愛情を与えてくれる存在です。ペットは家族だ、という人もいますよね。愛情があるからこそそう言えるのでしょう。


    獣とは何か

    獣は、野生の動物で、人間の管理下にはない存在です。ライオンや熊、狼、イノシシなど、ペットとは別枠の生き物をイメージしてください。野生に生きていて、人の管理外にいるような逞しい生き物です。とてつもない種類があるとは思いますが、主な特徴は次の通りです。

    • 自然界で自律的に生きている
    • 危険や神秘性を持ち、観察対象になることもある
    • 人間の生活の補助にはならない

    獣は、人間と同じ世界に生きているとはいえ、自由でコントロールできない存在です。木や花が自然に育つのと同じように、獣も神の秩序の中で自律して生きています。


    家畜と獣、そして助け手としての人間

    創世記2章には、神がアダムにこう言った場面があります。

    また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。 そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。

    旧約聖書 創世記 2:18-20

    ここでいう「助け手」は、家畜やペットではなく、同じ人間であるエヴァ(女性)を指します。ポイントは以下の通りです。

    • 助け手は対等な存在で、心や判断、責任を分かち合える
    • 愛玩や管理の対象ではなく、対等に共に生きるパートナー
    • 家畜やペットのように温かみや癒しを与える存在とは別の役割

    家畜やペットは、人間に近く温かみを持つ存在ですが、真に助け合うことはできません。神が用意した「助け手」とは、対等な関係性の中で共に生き、助け合うことができる存在なのです。


    人間・家畜・獣の距離感

    まとめると、動物と人間の関係は次のように整理できます。

    分類役割人間との関係
    家畜・ペット生活の補助・癒し従属的・愛玩的・管理下
    自然界で自律して生きる独立・野生・観察対象
    助け手(人間)判断・責任・愛の分かち合い対等・共に生きるパートナー

    神は創世記で、人間と動物の距離感を明確に示しました。家畜やペットは限りなく近い存在ですが、助けや判断を分かち合えるのは同種の人間です。この区別は、私たちが自然や生き物とどのように向き合うかを考える上でも、とても興味深い視点を与えてくれます。


    補足|近年の熊の被害について

    今回の記事を書こうと思ったきっかけは、熊の襲撃事件が相次いで起こっているというニュースを耳にしたことがきっかけです(2025年8月)。

    この記事的に言うならば、熊はペットではなく、獣として分類できますよね。聖書をよく見てみると、人はすべての動物を管理下に置くことなどできないのだなと感じさせられます。「土を耕すこと」と「すべての生き物に名をつけること」がアダムに与えられた仕事でした。家畜と獣とを神様が区別したあたり、世間の熊襲撃事件は、人間の管轄外ゆえの、いわば自然災害、天災に近いものかもしれませんね。亡くなられた方、ご遺族の方にはご冥福をお祈りいたします。

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