私は英語の辞書をめくっていたとき、ふと疑問が湧きました。「時差って、どうして生まれるんだろう?」そしてその瞬間、フラットアース(地球平面説)のことが頭をよぎったのです。個人的には、単純に「地球が自転している」という説明がどうも腑に落ちないと感じることがあります。今、この地面の上に立っているとき、地球が高速で回っている感覚がまるでないからです。
聖書は何を語っているのか
聖書の中には、「地球が自転している」という表現は一切出てきません。むしろ、地は動かないという表現が何度も登場します。そして動いているのは天――つまり太陽や雲、星々だと書かれているのです。
詩篇 104:5
「主は地をその基にすえられた。それは決して動くことがない。」詩篇 93:1
「世界は堅く立ち、決して揺らぐことがない。」伝道者の書 1:5
「太陽は昇り、太陽は沈み、急いでその出る所に戻る。」
これらは、まさに地球が固定され、天体がその上を巡っているという天動説的な世界観を示しています。
球体説だけが正しいとは限らない

聖書を読み進めるうちに、私は「これまで当たり前だと思っていた地球像が、本当に唯一の真実なのだろうか」と考えるようになりました。もしかすると、この地上は球体ではなく平面なのではないか――そんな想像も頭をよぎります。
以前、母と何気なくこの話をしたことがあります。すると即座に返ってきた言葉は、「そんなこと言ったら変な人だと思われるよ」でした。確かにそうかもしれません。でも、果たしてそんなにおかしいことでしょうか? 私には、むしろロマンを感じます。だからこそ、今こうして記事にもしているのだと思います。面白いなぁ、と。私たちの住まうこの地はどんな姿をしているのか気になります。
聖書的な地球観 vs 現代科学の球体地球観
項目 | 聖書的な静止地球観 | 現代科学の球体地球観 |
---|---|---|
地球の形 | 平面または固定された基盤の上にある | 球体 |
地球の動き | 動かない(静止) | 自転(約24時間で1回転)・公転(約365日で1周) |
太陽の動き | 地球の上空を巡る | 地球の周りを回らない(地球が太陽の周りを回る) |
昼夜の仕組み | 太陽が動いて光を当てる範囲が変わる | 地球の自転で昼と夜が交互に訪れる |
星や惑星 | 固定された大空(ラキア)の中を動く | 宇宙空間を自らの軌道で回る |
聖書の記述 | 「地は動かない」「太陽は昇り沈む」など多数 | 聖書の直接的言及はなし |
時差の説明 | 太陽の照らす範囲の移動で発生 | 地球の自転による経度差で発生 |
私の仮説:地球は球体、しかし地上は平面?
ここで少し私の考えを整理します。私は「地球は球体である可能性も高い」と思っています。しかし一方で、私たちが生活している地上は平面構造に近いのではないかという感覚も持っています。
下の図をご覧ください。地球そのものは球体という形を保っているけれど、住まうこの土地は平面であるということ。天と地下は丸くなっており、それらを併せて球体になっているのかなぁなんて。なので、自転もしていません。うーん、無理がありますかね?面白い一例として寛大にご覧くださいませ(笑)

フラットアースとしての太陽と時差の説明
球体であれ、平面であれ、時差は現実的に起きていますよね。日本とアメリカでは、同じ時間ではありません。差分が起きているのです。これをどう説明するのか・・・。正直、私の頭では理解を超えています。まずは、フラットアース(地球平面説)として前提を考えていきましょう。そこからです。
- 太陽は惑星ではなく、小さな光の円盤のような存在。
- 地球から極端に離れているわけではなく、上空を円を描くように動く。
- 太陽光は限られた範囲だけを照らし、その範囲が昼、それ以外が夜になる。
ですので、時差の発生は太陽が円を描くように移動し、照らす位置が少しずつ変わることで、地域ごとに昼の始まりがずれます。これが時差として観測されるのでしょう。
フラットアース説の弱点
しかし、このフラットアース説(地球平面説)にも疑問点があります。上記の前提をして考えると、不可解な点があることは確かです。
- 太陽の小さな円運動では、南半球の季節変化や太陽高度の違いを正確に説明しにくい。
- 光の届く範囲が狭すぎるため、実際の昼夜の分布や日の出・日の入りの時間と合わない場合が多い。
- 実際の国際的な時差(例:日本とアメリカ西海岸)を正確に計算するのが難しい。
なぜ?どういうこと!!?
もはや、複雑な理屈よりも、神の造られた不思議さに驚くばかりです。私の脳、いえ、私たち人間の理解を遥かに超えているのがこの地球。正直なところ、いくら賢そうで難しい論理を聞いても、私の頭では「完全に納得した!」とはならないのです。そして、私は議論で勝つことにも興味はありません。
ただ一つ言えるのは、この世界は摩訶不思議で満ちており、神様の創造の業は人知を超えているということ。この記事の締めとしては曖昧になるかもしれませんが、それがロマンなのかもしれませんね。そんなロマンを感じられる想像の余地を、神様が人間に与えてくださったことに感謝しています。いつの日か、この地上の真の形を、神様が直接教えてくださる日を楽しみにしています。
