「血は命」──この言葉が、こんなにも腑に落ちる日が来るとは思っていませんでした。私は仕事で、整体やヘルスケア分野のマーケティングに関わっています。そこで、聖書が述べていた食と健康に関することが恐ろしく合致していたため、誰かにシェアしたくて記事にしました。
結局、人間の体は“血流を正しく整える”だけで、驚くほど改善する。
世の中には「ゴッドハンド」なんて呼ばれる腕利きの整体師さんがいます(このネーミング、クリスチャンの私にとっては凄くモヤモヤしますが)。身体の不調を瞬く間に大改善していくような事例が、この世界にはいたるところにあります。そんな整体師さんとタイアップするマーケティングをお仕事でしているわけですが・・・なぜ彼らが凄い腕をもっているのかがわかっちゃいました。
整体に訪れた患者さんが、たとえば脳梗塞の後遺症で麻痺になっていたとして、とある施術をすればたちまち動き出すだとか、何十年も続いた肩の重さが一瞬で軽くなり、可動域が広がり柔軟になるなど。そんな奇跡のような出来事のカラクリはシンプルだったのです。実は「血液の流れがよくなっただけ」で起きているのです。
病気は「血が汚れている」サイン!?
身体の不調や病気の原因は、言い切りはできません。それを前提にあえていいたいのですが、血液の問題を解決すれば、大抵の問題は解決するのでは・・・と思ったのが私なりの意見です。ただ、私は医者ではありません。マーケッターなだけです。多くの凄い腕利きな人を見てきた中で、血に関するアプローチをするのが共通事項でした(整体師さんでも自覚していない人が多いですが)。
話は逸れますが、今所属している会社にて、水素の商品も取り扱うことになりました。水素を吸えば、血液の毒素が緩和され、綺麗な血になり、不調が改善されていくというもの。これ、エビデンスもしっかりしているんです。やはり、血にアプローチしているんですよね。それこそ、手術が必要と言われたような患者さんでも、血液を健康的に変えるだけで(毒素を諸々改善、血流を良くしたり)、健康を取り戻しているケースも本当にありました。
「血=命」という真理
私たちの命は、健康で左右されますよね。病気になったり、不調が出ると、それだけで日常生活は一気に辛いものになります。しかし、健康でいられたら何だってできるかのように可能性で満ち満ちていきます。このように健康を左右するのは血です。血こそ命なのです。
それは近年で周知されたことではなく、すでに聖書が書かれた時代からありました。それこそ、モーセの時代で、血の重要性は語られているのです。モーセが活躍したのは紀元前16世紀または13世紀頃と推定されています。したがって、今から数えると、約3400年から3700年前ということになります。そんなにも前からということ、凄いと思いませんか?
レビ記で語られている血の話
すべて肉の命は、その血と一つだからである。それで、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命はその血だからである。すべて血を食べる者は断たれるであろう。
旧約聖書 レビ記 17:14
命あるものの本質は「血」にあるということ。だからこそ、旧約聖書では血を食べてはならない(飲んではならない)という厳しい戒めがあります。それほどまでに、血とは神聖であり、命そのものなのです。
「何を食べるか」が命を左右する
血と健康を考えた時、整体以前の話になります。私たちの身体に取り込む「食材」について。これこそ、血の状態、ならびに命を左右するといっても過言ではありません。食べたものこそ、私たちの血肉、身体そのものになるのですから。
私たちは何を食べるべきか?
私たちは自由意志を与えられているので、基本的に何を食べても自由です。しかし、その選択の積み重ねが命をつくります。聖書ではこう記されています。
神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
旧約聖書 創世記 1:29
創造のはじめに、神が人間に与えた食物は「植物」でした。アダムとエバが木の実を食べていたように、人間の本来の食事は植物中心だったのです。ベジタリアンってことですね。殺生などなかったのです。
しかし、アダムとエバは罪を犯し、またその子孫も罪を引き継ぎ、やがて肉食が始まります。
肉食の起源と制限
その後、ノアの代で肉食が許されました。アダムとエバの系譜から、10代目がノアに当たります。年数的には約1050年後です。ノアの時代では、すでに地上はあらゆる悪徳に満ちており、神様はすべてを滅ぼすことを決めるほどのものでした(ノアの大洪水)。そんな中でも、ノアとその家族は神様の目に留まった正しい人として、箱舟によって大洪水を免れたのです。その後に、肉食が許されました。
すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。 しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。
旧約聖書 創世記 9:3-4
肉食は“命を奪う行為”
大洪水のあとの地上はどんな状態だったでしょうか・・・。ノアたち家族は、食べる物がなかったかもしれません。神様の計らいは私たちの想像を超えるものでしょうけれど、命を繋ぐためにと許されたのです。とはいえ、忘れてはならないのは、肉食とは命を奪う行為だということ。扱い方には慎重であるべきだと、聖書を見れば如実にわかりますね。感謝の心を持ちたいものです。
栄養学と聖書の間にある、命の真実
突然ですが、私は栄養士でもあります。「肉=タンパク質」として、積極的に推奨する立場にいました。そのように学んできたからです。最も、他にもタンパク質が取れるものはたくさんありますが、肉は献立に何かと取り入れていくのがセオリーみたいになっていました。
クリスチャンになってから、私はこれまで学んできた栄養学に疑問を抱くようになりました。なぜなら、肉にはリスクがあるから。特に豚です。これは私の個人的な話になりますが、高校2年生のときに豚肉による食中毒を経験しています。後から聖書を読むと、豚は“食べてはならないもの”とされていました。
主はまたモーセとアロンに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『地にあるすべての獣のうち、あなたがたの食べることができる動物は次のとおりである。 獣のうち、すべてひずめの分かれたもの、すなわち、ひずめの全く切れたもの、反芻するものは、これを食べることができる。 ただし、反芻するもの、またはひずめの分かれたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、らくだ、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。
旧約聖書 レビ記 11:1-4
豚、これは、ひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである。 あなたがたは、これらのものの肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。これらは、あなたがたには汚れたものである。
旧約聖書 レビ記 11:7-8
これらは、宗教的な意味不明な戒律などではなく、神様が私たちの健康のために仰っているんですよね。すべての生き物には役割があり、必ずしも人間の食べる物として適しているわけではないことも伺えます。世間の当たり前は、当たり前ではないのかもしれません。
海の生き物にも“聖書の基準”がある
レビ記には興味深いことがたくさん書かれています。人間に適したものを知りたいのであれば、聖書を読むのが一番早いです。とってもわかりやすく、すべて書かれていますから。聖書は決して古い書物ではありません。いつまでも理に叶っている、どこまでも最新のお話なのです。
ともあれ、地に住まう動物だけに限りません。海のものでも、ひれとうろこのない生き物──例えば貝類やナマコ、ウナギなどは、聖書では「忌むべきもの」とされています。
水の中にいるすべてのもののうち、あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。すなわち、海でも、川でも、すべて水の中にいるもので、ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。 すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいて、ひれとうろこのないものは、あなたがたに忌むべきものである。
旧約聖書 レビ記 11:9-10
私はあさりが大好きなのですが、最近の報道で「あさりから発がん性物質が検出された」という話を知り、愕然としました。でも、冷静に考えると納得できます。貝は“自然界の濾過装置”みたいなもの。冷静に考えて、海の汚れを吸収して生きる存在です。それをそのまま食べているのですから…。ここまで普段は考えが及びませんが(貝と聞くだけで食べたくなるし)、病気のリスクも高いわけです。牡蠣もそうですよね。おいしいけれど。
食べ物の選択=命の選択
あれもだめ、これもだめ。・・・じゃあ、どうしたいいの!?なんて思った方はいますか?ご安心ください。何もかも、決まり事のように守る必要はないと思います。もっとも、聖書の教えに従うほど、健康に近づくとは思いますけれど。ただ、そのために精神的に苦しくなる必要はないです。
私たちには自由意志がありますから。食べることは、究極の「自分で選ぶ命の管理」なのです。神様は食物以前に、私たちに自由意志をお与えになっています。人間をロボットのように言い聞かせようなんて、一度だって考えておりません。聖書の教えは、いわば「天のお父様からの愛のメッセージ」みたいなもの。親の言うことを聞くも、聞かぬも、子供の自由意志ですから。
わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。 もし食物のゆえに兄弟を苦しめるなら、あなたは、もはや愛によって歩いているのではない。あなたの食物によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも、死なれたのである。
新約聖書 ローマ人への手紙 14:14-15
つまり、神様は「これを食べなさい」と強制しているのではなく、「どうぞ、選びなさい」と優しく教えてくれているのです。私たちは命をもって生かされています。その命の流れ=血液を汚さないようにするには、まず“何を食べるか”を見直す必要がありますね。それだけのこと。そして、大事なこと。
まとめ|「健康=血液=命」…その核心にある真理
私はいつのまにやら、健康に関する何かに携わってきた人生でした。高校生では重度の食中毒になり、病室では死を覚悟なんて言われたくらいの苦しさを経験しました。自分のお股から流れる血が、こんなにも真っ赤だったとは・・・今でも脳裏に焼き付いています。恐ろしい体験でした。
大学では栄養学を学びました。栄養学の歴史は100年に満たないでしょう。戦後、GHQによって持ち込まれた学問だと、後々に知りました。そして、仕事ではヘルスケアに携わっています。自然といろんな情報は耳にします。そして、聖書。ここで健康の本質を知りました。
そんな私が思うに、聖書ほどシンプルかつわかりやすく、一番優しくも正しい健康の教えはないと思っています。世の中に溢れるあらゆるものは、複雑です。そして、どこもかしこもマーケティングだらけ。お金を得ようとする働きがあるため、複雑化していきます。聖書にはそれがありません。本当にシンプル。
最後に感想として・・・私たちのこの命、そして血に対して、そして他の生き物の命や血に対しても、もっと深い思考をもって生活していくべきだと考えさせられました。あなたはどうでしたか?参考になれば幸いです。