今、私が最も気になる人・・・それはアウグストゥス! 古代ローマの歴史を調べると、実に興味深いです。現代に通じるものがありますし、特に芸術分野ではヘレニズム文化も相まって、知れば知るほど面白いです。そんな古代ローマ帝国の創始者・初代皇帝アウグストゥスとはどんな人物だったのか? マーケッター視点でさらりと解説していきます!
あなたのアウグストゥスへのイメージは?

彼の人となりをお話ししていく前に、そもそもこれを読むあなたはどんなイメージがありますか?英雄なのか、独裁者なのか、神のような存在なのか──実は、見る人によって変わってくる掴みにくい人物でもあります。私はアウグストゥス像を見た時に、直感的に征服者だと思っていました。ちなみに今は違うイメージを持っています。
ともかく、どんな人かといえば、アウグストゥスは武力ではなく「流れ」を制した人物だと思うのです。
そして彼の権力は、いわば古代版マーケティングによって支えられていたと言っても過言ではないなと。まぁ、なんといいますか、彼の叔父(のちの養父)カエサルのような華やかなカリスマ性とは別の、着々と進める冷静なカリスマとでもいいましょうか。
生い立ち|決して「強者」から始まっていない

アウグストゥスは、紀元前63年に「ガイウス・オクタウィウス」として生まれました。ちなみに、アウグストゥスは皇帝になった時に言われた名です。ともかく彼は、
- 名門貴族ではあるが、超一流ではない
- 体は病弱気味、活発なタイプではない
- 年齢若く、政治的後ろ盾も弱い
正直、当初は権力争いで生き残るタイプには見えなかった人物です。しかし彼には、決定的なカードがありました。それがユリウス・カエサルの養子に指名されたこと。そのカエサルがブルータスたちによって暗殺(紀元前44年)され、18歳のオクタウィウスは一気に歴史の表舞台に引きずり出されます。
三頭政治の時代|最初から「一人になる」前提だった

カエサル亡き後、ローマは再び内戦状態に入ります。ここで成立したのが、有名な「三頭政治」でした。その名の通り、三人の有力者によって政治を動かしていくというやり方。今で言うならば、一つの国に三人の大統領がいるイメージでしょうか。
- オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)
- マルクス・アントニウス
- レピドゥス
メンバーはこの三人でした。歴史的には「三人で国を治めた」なんてサラッと言われているところもありますが、実態はまったく違います。これは最終的に一人が残るまでの時間稼ぎの同盟でした。三人仲良く、なんてことはなかったのです。
アントニウスは軍事の天才。レピドゥスもそれなりの実力者(影は薄いかも?)。オクタウィアヌスは、正直この時点では圧倒的に歳若く、最弱です。しかし彼は、戦場ではなく、世論と正当性の戦場を見ていました。また、何よりもあのカエサルの養子であり、事実彼を見てきました。
アントニウスとの決定的な違い|勝ったのは「物語」

オクタウィアヌスもとい、アウグストゥスにとって一番の宿敵となってしまったアントニウス。アントニウスは軍人であり、カエサルと共にいた人物でもあります。そんな彼に勝った最大の理由は、実際は戦いではありますが、それ以上に「意味づけ」にありました。
彼はアントニウスをこう描きました。
- ローマの価値を捨てた男
- 異国の王族クレオパトラに溺れた裏切り者
- ローマ市民ではなく、異国に心を売った存在
事実、そうでした。その結果、アクティウムの海戦(紀元前31年)は単なる内戦ではなく、「ローマ vs 異国」という構図にすり替えられます。ローマ市民としても、アントニウスに苦い心象を覚えますよね。
アウグストゥスがつくった流れではありませんが、この状況を上手く使ったのは確かです。なんとなく、古代なりのマーケティングの原型が見えます。(ただの状況といえばそれまでですが)
レピドゥスはなぜ脱落したか
三頭政治のもう一人、レピドゥスにも触れておきましょう。正直、アウグストゥスやアントニスと比べると軍事力も物語も弱かったのは事実です。そもそも彼は、貴族です。軍人ではありませんでした。戦いなどもってのほか。
政治的な意味で野心こそありましたが、初めから戦いの土俵には上がっていなかったのでしょう。アウグストゥス自身は彼を殺さず、辱めず、自然消滅させたも同然。フェードアウト。
皇帝になった瞬間|自分から王座に座らなかった男

紀元前27年、アウグストゥスは突然こう宣言します。
「すべての権力を元老院に返還する」
普通なら、これは政界引退宣言です。しかし元老院は逆にこう応えました。
「あなたが必要だ」
そして与えられた称号がアウグストゥス(尊厳ある者)なのでした。
重要なのはここです。
- 王とは名乗らない
- 独裁者とも言わない
- 共和政の形式は残す
つまり、支配者ではなく、(みんなに)必要とされた管理者として立ちましたよ、という流れの中で確立されたのがアウグストゥス。そもそも、もうこの時点で彼に敵う勢力などありません。まるで、カエサルの再来かのようでした。ここまで物語を築いてきたことこそ、アウグストゥスが長期政権を築けた最大の理由だと考えられます。
実際のアウグストゥスはどんな人物だったのか

歴史資料から見えるアウグストゥス像は、意外なものです。
- 病弱で神経質
- 派手さはない
- 感情より秩序を重視
- 自分を誇示しない
- だが、徹底して現実的
比べるとしたら、カエサルが良いでしょう。彼は華やかで人気者のカリスマリーダー。アウグストゥスは静かだけれど威厳のある静かなるリーダー。共に違った意味でのカリスマ性を備えていました。
10代の頃のアウグストゥスを見た時から、カエサルは何か感じ取っていたのかもしれませんね。カエサルの築き上げてきた戦果。これを整え、帝国を築く人物こそ後継者・アウグストゥスだと・・・。
なぜあの像(アウグストゥス像)が作られたのか

見た目は自然体なのに、中身はゴリゴリの政治広告!私にはそう見える、かの有名なアウグストゥス像。
有名なアウグストゥス像(プリマ・ポルタ像)は、単なる記念彫刻ではありません。あの像には、明確な意図があります。そもそも、足元の赤ちゃんみたいなキューピットは何やねん?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。私がそうでした。この威厳ある像には色々な意味が込められており、
- 若く理想化された肉体(永遠性)
- 鎧に刻まれた勝利の物語
- 足元のキューピッド(神の血筋)
- 裸足(人間を超えた存在の示唆)
まるで、神だとでも言いたいかのようなアピールですよね。しかし重要なのは、露骨に「神だ」とは言っていないこと。これは信仰ではなく、ブランディングです。ごりごりにマーケティングですね。
- 民衆には「なんとなくすごい」
- 教養層には「象徴が読める」
- 反対派には否定しづらい曖昧さ
完全に、古代ローマ版マーケティング戦略です。とはいえ、アウグストゥスという人物は「周りが煽てた」結果でもあり、「本人が設計した古代マーケティング」でもあり、そして本人は意外なほど神になる気はなかった人だと思うのです。ただただ、平和なるローマ(パクス・ロマーナ)を築きたかったのでしょう。それが、彼の数々の成果から見て取れます。
アウグストゥスが成し遂げたこと
① お金がちゃんと使えるようになった
- 金貨・銀貨の発行を整理
- 品質を統一
- 「どこで使っても同じ価値」のお金にした
つまり、商売がしやすくなったということ。だから、市場が回り、市民ん生活が安定していったのです。
② 道と港を整えた(インフラ整備)
- 石畳の街道を整備
- 港・橋・水道を拡充
- 郵便・伝令網を整える
人も物も情報も早く動くと、仕事が増え、地方も豊かになります。広げた領土が整っていきました。
③ 税が「突然奪われない」ようになった
- 属州の税制度を見直し
- 役人の不正を減らす仕組みを導入
- 地方総督の権限を制限
無事に暮らせる安心感が必要でした。その前までは、戦さばかり。反乱が減ることで、国も安定します。市民も安心ですよね。
④ 軍隊が勝手に暴れなくなった
- 軍を国家管理に
- 退役兵に年金・土地を支給
- 将軍の私兵化を防ぐ
市民が軍に怯えなくていい社会です。内戦の終わりを意味しました。
⑤ 都市がきれいになった
- 神殿・広場・公共建築を整備
- ローマ市を大改造
有名な言葉があります。「私はレンガのローマを受け取り、大理石のローマを残した」。誇れる都市になることは、国に属している実感も生まれますよね。
⑥ 戦争のない時代を作った(パクス・ロマーナ)
- 大規模内戦が終結
- 国境以外で戦争がほぼ起きない
普通の人が普通に生きられる時代。これこそ、パクス・ロマーナ(ローマの平和)!
つまり・・・
アウグストゥスは、
- お金を安定させ
- 道と水を整え
- 税と軍を管理し
- 戦争を終わらせた
古代ローマに住まうすべての者にとって、「暮らしが成り立つ国」として初めて完成させた人なのです。この安定があったからこそ、この古代ローマは200年以上も築けたともいえます(途中、おかしな皇帝も出てきますが)。そんなアウグストゥスは「英雄」というよりも、「平和をつくった人」ともいえます。
アウグストゥスは本当にすごい人だった
正直、個人的にはカエサル以上にカリスマ性を感じずにはいられません。ましてや、のちのヨーロッパで有名になる、ナポレオン・ボナパルトよりも遥かに威厳を感じます。ちなみに急にナポレオンが出てきた理由ですが、彼はおそらく古代ローマを意識していたのではないかという憶測も兼ねてです。アウグストゥスに憧れる人はきっと多かったはず・・・?
話はそれましたが、アウグストゥスは歴史を見ても稀に見るリーダーのように見えませんか?権威を自己のためではなく、人々のためにと正しく使っていたようにも見えます。それに、見せ方も上手ですね。流れを掴むところもさすがです。そんなアウグストゥスは
- 最強の武将だったからではない
- カリスマ的演説家だったからでもない
しかし、「人が何を信じ、どう納得するか」を理解していたからでしょう。
まとめ|アウグストゥスは「静かな革命家」だった

アウグストゥスとは、一体どんな人? この謎は解けたでしょうか。
- 剣よりも流れを読み
- 声を荒げず
- 自分を神にせず
- それでも世界を変えた
静かで、冷静で、恐ろしく頭のいい人物でした。だからこそ、2000年以上経った今も、あの像は静かに、けれども多くを語り続けているのです。
「この人は特別」「神に近い」という物語性ある民衆の思いがあり、元老院たちが持ち上げ、アウグストゥスはこの流れを読み、自ら立ったのでした。理屈ではなく、「そう思ってしまう」構造が出来上がっていたのでした。これが、私の感じた古代のマーケティングです(現代では到底真似できない知性の高い構造だなと)。
きっと、アウグストゥスは最初から「皇帝になろう」とは思っていなかったと思います。それこそ、三頭政治前までは。しかし、このあたりから「最後に残るのは自分だ」という流れとして、かなり早い段階で読んでいたのは間違いありません。でなければ、ここまで華々しく、心理をつかって昇華できなかったでしょう。恐ろしいほど高度なマーケティング・・・いえ、アウグストゥスの知性!



