自分の親に対して、あなたはどんな感情を抱いていますか?父と母は、自分を産んでくれた人であり、一番最初の関係性であり、終わりまで続きます。ところが、その関係は必ずしも良好とは限りません。何かしらの問題を抱えていて、許す・許さないの領域に来ている人もいるでしょう。今回の記事では、親を見て自分を知る
親のことが好きになれないという苦しみ

あなたは親をどう思っていますか?「どうしても親が好きになれない」「距離を取りたい」「罪悪感がある」このような心の葛藤がある人もいるでしょう。では、どうすればいいのか。私はとある学びを受けました。『自然の法則』という理論を提唱しているkengoさんによって。(参考動画はこちらをクリック)
『親のことがあまり好きではないのはなぜ?〜自然の法則』をテーマに、人間の心理や心の自然な動きに沿って、やさしく答えが示されています。私自身も、このテーマには深く心を揺さぶられました。以下、動画の内容と、私自身の思い・考察を織り交ぜながら、親子関係の葛藤と希望について整理してみたいと思います。
そもそも、自然の法則とは?
心の中の“表面的な自分”と“内なる自分”
外側の世界で見せる自分と、心の深いところで本当に望んでいる自分(これが本音)という表と裏があり、両者が調和することで、今この現実が整ってくるという原理原則です。そのため、感情をすり替えず、素直に受け止めることが大事です。不安・悲しみ・怒りなどのネガティブな感情を抑えたり消そうとせず、「そう感じている自分」を認めることが大切なのです。
とはいえ、感情や出来事に振り回されては本末転倒です。受け止める認知観をもつこと。そして、中立な視点(ニュートラル)をもつことで、人生に備わっている“自然の調整作用”が働き始めるのです。感情のままに生きる自由と、それを受け入れる優しさを持つことこそが、自分の本音に従うということ。それこそが自然であり、だからこそ自然の調整作用も働いて、すべてが整っていくのです。
親が好きになれないのは、あなたのせいではない
どんな親であれど、その親から生まれて自分が存在します。これがいかに尊いことか思い起こすことも大事でしょう。ただ、素晴らしい親ではなかったとしたら、そう考えるのは難しいかと思います。このように「親だから好き・尊敬すべきだ」という思い込みは、自分自身にとって毒になりえます。たとえ血がつながっていても、心が通っていなければ「好き」や「安心」は育ちにくい。それは、自然なことでしょう。
私自身もそう思います。正直に言えば、母が苦手です。昔から、母の言葉に何度も傷ついてきたのもあり、心が開かれない思いをしています。何かを話すたびに、「また否定されるんじゃないか」と怖くなることもあり、会話を避けてしまうのです。けれどそれ以上に、こんなふうに感じる自分のことが嫌になります。「私を産んでくれた母を好きになれないなんて、私はひどい人間なのではないか?」そんな思いに、長い間苦しめられてきました。
このような親に対してのさまざまな思いは、自分自身のせいではないというのが自然の法則の考え方です。
期待に応えることが習慣になった子ども
子どもというのは不思議です。親からの期待に応えるために、自分を押し殺して生きることだってあるのですから。その根底に、親好みの自分でいなければ愛されない──その刷り込みがあると、自分自身が本当は何を感じ、何を望んでいるのかが分からなくなっていきます。「好き」という感情も、「こう感じるべき」という思考に縛られ、本音とは別のところで悩んでしまうのです。
胸に刻んでおきたいこととして、愛は強制できません。だからこそ、余計に苦しいのです。そして、複雑です。
「親を敬うこと」と「好きになれない自分」の間で揺れる心
私はクリスチャンなので、こうした葛藤の中でふと思い出す聖句があります。
あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
旧約聖書 出エジプト記 20:12
聖書が語るこの教え(聖書用語でいえば律法)は、モーセが神様から直接受け取ったものです。十戒に含まれます。この教えは世世続きます。単なる道徳を超えた、神様からの人間が幸せになるためのメッセージそのものなのです。
イエス様はこう語っておられます。
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
新約聖書 マタイによる福音書 5:17-18
親を通して自分を見る
たとえ完全に納得できない部分があったとしても、それでも親を「敬う」──それは「尊敬したくなる存在だから尊敬する」ではなく、「自分の未熟さを知るがゆえに、へりくだって敬う」という意識なのかもしれません。親を思う心は、結果的に自分自身を救う心にもつながっているのです。私自身、もっと慈しみの心を持てるようになりたいと願っています。おこがましいのですが、「許す」という意味合いに近い気もします。
親を無理に好きになろうとしなくていい
心の動きには段階があります。まずは自分の感情に正直になり、今ある苦しみを「そのままの形」で受け止めること。そこから、ほんの少しずつでも関係の再構築が可能になっていきます。
・すべてを分かり合おうとしなくていい
・まずは距離を取ってもいい
・できることから、たとえば一言の挨拶からでも、始めればいい
親子関係を一つの“役割”としてではなく、一人の人間同士の関係として見直すことが、癒しと回復の第一歩になるのです。
心を澄ませて見つめ直す時間
親との関係に悩むとき、「親に問題がある」「自分が悪い」といった“どちらか”の責任に押し付けて考えがちです。しかし、本当に大切なのは、自分の心の奥にある「感情」と「真実」を丁寧に見つめ直すことだと私は思います。
そもそも、自分は親にあれこれ言えるような立派な人間なのか?親の人生をどこまで理解しているのか?
その問いは、私にいつも「謙虚さ」を思い出させてくれます。親と子の関係をよく見つめ、熟考することは大事。それは、人生の中でも特に大切な“心の宿題”なのかもしれません。
まとめ|「好き」よりも「敬い」から始まる関係もある
自然の法則が教えてくれた、親との関係についてですが、結論として「親を好きになれないのは、決しておかしくはない」ということ。自分にも親にも優しく寛大になりましょう。
“好き”から始められないなら、“理解しようとする”ことから。“愛してる”と言えないなら、“祈ってみる”ことから。親に関するさまざまな思いも、すべて自分一人で解消する必要はありません。神様に祈り、お話を聞いていただきましょう。神様は確実にあなたの祈りを聞いてくださいます。あなたを心配して、いつも見守っています。あなたからの祈りを待っています。
そうして一歩ずつ、自分の心の真ん中にある「本当の思い」を拾い集めていくことで、私たちはまた一つ、大切な人間関係を回復させていけるのだと思います。自分という存在を産んでくださった方を尊敬する人生が歩めたら、それだけで人生は素晴らしくなるでしょう。あまり屁理屈にならず、自然な心を求めていけたらいいですね。
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