私が今、注目している人物がいます。歴史作家の加治 将一(かじ まさかず:通称かじにぃ)です。彼は愛情指数がとっても高いです。まるで聖書にある「互いに愛し合いなさい」を体現しているかのよう。クリスチャンである私以上に、はるかに愛を理解し、行動しているのです。このブログに書かずにはいられないと思い、ご紹介させていただきます。
かじにぃとの出会い、孤独を生きていた私にとって“魂レベル”の衝撃だった

「愛してるぜ!」が合言葉な、加治将一さん。通称かじにぃ。私がかじにぃの存在を知ったのは、偶然ではなく“導かれた”としか思えない出来事でした。ぶっちゃけ、この記事を書いているたった3日前です。ですが、出会いの日数は関係ありませんね。私は愛を大切に生きていきたいと思っているので、かじにぃの語る言葉・放つエネルギーは、まるで聖書の言葉そのもののように、愛と真理に満ちていて、私の心にダイレクトに届いてきたのでした。
加治将一(かじ まさかず)さんって、こんな人!
加治将一さん、通称「かじにぃ」は、歴史作家でありながら、映画監督であり、YouTuberであり、しかもコインコレクターでもあるという超マルチな“愛され兄貴”!
実はロサンゼルスで15年もビジネスをしていた国際派。帰国後は執筆活動に入り、「えっ!? 明治天皇ってすり替えられてたの!?」みたいな、日本史の裏をズバッと切り込むベストセラーを連発。
でも、かじにぃの真骨頂はそこだけじゃありません。
YouTubeでは「愛してるぜ!」が口グセで、もう画面越しにハグされてるような気分に。歴史の話をしてるのに、なぜか心が癒されるという不思議な感覚になるんです。しかも、年配の方々を“老害”じゃなく“エルダリー”って呼ぶそのセンス! 私はここが決め手でかじにぃに惚れ込みました。
「リッチ&ハッピー」「もっと自由に、もっと豊かに生きようぜ!」と、聖書と歴史とユーモアを武器に、今日も愛を世界に振りまいてくれる気前のいい兄貴。そんなかじにぃに、私は今日も“愛してるぜ!”って叫びたくなっちゃうんです。・・・ということで、このブログ記事を書いています。
愛を「語る」のではなく、「生きる」人
かじにぃの看板といえば、歴史作家が一番にくるかと思います。しかし、ただ歴史を語るその他一般の歴史作家ではありません。むしろ、歴史という舞台を借りて「愛と正義とは何か」を教えてくれるような、非常に引き出しの多い知識人です。いや、愛に溢れた人です。私はそれを伝えたい!
彼の作品や講演、YouTubeなどから伝わってくるのは、“誰かを裁くため”の言葉ではなく、“すべての人を愛し、真実とともに自由にする”ための言葉そのもの。彼は、どこかのクリスチャンよりもクリスチャンであると勝手ながら感じています。あ、かじにぃはクリスチャンではありませんよ。ただただ、イエス様を信じている人です。その手の動画を見た時、私はシンパシーを感じました。
かじにぃは「互いに愛し合いなさい」を体現している人
聖書の中でもっとも大切な教えのひとつ、「互いに愛し合いなさい」。それを、まさに“地でいく”のが、かじにぃだと思うのです。
- 自分を偽らない
- 他人を責めない
- いつも楽しそう
- ユーモアと智慧に溢れている
- でも芯はぶれない
そんな姿に、私は毎回「愛ってこういうことか…」とハッとさせられます。大尊敬です。私も「愛してるぜ!」を口癖にしたいなぁ。
そこで今、新しい戒めを与えましょう。わたしがあなたがたを愛するように、互いに愛し合いなさい。 互いに心から愛し合うなら、わたしの弟子であることをすべての人が認めるのです。」
新約聖書 ヨハネによる福音書 13:34-35
愛情指数がぶっちぎり!かじにぃの“優しさの秘密”
かじにぃのYouTubeチャンネル「愛と思考脳サロン」を観たことがある人なら、きっと一度は感じたことがあると思います。「あれ? この人、めっちゃ優しい…!」って。この優しさ、真実を惜しみ無く、媚びることなく、まっすぐな言葉で伝えてくれるからです。
動画の最初から最後まで、まるで“愛のお布団”に包まれてるような安心感があります。なんていうか、気持ちいい!言葉一つひとつに、トゲがないんです。こういう方、今時珍しいと思います。鋭いテーマを扱っていても、そこに“人間への信頼”があります。青汁王子の件など、そう感じましたね。
これが、かじにぃの“愛情指数”の高さなんだと思います。人をさばかず、見捨てず、人をそのまんま愛しているような人。まるで、イエス様のような愛を体現しているかのよう。
全く知らない人から突然「おい!」と怒鳴られました
ところで私、今日の仕事帰りの道で、全く知らない人から突然「おい!」と怒鳴られました。その瞬間に、「あぁ、この人は愛情指数が低いんだな・・・」と感じました。
どういう状況かといいますと、都心の歩道を歩いていたのです。道はまぁまぁ混んでいます。そんな中、私の後ろに自転車が来ていたようで、抜かしたかったのかイライラしていたのでしょうね。それで怒鳴られたわけです。ちなみに、道は混んでいるので抜かすことはできません。ただただ、イラついて「おい」と怒鳴ったのでしょう。
私は前に歩いている人に沿って、ただ歩いていただけです。その怒鳴った人は、電動ママチャリのお母さんでした。「おい」だけでしたが、「おい、ゴラァ!!!」みたいなニュアンスでしたね。すごい低い声とものすごい怒りが込められていました。まるで“存在そのもの”を否定されるような、鋭く冷たい声でした。
「愛が足りない社会だな」と、つくづく思いました。思いやりや余裕があれば、見知らぬ誰かをいきなり怒鳴るなんてこと、しないはずです。もし私が何かしたのだとしても、「おい」なんてお下品なことを言ってはだめですよ〜。私の頭に浮かんだのは、かじにぃの姿でした。攻撃してくる人、知らない人にすら、笑顔で「愛してるぜ!」と、かじにぃなら言うのでは?とふと思いました。冗談です。
老害なんて呼ばせない。かじにぃは「エルダリー」
リスペストの心を忘れないかじにぃの姿に、私はつねづね励まされます。この愛が冷えた時代に、こんなに素敵な人がいるのかと感激しました。
最近、SNSやニュースでは「老害」なんていう言葉が飛び交っています。年齢を重ねた人たちに対して、敬意どころか嘲笑や怒りが向けられることも少なくありません。私はそれを見るたびに、心が痛くなります。
かじにぃはこんなことを言っていました。彼は年長者(ご高齢、リタイアされた方々)を“エルダリー”と呼び、そこに愛とリスペクトを込めています。エルダー=導き手、知恵ある存在として、年齢を重ねた人々を大切にするその姿勢に、私は大きくうなずきました。
かじにぃ自身が“年齢を超えて輝いている存在”だからこそ、そういう価値観を自然に伝えられるんだと思います。愛のある人は、年齢を問わず美しい。そんなことまで教えてくれるかじにぃに、私はますます惹かれています。
愛に触れると、人は自然に笑顔になる
かじにぃの言葉に触れると、不思議と心がほぐれ、笑顔になります。それこそ、今日の帰り道で「おい」と怒鳴られた悲しい出来事からも解放されました。なんていうか、ストレスフリー!「病は気から」なんていいますよね。その通りだなと思いました。
かじにぃの好きな聖句
愛の力ってものすごいです。かじにぃがかじにぃという個性を生きているのは、愛と繋がっているからだと私は思いますね。私もぶどうの木というイエス様に繋がって、豊かな実を結ばせていただきたいと思います。アーメン。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
新約聖書 ヨハネによる福音書 15:5
【まとめ】愛が冷えた時代にこそ、互いに愛し合おう!
今、この世界は「なんて冷たいんだ・・・」と思うことはありませんか?私はしょっちゅうあります。大都会を歩いているのですが、私を睨みつけてくる人(おばさんに多いです)とよく出会ってしまいます。また、わざと近づいてくるスケベ・お下品な人もいます。誰かが転んでも、何か落としても、誰も気に留めません。みんな知らんぷり。それなのに、人を伺ってばかりいるから、怖い目つきになっている人がなんと多いこと!
私はこの時代に嘆いていましたが、かじにぃも私のように感じていたようです。それをYouTubeでよく語っており、聖書の愛に基づいたハッピーな情報を提供してくれます。とにかく、私の励みとなりました。自分にできることを、誰かのためにすること。それこそ自分も力が湧いてきますし、心が満たされます。互いに愛し合う素晴らしさをたくさんの角度から教えてくれます。
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
新約聖書 マタイによる福音書 24:12
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
新約聖書 コリント人への第一の手紙 13:4-8