それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。
旧約聖書 ヨナ書 4:3

生きていると、本当にもう限界に思うことが起きることだってあります。
いよいよ心が砕け、「生きているよりは死んだ方がいい」と、生きる気力を手放してしまう辛い気持ちに立たされることだってあるでしょう。
私もかつて、そういう思いをしたことがあります。自分の人生に対して、言葉では言い尽くせない程の絶望を感じて、もう生きていても意味がないじゃないかと憔悴しきっていた時期もあります。
なんと、聖書にもそういう人がいたのです。神様に対して、強く祈った人がいます。「死なせてください」と、ヨナという孤独な人物が祈っていたのです。
彼は自分に与えられた使命を放棄していました。道から逃げていました。もう進めないと、すべてに疲れて生きることを放棄したいと神様に願ったのです。
けれども、神様はヨナの命を取ることはなされませんでした。
むしろ、彼の傷ついた心を癒すかのようにとうごま(食物)を与えてくださいました。しかし、その食物も翌日には主が取り去りました。またしても、ヨナは絶望し、怒りを抱きながら「死にたい」と願いました。
こんなにも弱りきった人に対して、神様は一体どんなことをなさるのでしょうか。ある言葉をヨナにかけられました。
主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。
旧約聖書 ヨナ書 4:10-11
ヨナは死にたいと思い願っていましたが、神様はそれでもなおヨナの命を惜しみ、ずっと心配しておられました。
このような方が、私たち人間のそばにおられるのです。目には見えませんが、呼べば答えてくださいます。
創造主なる主は、あなたを特別の思いをもって見守っておられます。
死にたいと思ったのならば、そう神様に告白してみても良いでしょう。他の人では答えられないことでも、神様は真心をもってあなたに寄り添ってくださいます。これは人間業ではありません。神様のみができる、人間回復の業なのです。
絶望の時こそ、聖書を開いてみてください。




