「信仰の話って面白いの?」「3時間超えで長そう…」「古い映画って映像的にどうなの」など、少し訝しみながら見た平成生まれの私です。ところがどっこい、この映画・十戒はとんでもないクオリティです。気づけば心を揺さぶられ、画面の向こうに生きる人々に共感していました。これは神様の奇跡の話であると同時に、“人間の選択”の物語であり、涙が自然と溢れてくる情緒豊かに刺激される内容です。名作中の名作かと!
あらすじ|神に選ばれた男、モーゼの旅

ヘブライ人(当時のエジプトの奴隷人種)の男子はすべて殺害せよという死の勅令が出されたエジプト。とある一組の家族は、赤ん坊を神に託してナイル川へ流します──その子が、後のモーゼであり、この物語の主人公です。不思議な縁でファラオ(エジプトの王)の娘に拾われたモーゼは、奴隷の子でありながらエジプト王子として育てられます。ところが、やがて自らの出自を知り、民を解放するための苦難の道へ──。神様がどんな方であり、どのように人間と関わるのか・・・十の災い、海を割る奇跡、そして神様のおられる山で授かる人間のための守るべきこと。つまるところ、旧約聖書の「出エジプト記」の壮大な実写化が映画の中で盛り込まれています。
映画『十戒』ここが印象的だった!

聖書の出エジプト記を知っている人も、知らない人も、そんなことは関係ないレベルです。私は20代の頃、ほぼ毎日のように映画を漁り視聴してきました。おそらくは300作品くらい見ているかと思います。そんな目の肥えた私でも、十戒は映画としてのクオリティが非常に高いです。オープニングから素晴らしいです。
ストーリーはもちろんのこと、何よりも役者さんの見た目や演技が洗練されています。特に男性陣の肉体美といい、実用的な筋肉で、健康美を感じます。また、時代的にもCGに限界があったのもあるのか、あらゆるセットが細かくて素晴らしいです。デジタルに慣れすぎた現代っ子な私にとって、この映画は古き良き渾身の匠な技を見せられたかのように感じました。
ポイント① ファラオの娘と赤子モーゼの出会い
夫を亡くした直後というファラオの娘が、モーゼを「神が与えてくれた子」と受け入れる姿に涙でした。神様を知らないはずのこの女性が、それでも大いなる存在(神様)を感じた瞬間でもあったと思います。また、血のつながりはなくとも、“我が子として育てる”という愛の深さに心打たれました。血がすべてではないと、改めて考えさせられます。
ポイント② ヘブライ人400万人の魂の叫び
当時のヘブライ人がどんなに過酷な労働をしていたのか、とてもリアルに描かれていました。だからこそ、彼らは切実な思いをもって「自分の人生を救ってくれる救い主」を強く強く求めていたのだと思います。
ポイント③ エジプトの建造物が“ゾッとする”
エジプトといえば、ピラミッドや数々の神殿を連想しませんか?それらも映像で制作現場として出てくるのですが、ヘブライ人が命を消費して築いた、強制してつくらされた偶像なのでした。エジプト人は鞭打つばかり。人一人の命など、石ころのように扱います。出来上がった数々の建築物は芸術的で美しいとは思いますが、その影にある血と苦しみを忘れてはいけないと思いました。
ポイント④ 人は神様に祈る生き物
ヘブライ人であれ、エジプト人であれ、人間は自分たちよりもはるかに大きな存在に祈らずにはいられないのだと、映画全体を通して思わされました。人生などコントロールできないからです。その必死さはそれぞれあっても、ヘブライ人の叫びに答えてくれたのは、唯一の神・主のみでした。それ以外のエジプトの神々は偽りであり、偶像であり、悪霊であり、主には何一つ及ばないのです。人間を通して、神様がどんな方なのかがわかるのがこの映画の魅力でもあると思います。
主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。
旧約聖書 出エジプト記 3:7
ポイント⑤ なぜ十戒が与えられたのか
そもそも、十戒とは何なのか。人間が幸せに生きるための指針だと私は思っています。この指針がないと、人間は瞬く間に狂っていきます。その様子が映画でも現れていました。偶像崇拝です。それはとてつもなく下品で、人間の尊厳など何もなく、カオスでした。この辺りを映像化したのも、この映画のすごいところだと思います。
モーゼという男:信仰と孤独のリーダー

チャールトン・ヘストン演じるエジプト王子として育ったモーゼは、有能で知的、そしてイケメン。今の俳優さんではなかなかいない、本物のイケメンです(急に筆者の好みを言い出してすみません!)。また、ネフレタリというお姫様も美人で、他の役者さん含め、みなさん味があって魅力的です。表情ひとつひとつが素敵なのです。
話を戻しまして、このモーゼという男は、ずっとどこかで悩んでいました。「自分は誰なのか」と、アイデンティティに対して熟考していたように思えます。その後、自分の道が見つかれど、さらには神様に選ばれたけれど、心を寄せていた民に拒絶され、王に追われと、波乱万丈な人生を送ります。それでも神の言葉を信じて前へ進む姿は、勇気ある人そのものでした。それでいて孤独で、だからこそ神様が常にそばにおり、強かったのかもしれません。
救いとは何か? 誰が“奴隷”なのか?
「神様の前では、人はみんな平等だ」というこの言葉が強く刺さりました。これは、ヘブライ人の青年・ヨシュアの言葉です。神様を知る人とは、このような信仰が根底にありますね。だからこそ、自身がどんな境遇でも諦めずに、聖なる方を信じて・神様を見つめて生き抜いていくのでしょう。
ヘブライ人は自由を渇望していました。けれども、自由には「自分で考え、責任を取る痛み」もあります。いざ解放されても、民はどうすればいいのかわかりません。指導者が必要なのです。羊のように、牧者が優しく導いて、道を歩んでいきたいのです。
ともあれ、奴隷制度を支えるピラミッド型社会は、今のいたるところにもありますね。奴隷という言葉ではないにしても、平等ではないのがこの世の中です。しかし、神様を知ると、見え方が変わっていきます。それを教えてもらえる映画にも思えます。
人間の“傲慢さ”と“信仰の重さ”──ネフレタリという存在

私がこの映画で一番気に入っているのは、エジプトの姫であり王女となるネフレタリです。モーゼが王子だった時、二人は恋に落ちていました。見た目が美しく、けれども中身は空っぽで、権力への執着しかないようにも見えました。それでも、モーゼへの愛は本物で、人間の複雑さを感じました。愛を求めるのに、与え方がわからない、寂しい彼女にも見えました。このような人も救われてほしかった・・・と個人的には思えてなりません。
お金持ちや権威ある人が救いに預かるのが難しいということを、新約聖書でイエス様が述べていましたが、ネフレタリを見れば納得します。なるほどな、反面教師です。
“奇跡”よりも、“信じて進む勇気”に感動した

なんといっても十戒の見どころシーンは、紅海が割れるあの有名な場面でしょう。この十戒という映画以降からも出エジプト関連の映画はつくられていますが、海が割れるシーンの凄まじさはこの映画を超えるものなどないように思えます。あ、でも、アニメですが、『プリンス・オブ・エジプト』はすごかったです!
ともあれ、その“道”を信じて最初に足を踏み出した人たちの姿。見えない先を信じるという信仰はとてつもなく強いなと思いました。奇跡なんて言葉が安っぽく感じられるほどです。

まとめ|これは“宗教映画”ではない。人間の魂を救う映画だった
『十戒』は、ただの歴史大作や聖書映画ではありませんでした。登場人物たちが流す涙や葛藤、信じることへの迷い──それらはすべて、私たちが今日も抱えているものと同じです。神様の声が聞こえない時代だからこそ、自分の中の“声”を信じて進む。そんな映画だと感じました。とはいえ、本当は今でも神様の声を聞くことはできます。正しくは、言葉ですが。それこそが聖書です。
モーゼの時代は、好きに聖書を購入できませんでした。そもそも、聖書というものがありませんでした。また、読み書きが誰もができる時代ではありませんし、そもそもが奴隷生活だった人がたくさんいたのです。聖書が今手に入れられる環境、これが現代。なんとありがたいことでしょう。
本当に実在したモーゼの軌跡を、この十戒という映画で見ていただければ嬉しいです。
補足|どこで観られる?

\ とんでもないクオリティに感激 /
映画『十戒(1956年)』は、Amazon Prime VideoやU-NEXTなどで配信中。DVD/Blu-rayでも視聴可能です。古い映画なのと、あまり配信されていないようなので、ご自身で購入されるのが一番早いかと思います。
