人生が虚しいと感じる夜に

    ふと思う。人生が虚しい。理由ははっきりしているようで、はっきりしない。私は信仰を持っているのに、神様を知っているはずなのに虚しい。むしろ、信仰があるからこそ、この虚しさが誤魔化せなくなっている気さえします。「いつも感謝しなさい」「すべての道で主を認めよ」こういった聖書の御言葉が私の励ましであり、しかし、人生が虚しいと感じるのは、信仰が足りないからなのだろうか。私は一体何者なんだろうか・・・。一人、夜中に呟いた語り記事です。


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    人生が虚しくなる一番の理由

    人生 虚しい

    この記事へと辿り着いたあなたに感謝いたします。人生が虚しいことに反応したあなたは、きっと深い思考を持っているのだと思います。それは知性とはまた違った、もっと根源的な人間だけ持つ素晴らしい感じる力だとも思っています。多くの人は、精神的な何かを探しているわけではありません。私は今、

    • 生活が苦しい
    • 将来が見えない
    • 頑張っても余裕が生まれない
    • 誰も守ってくれない感覚がある

    こうした現実の重さが、心から意味や希望を奪っていくことを感じています。お金がすべてではない。しかし、お金がなければ、この世はやっていけないのは事実。家賃、食費、医療、老後。退職金があるわけでもない。親の資産に頼れる保証もない。貯金はほとんどなく、毎月は綱渡り。この虚しさは価値観ではなく、生きるべく条件の問題のように思う。ちょっと、自分でももう何を言っているかわからない。

    人生が虚しくなるのは、理想がないからではなく、現実があまりにも生々しいからだと思う。この世はなんと、虚しく、残酷なのだろうと。もう疲れた、本当に疲れたと。


    「神頼みで何もしない」は、信仰ではない

    信仰を持っていると、「神様が何とかしてくれる」という言葉が、ときに免罪符のように使われる気がします。というか、私がそうでした。でも私は、そこに強い違和感があります。今日、そう感じました。大前提、神様は助けてくれるお方です。それは確かです。けれども、だからといって、何も考えず、何も備えず、生きていいわけではありません。自分に都合のいい方が神様というわけではないから。そもそも、聖書に書かれている箴言も、伝道者の書も、聖書は驚くほど現実的です。

    • 働くこと
    • 備えること
    • 数えること
    • 賢く生きること

    信仰とは、現実から目を逸らすことではなく、現実を引き受けたうえで神の前に立つことだと思っているます。クリスチャンはパンとミルクのような生暖かい優しい雰囲気の中で生きるのではなく、現実はまるで戦士そのものな気もします。


    一人で生きるという前提が・・・

    私は一人。結婚していない。誰かが生活を支えてくれるわけでもない。だから、仕事にコミットするしかない。最近、本気でそう思います。どこかで、30歳にもなれば結婚するものだとなんとなく思っていました。しかし、現実はしていない。予感もない。選択肢があるようで、実はない。自分の人生がわからなくなってきました。

    あれだけ仕事に希望を見出そうと奮闘していた時期がありましたが、現実を見れば見るほどに違って見えるようになりました。仕事は自己実現ではなく、生き延びるための装置になると。

    この状態で「仕事第一にならないように」「もっと力を抜いて」「神様を第一に」と言われても、それは酷です。人生が虚しくなるのは、仕事を大切にしすぎたからではないと思っています。仕事を大切にせざるを得ない状況にいるからでしょう。もう、そういうシステムなのですよ、この世は。


    「蛇のように賢く、鳩のように柔和に」の重さ

    イエス様はおっしゃいました。「蛇のように賢く、鳩のように柔和であれ」と。でも現実には、鳩だけで生きようとすると壊れる寸前です。おかしくなりそうです。優しさ、忍耐、自己犠牲。それらは尊い。けれど、境界線がなければ、人は簡単に消耗品になると思っています。感じる力が強いほど、境界線は曖昧になり、勝手に自己破壊していくも同然なのです。

    この世は、優しい人から壊れていく構造を持っていると思います。だから私は思いますね、まず蛇でいなければ、鳩ではいられないと。

    賢く条件を見ること。時間と労力を守ること。利用されない場所を選ぶこと。・・・それは冷たさではないと思います。愛を失わないための知恵です。


    結婚や「普通の幸せ」から降りる

    32歳。世間的には、結婚や安定を考える年齢。でも、疲れ切った状態で将来の夢を語ることはもうできません。少々、疲れました。完璧主義で、不器用で、余白がない自分に、誰かと人生を築くエネルギーは残っていなかったのです。

    「結婚すれば安心」「一人より幸せ」そう言われても、現実を知ってしまった心は、もう簡単には信じられません。残念な人間に見えるでしょうか? もう自分でも何が何だかわからなくなっています。ただただ、人生が虚しいなと思うのです。それは底なし。

    ああ、そうなると、人生が虚しいと感じるのは、何かを失ったからではなく、幻想から降りたからかもしれません。本当、自分でも何を言っているのかわかりません(2回目)。


    それでも残っている、たった一つの事実

    それでも、心の底に残っている言葉があります。主は、私を誠実に創造してくださったということ。それは事実。

    成果がなくても。資産がなくても。役割がなくても。なぜ生きているのか自分ではわからなくても。私という存在は神様によって造られたということ。この事実だけは、奪われてはいません。事実であり、変わることはありません。

    だから私は、人生が虚しいと感じながらも、雑に生きたくない。虚しさの中でも、誠実でありたいと願ってしまう。ただただ、この葛藤からどうにか解放されたいけれども。


    人生が虚しいと思う心とは

    むしろ多くの人は、一度は思ったことがあるのでは?とすら思いますね。人生が虚しいと感じるのは、正しいとか間違いだとかの話ではないです。虚しさは、信仰の敗北ではありません。目が覚めている証拠だと私は思いますね。真剣に生きているからこそ、そう思うのでは?

    答えが出なくてもいい。意味が見えなくてもいい。それでも今日を、誠実に生きようとすること。それ自体が、この人生という旅路を歩いている証なのだから。

    伝道者は言う、 空の空、空の空、いっさいは空である。 日の下で人が労するすべての労苦は、 その身になんの益があるか。 世は去り、世はきたる。 しかし地は永遠に変らない。

    旧約聖書 伝道の書 1:2-4
    365paradise
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