私たち人間には、生まれ故郷だけではなく、もう一つの「故郷」があります。聖書はそれを「天の故郷」と呼び、神の都・新しいエルサレムとして描いています。地上の生活には苦しみや悲しみがありますが、聖書は希望に満ちた未来を約束しています。私たちが目指すべき人生のゴールは「天の故郷」ともいえるのです。この地上での生活は道程です。死んで終わりではありません。そこからがスタート。これがクリスチャンの抱く一番の希望なのです。
天の故郷に入れる人とは?

もれなく全員が入れるとは、聖書には書かれていません。むしろ、ラクダが針の穴を通る方が簡単だというほどに狭き門なのです。人類歴史、現在に至るまで数えきれない人々が地球で暮らしてきました。たった一つの人生ですが、それで終わりではありません。天の故郷という、神様の都が次の生(=復活)が待っているのです。イエス様はこう言われました。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
新約聖書 マタイ5:5
また、イエス様が人間として地球に来られた以前、詩篇が書かれた時代(ダビデ王あたり)にはこう記されています。これは神様からの約束です。
しかし柔和な者は国を継ぎ、豊かな繁栄をたのしむことができる。…主を待ち望め、その道を守れ。そうすれば、主はあなたを上げて、国を継がせられる。
旧約聖書 詩篇37:11,34
天の故郷とは、神様を信じ、待ち望み、従う者に与えられる報いです。クリスチャンの希望です。
そして、悪が滅ぼされる日
聖書には、悪が最終的に滅ぼされることを約束しています。天の故郷の前に、この地球上のあらゆる悪を一掃されるのです。地球最後の日であり、次の新しい地球(天の故郷)がやってくる最後の大掃除なのです。
万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。
旧約聖書 マラキ4:1
主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、…地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
新約聖書 」2ペテロ3:10
新しい天と新しい地
この世が滅びた後、神様は新しい天地を備えてくださいます。私たちクリスチャンが待ち望んでいる希望の地です。天の故郷なのです。私たちは肉によればこの地上の父と母によって誕生しました。しかしながら、その肉に命を与えてくださったのは主なる神様。この神様こそが根源的には親なのです。そのお方が住まうところが、私たちの住まうところであり、故郷なのです。
わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
新約聖書 2ペテロ3:13
見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。
旧約聖書 イザヤ65:17
アブラハムやヨハネも待ち望んでいた
聖書にはとても多くの登場人物が出てきます。アブラハムやヨハネだけではなく、ペテロやダビデなど、多くの人が天の心を向けていました。そこに神様がおられるからです。そして、個人的に私もそうです。私の本当の希望は、この世ではありません。天の故郷にあります。この希望に涙が出るほど求めているからこそ、クリスチャンとなったのでした。
アブラハムもその都を待ち望みました。このことを語ったのは、何千年もあとのペテロです。彼もまた、アブラハムと同じ希望を抱いていました。
彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。
新約聖書 ヘブル11:10
ヨハネは流刑され、孤独な孤島で幻の中でその都を見ました。
また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
新約聖書 黙示録21:2
天の故郷はどんなところ?

- 川:都の中心には、神と小羊の御座から「いのちの水の川」が流れている(黙示録22:1)。
- 大きさ:方形で、長さ・幅・高さが同じ。周囲は約1500マイル(約2400km)(黙示録21:16)
- 城壁と門:十二の門にはイスラエル十二部族の名が刻まれる(黙示録21:12-13)
- 土台と建材:宝石と純金で飾られる(黙示録21:18-20)
- 木:の両側には「いのちの木」があり、毎月実を結び、その葉は諸国民をいやす(黙示録22:2)。
- 住まい:彼らは家を建てて、それに住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。」(イザヤ65:21)
- 地や動物たち:荒野は花咲き、動物たちも互いに食い殺し合うことなく平和に共存する(イザヤ35:1-2、65:25)。
まさに神の栄光に満ちた都です。「都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。(黙示録21:23)」とも言われています。どんな輝きなのか、見たこともない輝きなのでしょうね。早くお目にかかりたいものです。
主の御顔を仰ぎ見ることができる
なんと、驚くべきことが聖書には書かれています。主の御顔を仰ぎ見て礼拝できるのです。今現在の地球でも、主はいつだって共にいてくださいます。目には見えずとも、いてくださいます。そのお方と、本当の意味で共に住まうことができるのが天の故郷なのです。なんだか恐れ多い気持ちも個人的にはしますが、それほどまでも主なる神様は私たちを愛してくださっています。それほどまでに特別なのです。
新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する。
旧約聖書 イザヤ66:23
御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
新約聖書 黙示録22:4
信じる者に与えられる
もはや、私の解説など必要ありません。聖書にはすべて惜しみ無く、神様の愛と約束が記されています。
勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
新約聖書 黙示録21:7
まとめ
聖書が語る「天の故郷」は、単なる比喩ではなく、神がご自分の民に備えてくださる実際の都です。今の地球は悪に塗れて、世は生きにくく残酷です。いつ壊れてもおかしくありません。この地球を、他でもない造り主なる主がすべて終わりにされます。そんな地上歴史に終焉がきても、実はここからがスタートなのです。神様は、神様を最後まで待ち望んだ一人ひとりを、新しい地球(=天の故郷)へと迎えてくださいます。
さて、クリスチャンなる私は、この素晴らしい天の故郷に思いを馳せるには理由があります。素晴らしい場所は確かに素敵です。しかし、本当に心惹かれるのは、そういった環境面だけではありません。聖書に書かれているので、それを紹介して終わりにしたいと思います。
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。
新約聖書 ヨハネの黙示録 21:3-5
