【もう生きていたくない】すべてが虚しく、喜びがない時

    私は時々、生きていることに絶望的な虚しさを感じ、もう生きていたくないと心から思うことがあります。生きていて楽しいことがあるだろうかと。生きていくと、辛いことの方が多いだろうと。こんな毎日、もう嫌だ。私はもう、これ以上生きていきたくないと一人泣くこともあります。そんな時、私は決まって必ず神様に慰められるのです。そんな証しをさせていただきます。

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    「もう生きていたくない」虚しさ

    私は人生で大きく二回、「もう生きていたくない」と思ったことがあります。一つ目は、社会人になって暫くの時、生きる希望が見えなかった頃の話です。当時はやりたい仕事もなく、すべてが辛く、虚しかったです。二つ目は、聖書を読み始めてから。語弊がないように言いますが、今日それをはじめて強く感じました。一つ目の時とはワケが違います。

    罪だらけの世界と自分、もう生きていたくない

    生きる希望が見えないというのは否定できませんが(むしろ思っている)、もっと別の意味合いもあります。聖書を知り、バプテスマを受け、神様の手を掴ませていただいた私が、こんなにも絶望していることに嫌気がさしてきたのです。

    この世を生きていく限り、私は何度でも罪にまみれ、その度に苦しみ、嫌な人間になり、世の中の嫌な人間と同化していってしまうのではと絶望しました。それならば、もう今すぐにでも死にたいと。これ以上自分が惨めにならぬよう、死なせてくださいと。

    明日、幸せがあろうか

    聖書を知り、本当の唯一の神様を知り、この世の悪だらけと堕落を改めて知り、私の心は虚しいのです。この虚しさ、本当に理解できる人はいるのだろうかと、まるでこの世のすべてを背負ったかのような暗い顔をして生きている私です。そんな私が嫌です。なんて傲慢だろうと共に、そのくらい気持ちが沈み、すべてに絶望しています。だからこそ、「もう死なせてください」なんて思ってしまったのだと、自分の心の弱さを再認識しました。

    聖書に出会わなければ

    私は最低なことに、ふとこう思ってしまうことがあります。「私がもし聖書に出会わなければ、こんなにも生きることを嘆いていただろうか。唯一の神様を知らず、出会うことなく、偽物の神々を拝んで、虚しいままごとを真面目にやっていれば、楽しく生きていられただろうか」と。・・・なんて最低な考えでしょう。しかし、そう思ってしまうほどに、心は砕かれていました。

    それでも、私は聖書に拠り頼む

    涙を流しながら、それでも私は聖書を開きます。聖書に出会わなければ、神様の御言葉を知ることなんてありませんでしたし、慰められることなく、明日や未来を憂いていたでしょう。「もし」なんてことは、それこそ虚しいだけです。もう頭で考えたくないので、私は縋るように聖書を開きました。導かれたのは、イザヤ書でした。

    神様からの最大の祝福が与えられた

    先に結論からいいますと、私はやはり神様に救われました。どんなに憂いていても、絶望していても、ましてや聖書と出会わなければなんて酷いことを考えてしまっても、それでも神様は私を捨てることなく、忘れることなく、私を救ってくれました。それが、下記の御言葉です。

    生きたくないと願った私への神様の御言葉

    喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ。 歓声をあげ、喜び歌え 産みの苦しみをしたことのない女よ。 夫に捨てられた女の子供らは 夫ある女の子供らよりも数多くなると 主は言われる。 あなたの天幕に場所を広く取り あなたの住まいの幕を広げ 惜しまず綱を伸ばし、杭を堅く打て。 あなたは右に左に増え広がり あなたの子孫は諸国の民の土地を継ぎ 荒れ果てた町々には再び人が住む。 恐れるな、もはや恥を受けることはないから。 うろたえるな、もはや辱められることはないから。 若いときの恥を忘れよ。 やもめのときの屈辱を再び思い出すな。 あなたの造り主があなたの夫となられる。 その御名は万軍の主。 あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神 全地の神と呼ばれる方。 捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように 主はあなたを呼ばれる。 若いときの妻を見放せようかと あなたの神は言われる。 わずかの間、わたしはあなたを捨てたが 深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。 ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと あなたを贖う主は言われる。 これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。 再び地上にノアの洪水を起こすことはないと あのとき誓い 今またわたしは誓う 再びあなたを怒り、責めることはない、と。 山が移り、丘が揺らぐこともあろう。 しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと あなたを憐れむ主は言われる。

    旧約聖書 イザヤ書‬ ‭54‬:‭1‬-‭10

    通常では考えられないすごい力がある

    やはり私はクリスチャンなのだと、改めて再認識させられます。これは誰もが読める言葉ですが、同時に、私にだけ与えられた言葉でもあります。神様に祈り、拠り頼み、いただいた言葉です。その時に読む御言葉には、通常では考えられない力を持ちます。涙が溢れてきて、私の虚しく空いた心が満たされていきます。もう、完全に神様に完敗であり、神様が私のすべてであり、拠り所なのだと魂の底から認識させられます。ここに理屈はもうありません。

    【さいごに】神様は私を喜び、愛しておられる

    目に見えることのない神様に対して、「なぜ、そんなことが言えるのですか?」なんて思った人はいませんか? 「神様は私を喜び、愛しておられる」だなんて、自己陶酔かなんかだと思うでしょうか。これはですね、まったくもって違うのです。私自身でも不思議なのですが、聖書の読み、心の底から神様に感服し、追い求めているうちに、絶対的にわかるようになりました。ここで私が一つ言えることは、私の愛する神様とは、遠くで見張っているような方ではありません。憐れみも怒りも、喜びも、私たちのように感情をもっておられます。そして、言葉をはっきりとくださり、愛の思いを向けてくださいます。ここに、説明など必要でしょうか。

    そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、 人は言った。 「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう まさに、男(イシュ)から取られたものだから。

    旧約聖書 創世記 2:22-23

    神様によってアダムにエバが与えられたように、神様もまた、人の存在を祝福されるのです。・・・ところで、いつのまにか、私の心から「死にたい」「生きたくない」という気持ちは消えていました。それどころか、命に喜びを感じます。この御業をおこなわれるのが、私の愛する神様であり、私の救い主イエス・キリストです。私には生涯、この神様が側にいてくださることを慰めとし、生きていくのだと思います。

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