私たちは「天地創造」と聞くと、多くの場合「地球の天地創造」を思い浮かべます。地球ができて、生き物が生まれたというイメージです。しかし、聖書を読むと、天地創造にはもっと広い意味があることに気づきました。この地球の姿と、神様が創造した本当の姿であり、約束を・・・。創世記は何度でも読み返したい、私の大好きな書です。
聖書の一番最初|創世記1章1節はこう始まる

はじめに神は天と地とを創造された。
旧約聖書 創世記1:1(Genesis 1:1/KJV)
In the beginning God created the heaven and the earth.
ここで気になるのは、「heaven(天)」が単数形で書かれていることです。聖書を知らない方にとっては「当たり前でしょう」と思うかもしれませんが、英語の聖書を読んでいると、「heavens(天)」という複数形になっていることが多いからです。しかし、聖書の一番最初の聖句では単数形でした。ここに深い意味が隠されています。
聖書に描かれた三つの天
ところで、「heavens(天の複数形)」は一体どういうことなのか。まずはここから整理していきます。なぜ複数形かというと、聖書には「天」を三つに分けて示しているからです。それが下記の通りです。

- 第一の天 — 私たちが普段見上げる空、鳥や飛行機が飛んでいる大気圏。
- 第二の天 — さらにその上の空間。ノアの洪水以前は水で満たされていた空間とされ、今も太陽や月、星の光が放たれている場所と考えられます。
- 第三の天 — 神様の御座があり、イエス・キリストが今も人の罪のためにとりなしておられる霊的領域。
「わたしはキリストにある一人の人を知っている。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられた…」
新約聖書 Ⅱコリント 12:2
太陽・月・星の光はどこにあるのか?
聖書によると、太陽、月、星は「天のおおぞら」に置かれています。
「神は二つの大きな光る物を造り…これらを天のおおぞらに置いて、地を照らさせ…」
旧約聖書 創世記 1:16-17
これはおそらく第一の天より上の、第二の天にあたる場所でしょう。太陽や星の光が暗い空間を照らし、地上の昼と夜を分けています。ここらへんのイメージは、私は結構すぐに脳内でできました。おそらくは、フラットアース(地球平面説)脳なためでしょうか。まさかここにきて役立つとは。
天地創造は「すべての創造」
これらを踏まえると・・・天地創造とは、地球や生き物だけでなく、三つの天や霊的世界も含めたあらゆるものの創造を意味していると考えられます。あらゆるすべての世界といっても過言ではないでしょう。
では、そのあらゆるすべてとはどういう意味なのか?私はここで「宇宙です!」なんて言いたいところですが、その「宇宙」という言葉は聖書には登場しません。ビッグバンなどの理論も聖書の教えとは異なります。所詮は人間の考えた概念でしかありません。私は人々の証言よりも、神様の言葉を信じます。
ともあれ、神様の「heavens(天)」とは、私たちの知らない広大で深遠な世界を指しているのは間違いありませんね。
現代の宇宙観と聖書的世界観の違い
現代の科学では、地球の姿は宇宙空間に浮かぶ球体として捉えています。一方、聖書は地球のほかに三つの天があり、さらに神の御座のある天に御使いたちがいる霊的領域をも示します。この天地は私たちが想像するよりもはるかに広く、深く、そして神の完全な支配のもとにあるのです。これを前提で、ここまでお話ししてきました。
完成された天地創造の意味
ここまでは、天地創造の広さや三つの天について述べてきました。これだけでも驚き要素があるかもしれませんが、聖書には「新しい天と新しい地」という完成形も示しています。
実は今から語ることは、この記事を制作している途中で気づいたものです。創世記1:1の御言葉が、どうも完成されているなと感じ、それを疑問に思っていたからでした。「神様は中途半端なお方ではない。すべてのおいて完璧だ。じゃあ、この一文は一体どういうことだろう?」と。もしかすると、今から地球を作る段階の描写ではなく、「すでに出来上がった状態の完璧な御言葉なのでは?」と思ったのです。そして、ピンと私のセンサーがたちました。「黙示録だ!」そして、意味がわかりました。
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
新約聖書 黙示録 21:1-2(Revelation 21:1-2/KJV)
And I saw a new heaven and a new earth: for the first heaven and the first earth were passed away; and there was no more sea. And I John saw the holy city, new Jerusalem, coming down from God out of heaven, prepared as a bride adorned for her husband.
夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。
新約聖書 黙示録 22:5
創世記1:1の天と地は、newのことなのかもしれません。この新しい天地では、もはや三つの天はなく、神様と私たち人間を隔てるものは何もありません。物理的にも霊的にも神と私たちが完全に一体となる世界です。
創世記1章1節の深い意味
はじめに神は天と地とを創造された。
旧約聖書 創世記1:1(Genesis 1:1/KJV)
In the beginning God created the heaven and the earth.
このように考えると、創世記1章1節は単に「天地を作る物語の始まり」ではなく、神と人が完全に一つとなる最終的な完成形の予告、あるいはその根源を示す御言葉であると私は感じます。神様は初めから、この完璧で広大な天地、そして私たちと共に歩まれる世界を創造していたのです。
結び
天地創造は、地球だけでなく、霊的な領域や神の御座のある天までを含む、すべての創造を仰っているのだと、今になってやっと本当の意味で納得しました。ああ、聖書は一文を深く考えるだけでも、このようなお宝が見つかります。なんて素晴らしいのでしょう!!
黙示録は決して恐ろしい預言の書物でもなく、むしろ未来に向けたクリスチャンたちの希望です。この地球歴史が終わってから、神様と人が完全に一体となる新しい天地が現れますから。この壮大な神様の計画こそが、聖書が教える「天地創造はすべて」の真実なのでしょう。
補足:「そうか、そういうことだったのか」
ここ最近、なぜかフラットアース(地球平面説)について考えていた自分がいました。正直なところ、なぜそんなことを気にしていたのか、心のどこかで謎に感じていたんですよね。しかし、今ならわかります。いえ、気づかせていただきました。
地球の形や姿に思いを馳せることは、単なる物理的な問題ではなく、神様の創造の計画や黙示録の約束に気づくためのきっかけだったのです。つまり、創世記1章1節の本当の意味を理解するために、自分の内側で神様が働いてくださっていたのだと感じます。そして、地球が平面なのか球体なのかという議論は、単なる科学の話にとどまらず、私たちの人生に深く関わる重大な問題だということがはっきりしました。そう、これは人生に「大いに関係がある」のです。

