日本の夏といえば「お祭り」。神輿や花火、屋台の賑わいは、文化として楽しまれる一方で、聖書の視点から見れば多くの問題を含んでいます。偶像崇拝に加え、呪術や放縦、商業主義など、複合的な罪が入り込んでいるのです。では、クリスチャンはどう関わるべきなのでしょうか。聖句をもとに整理してみます。


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    聖書的に見たお祭りの問題点

    お祭り 偶像 聖書

    お祭りは楽しいですが、霊的にも危険も潜んでいます。では、どういったことなのか・・・クリスチャンに向けて7つほど挙げさせていただきます。

    ① 偶像崇拝

    神輿や御神体を拝むことは、第一戒に違反します。

    あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

    旧約聖書 出エジプト記20:3

    ② 呪術・占いの要素

    お守りや祈祷は、霊的な力を人間の手段で得ようとするものです。

    占いをする者、まじないをする者…死人に伺いを立てる者があってはならない。

    旧約聖書 申命記18:10-11

    ③ 放縦・肉欲

    酒宴や乱れは「肉の業」とされ、神の国を継ぐことができないと警告されています。(クリスチャンのゴールは、神の御国に行くことですよね)

    酩酊、遊興…こんなことをする者は神の国をつぐことがない。

    新約聖書 ガラテヤ5:21

    ④ 民族的誇り・伝統崇拝

    「伝統だから」「日本人の誇りだから」と神様以上に文化を優先するのは偶像も同然です。文化という偶像です。

    彼らの神はその欲望であり、…地上のことだけを思っている。

    新約聖書 ピリピ3:19

    ⑤ 商業主義・貪欲

    祭りの出店や御札販売は、信仰を金銭の道具に変えてしまいます。この貪欲さ、強欲さが、さらなる罪を加速させる恐れがあります。

    わたしの家は祈の家ととなえられるべきである。それなのに、あなたがたはこれを強盗のすみかにしている。

    新約聖書 マタイ21:13

    ⑥ 世との同調圧力

    「みんながやるから」と妥協するのは、世の霊に従うことです。そんなことで、あなたの信仰心を捨ててはなりません。

    この世とならってはならない。

    新約聖書 ローマ12:2

    ⑦ 悪霊との交わり

    偶像の背後には悪霊があるとパウロは語ります。

    異邦人のささげるものは、神にではなく、悪霊にささげるのである。

    新約聖書 Ⅰコリント10:20

    クリスチャンとしてのお祭りとの向き合い方

    偶像には関与しない

    神輿を担ぐ、参拝する、御札やお守りを受け取るなど「礼拝行為」に当たるものは避けましょう。

    不信者と、つりあわぬくびきを共にしてはならない。

    新約聖書 Ⅱコリント6:14

    愛をもって証しをする

    断るときも攻撃的ではなく、穏やかに信仰の理由を説明しましょう。ダメ出しをするのではなく、イエス様を信じていること、そして、その方を拝みたいので他の神々は拝まないとハッキリ伝えましょう。案外、結構わかってくれるものです。堂々といきましょう。

    ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。

    新約聖書 Ⅰペテロ3:15

    良心とつまずきに配慮する

    お祭りは単純に食べ物を楽しむという自由な部分もありますが、それが誰かをつまずかせるなら避けることが賢明です。よくよく判断してください。

    食物は、わたしたちを神に導くものではない。食べなくても損はないし、食べても益にはならない。 しかし、あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように、気をつけなさい。

    新約聖書 コリント人への第一の手紙 8:8-9

    公共奉仕は積極的に

    清掃や子どもの見守りなど、宗教色のない奉仕で地域に仕えることは良い証しになります。良いことは信仰とは関係ないですが(行いで罪が軽くなるわけではない)、人のためになることをやること自体は、人として良いことだと思います。

    父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。

    新約聖書 ヤコブの手紙 1:27

    すべてを神の栄光のために

    食べることも、関わることも、「これは神様の栄光になるか?」と自問することが大切です。あんまり過敏にならず、心穏やかに、神様を第一に。苦行ではないのですから・・・。

    何をするにも、すべて神の栄光のためにしなさい。

    新約聖書 Ⅰコリント10:31

    私のとある体験談(証し)

    私はクリスチャンになってから、神社で一度だけ祈祷を受けたことがあります。お祭りとは少しズレますが、根本的には同じことなのでお話します。

    スピ系の企業に勤めており、集団で祈祷する機会があったのです。この時断ればいいものの、私は「心さえ寄せなければ大丈夫」と思ってみんなと一緒に受けてしまいました。心と行動が一致していませんよね。

    結果、どうなったかというと、辛い出来事が色々と起こりました。サタンのせいかはわかりませんが、私の中に侵入を許してしまった気がします。世と慣れ親しみすぎてはいけないのだと、身をもって知ったのでした。お祭りも、気をつけてください。すべてがすべて偶像崇拝とは限りませんが、お祭りの目的はそういうものなのですから。

    まとめ

    日本のお祭りは楽しい文化である一方、聖書的には 偶像崇拝・呪術・肉欲・貪欲・同調圧力・悪霊との関わり といった罪を含んでいます。クリスチャンは、

    • 偶像的行為には参加せず、
    • 愛をもって断り、
    • 公共奉仕で光となり、
    • つまずきを避け、
    • 何よりも神様を第一にする。

    この姿勢をもつことで、「世に属さず、神様に仕える」クリスチャンの歩みが証しとなるのです。


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