私は聖書を知らなかった頃、この世界がなぜ悪に満ちているのか理由がわかりませんでした。人が人を殺すこと、それも残忍なやり方など・・・とにかく人間ほど悪意に満ちているものはないと恐れを抱いていました。悪とは何なのか?私がクリスチャンになり、色々と学んできてようやく一説明ができそうです。それは、人間の起源と関係があったのです。すごく大事な話なので、ぜひ最後までお読みいただければと思います。
現代の“悪”の正体とは何か?
日本のみならず、世界中で暴力・戦争・性の乱れ・分断・虚しさで満ちています。表面化せずとも、人それぞれが心の内にも抱えていることでしょう。こうした現代の“闇”の根源は、実は最新の問題ではなく、遥か昔のーーー4000年以上前のカインとアベルの時代(※1)にまでさかのぼることができます。
※1:人間の始祖・アダムとエバの子供たち(カイン、アベル、セツ)
人間には二種類しかいない――カインとアベルが象徴する分岐点
聖書は常に二分化された人類を描いています。それは、「神を知る者」と「神から離れた者」。アベルとカインはまさにその原型。現代の混沌も、今に始まったことではありません。とはいえ、「神話でしょ?」「科学的な証拠はあるんですか?」など、疑いを感じる方もおそらくいらっしゃるでしょう。説明するにあたり、世界最古の書物であり、世界的ベストセラーでもある「聖書」に書かれています。じっくりと読み解いていけば、すべて書かれているのです。
罪から生まれた子供・カイン、そしてアダム
アダムとエバは、神様から背いてしまい、いわば裏切ってしまいました。神様の言葉ではなく、蛇(に憑依したサタン)の言葉を信じてしまいました。二人は罪を身に受け、それでも子供を産みます。これは神様がお許しになったことです。罪の中ではありますが、祝福でした。
そして、アダムとエバの初めての子供がカインでした。名前の意味は「得た」です。初めての子供ですから、嬉しかったのでしょう。そして、二人目の子供も生まれます。カインの弟となる、アベルでした。名前の意味は「空虚」です。なぜこの名前なのか、、何かあったのでしょうか。詳しいことは聖書に書かれていませんが、大体想像はつきます。
アベルが生まれる前、カインのことで何かしら心の痛みを覚えたのかもしれません。子供という新しい命は祝福すべき素晴らしいことですが、二人目の子の誕生時には、最初の時のような喜びはなかったのかもわかりませんね。これは憶測です。
ともあれ、「得た」カインこそが人類最初の殺人者となり、「空虚」なアベルこそ神に喜ばれました。
さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
旧約聖書 創世記 4:1-2
人類史上、最初の殺人者・カイン

なぜカインはアベルを殺したのでしょうか。一連の流れは、創世記4章を読むと、如実に描かれています。ここでまとめるならば、神様への供物がアダムだけ受け入れられ、カインのものは受け取ってもらえませんでした。それをカインは、神様のエコ贔屓だと思ったのでしょうか。嫉妬や怒りで、アダムを殺してしまったのです。
もちろん、神様は見ておられました。神様には隠し事などできません。そんなカインに優しく声をかけた神様でしたが、カインはどこまでも自己弁護し、神様から逃げようとしました。神から離れる者の心理。殺人そのものも大問題ですが、それと同じくらいに“神を拒否したこと”も、悪の起源に起因しています。
主はカインに言われた。 「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」 カインは答えた。 「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」 主は言われた。 「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。 今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。 土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
旧約聖書 創世記 4:9-12
神様から離れた者の末路
カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。
旧約聖書 創世記 4:16
ちなみに、ノドの地は比喩なのか、本当の地名なのかは不明です。どちらにしても、カインは定住地を持つことができなかったのでは・・・と個人的には考えています(多分、比喩)。犯した罪のゆえに土地が呪われ、耕しても実を結ばないために定住することができず、結果として放浪せざるを得なくなったのでしょう。かといって、寄留者とも言えません。寄留者とは、本当の場所・目指すべき場所(=天の御国)があるからこそ、この地は寄留の地と表現できるのです。カインの場合は居場所がなかったことでしょう。
カインの末裔たちと堕落の系譜
ここから、罪(悪)の連鎖が始まります。カインはそれから結婚をし、子孫が続いていきます。エノク、イラデ、メホヤエル、メトサエル、レメク・・・と、ノアの大洪水の時まで系譜は続いていきます。これは十代ほど続くのですが、もはやこのたった十代で地は暴虐に満ちていったのです。罪の連鎖は凄まじいものでした。
セツ(アダムの代わり)の系譜が示すもうひとつの人類の道
話は変わって、アダムとエバに戻りましょう。カインの人殺しを知り、二人はどれだけ衝撃を受け、悲しんだでしょうか。あのエデンの園での生活が嘘のように、現実は残酷でした。息子のアベルも瞬く間に失いましたから。そんな二人に、新たな命が与えられます。神様はアベルの代わりに、セツという息子を与えてくださったのです。その子はまるでアベルのようでした。
さて、セツの系譜にも“エノク”と“レメク”の名が登場します。まるで、カインと対比させるかのような、偶然とは思えない何かを感じませんか?神様の取り計らいでしょう。そして、これから先の人類へと向けた、生きた教え・反面教師だとも考えられます。ともかく、エノクとレメクという子孫は、まったく同じ名であれど、彼らの生き様は正反対。ここに「二つの道」が示されています。
従う者・エノク
エノクの意味は「従う」です。
セツの子孫の方のエノクは、神様に従いました。一方、カインの子孫の方のエノクは、カインの教えに従いました。つまり、自分自身を神とみなすかのような自己顕示、利己的さ(それこそ殺人をも厭わないような)といった道です。罪から広がった、さらなる罪の連鎖が子孫へと受け継がれていくのでした。
エノクの父親であるカインは、エノクが生まれてから街を立てます。そして、その街の名前をエノクと名付けているのです。これ、現代の私たちからすると、特に違和感はないかもしれません。自分の名前をブランド化する人もたくさんいますから。しかしこれは、自己顕示欲とも言えます。殺人も欲望も丸出しな父親を見て育つ子供・・・一体どうなるのか。少し考えればわかりますよね?
強い者・レメク
系譜はまだ続きます。そして、レメクについて。その名の意味は「強い者」です。
セツの子孫の方のレメクは、ノアを産みました(ノアの大洪水の、あのノアです)。神様が悪で満ち満ちた世界を滅ぼそうと決めた時も、ノアは正しい人ゆえに箱舟で守ってくださいました。ノアとその家族以外の人類は大洪水で滅んだのです。そんなカインの子孫の方のレメクは、「やられたらやり返す(殺人すらも)」という恐ろしい思想をもっていました。
さて、レメクは妻に言った。 「アダとツィラよ、わが声を聞け。 レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。 わたしは傷の報いに男を殺し 打ち傷の報いに若者を殺す。 カインのための復讐が七倍なら レメクのためには七十七倍。」
旧約聖書 創世記 4:23-24
怖いことを言ってますよね・・・。積極的な殺人を促しているも同然です。これはカインから続く、いわばカイン宗教みたいな罪そのものな思想です。
現代にも受け継がれる“カインの思想”――愛の冷えた世界
“やられたらやり返す”思想は、結構多くの方がお持ちなのではないでしょうか。東京都内をずっと生きてきた私の個人的な話にはなりますが、この思想が出てくる場面をたくさん見てきました。たとえば、肩がぶつかってしまったら、思いっきりぶつかり返す・・・みたいな。愛がとことん冷えています。
そして、一夫多妻。日本では法律こそ認められていませんが、不倫は思っている以上に多いことでしょう。結婚している身でも、他の異性と不純な関係をもったり、または望んでいたりなど。性に関するあらゆることが不純になり、めちゃくちゃです。ここで書ききれない恐ろしいこともたくさん。
また、圧倒的な利己主義。とにかく自分が可愛く、自分さえよければそれでいいという、愛のカケラもない時代が現代です。たくさんの人を押し除け、人を人として扱わず、他者がどうなろうと知ったこっちゃないという価値観。過度なまでの自分第一。
・・・まるでカインの末裔たちのような人でいっぱいなのが、今の社会。もう世界全体として、終わっていませんか?こんなこと、決して普通の価値観なんかではありません。カインの系譜から続く罪です。それこそ、ノアの洪水で一度は滅んだものの、人間が続く限りは罪はどこまでも追いかけてくるのです。
罪を取り除ける方は、イエス様だけです
どうしようもない時代です。今だけではなく、カインの頃からずっとずっと続いています。罪はどこまでも続きます。アダムとエバを唆した蛇(サタン)は、現代でも変わらず働いています。この終わりのない地獄のような残酷さは、一体どうしたらいいのでしょう。どうしたら救われ、人々は幸せに生きられるのでしょうか。
ここで、パウロがあることを会衆に言いました。パウロは元イエス様を捉えようとしたローマの弾圧者でした。しかし、イエス様が誠の神であり、自分の救い主だと認めた時、彼は改宗してクリスチャンとなりました。罪から解放されるには、どうすべきか・・・それを教えてくれているのが以下です。
神はあらゆる預言者の口をとおして、キリストの受難を予告しておられたが、それをこのように成就なさったのである。 だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。 それは、主のみ前から慰めの時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。
新約聖書 使徒行伝 3:18-20
悪の栄えの世から逃れる道
この記事を書いている私もそうです。どんなに世界が残酷でも、私には力強い方を知っています。イエス様です。このお方は遠いところから私を見張っているような怖い存在などではなく、いつだって側にいてくださいます。罪まみれな私の目には見えませんが、それでもわかります。
私が心を守れているのはイエス様を知ったから。もし知らなければ、今頃この世の悪に呑まれていたでしょう。救いの道は今も差し出されているのです。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
新約聖書 ヨハネによる福音書 14:6
わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。
旧約聖書 エレミヤ書 33:3
いつだって、呼び求めれば、神様は必ず私たちに答えてくださいます。それを私は知っています。何度も体験してきました。
カインにならないために、今をどう生きるか?
人類はとっくの昔から二極化しています。人間は最初こそ、正しく造られました。神様の姿形(心も)型どられ、美しい存在としてエデンの園に住まわせてくださいました。しかし、罪がサタンによって入ってきてからは・・・神様にとっても不本意な方向へと人間は堕落していきました。カインは反面教師です。
あなたは今、どちらの道を歩んでいますか?二つの道があります。「神を知る者」と「神から離れた者」、どちらなのか。神様を知る人生は素晴らしいですよ。人それぞれに与えられた人生のテーマが見えてきますし、愛を知ります。個人的には、「やっと人間になれた」そんな思いがクリスチャンになってから湧き起こりました。それくらい素晴らしいのです。
罪をかなぐり捨て、イエス様を見つめてみませんか?
