私は偉人の生き方、人生哲学を知ることが大好きです。苦労を通って偉大な仕事をしてきた人にとてつもなく惹かれます。それは人間的にもかっこいいし、何よりも私に強い励ましが与えられます。アイヌの言葉にはこんな言葉があります。「天から役割なしに降ろされたものは一つもない」と。ちなみに、アイヌという言葉は「人間」だそう。私は人生の深みを真剣に知りたいタイプです。そんな中、時代を超える経営の偉人【松下幸之助】さんの著書(下記を参照)を読み、クリスチャン視点でまじめに考察をしてみました。人生という本物の哲学を。

\ 松下幸之助の思想40選 /
松下幸之助の哲学を考察する前に

感想は山々あるのですが、先にお話しておきたいことがあります。私は聖書を敬愛しています。聖書を書かれた(正しくは各時代の預言者を用いて神様の霊に導かれて書かれた)ことこそが、私にとっての真理です。そして、クリスチャンです。そんな私は松下幸之助の思想を見るに、「本気で幸福を求め続けた人なのだな」と思いました。それと同時に、「こんなにも難しく考えて、限りなく真理に近づいているのに、あと一歩が足りない」ということに気づきました。
これ、結論を言ってしまえば、「神様の不在」です。松下幸之助は幸福を追求していました。人の繁栄や平和、幸福を一貫して目指していました。けれども、これらは人間の努力だけでは手にはできないことをどこか知っているようで、けれども神様まで至らず結局は知らなかったのだと思います。
松下幸之助の思想と聖書
ここからは、松下幸之助の著書「松下幸之助の哲学 いかに生き、いかに栄えるか」から思想を引用しつつ、聖書の言葉をもって考察していきたいと思います。一問一答みたいな形式をイメージですね。この糸は、松下幸之助を否定するものではありません。むしろ、彼の言葉に深みが出てくるかと思います(何よりも私は彼を尊敬しています)。

人間はすでに与えられている
松下幸之助さん真理とは? 聖書にはこう書かれている
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。
新約聖書 ヨハネによる福音書 14:6-7
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
新約聖書 ヨハネによる福音書 14:1
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
新約聖書 マタイによる福音書 6:26
素直な心



素直さについて聖書にはこう書かれている
ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする。
旧約聖書 箴言 16:24
わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。
新約聖書 マタイによる福音書 10:16
子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。 「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、 「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。
新約聖書 エペソ人への手紙 6:1-3
権威という秩序



宇宙をも創造した方がいると聖書には書かれている
はじめに神は天と地とを創造された。
旧約聖書 創世記 1:1
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
旧約聖書 ヨハネによる福音書 1:1-3
イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
新約聖書 マタイによる福音書 28:18-20
妥協はぬるい



冷たいか熱いかであれと聖書には書かれている
わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
新約聖書 ヨハネの黙示録 3:15
恵みの根源



恵みの根源は神だと聖書には書かれている
いにしえよりこのかたの事をおぼえよ。 わたしは神である、わたしのほかに神はない。 わたしは神である、わたしと等しい者はない。 わたしは終りの事を初めから告げ、 まだなされない事を昔から告げて言う、 『わたしの計りごとは必ず成り、 わが目的をことごとくなし遂げる』と。
旧約聖書 イザヤ書 46:9-10
主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。 あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。 地はあなたの造られたもので満ちている。 かしこに大いなる広い海がある。 その中に無数のもの、大小の生き物が満ちている。
旧約聖書 詩篇 104:24-25
主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせられないであろう。あなたはただ栄えて衰えることはないであろう。きょう、わたしが命じるあなたの神、主の戒めに聞き従って、これを守り行うならば、あなたは必ずこのようになるであろう。
旧約聖書 申命記 28:13
偶然生まれたのではない



創造主が人も世界も造られた
プレアデスおよびオリオンを造り、 暗黒を朝に変じ、 昼を暗くして夜となし、 海の水を呼んで、地のおもてに注がれる者、 その名は主という。
旧約聖書 アモス書 5:8
わたしは地を造って、その上に人を創造した。 わたしは手をもって天をのべ、 その万軍を指揮した。
旧約聖書 イザヤ書 45:12
「それゆえイスラエルよ、 わたしはこのようにあなたに行う。 わたしはこれを行うゆえ、 イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ」。 見よ、彼は山を造り、風を創造し、 人にその思いのいかなるかを示し、 また、あけぼのを変えて暗やみとなし、 地の高い所を踏まれる者、 その名を万軍の神、主と言う。
旧約聖書 アモス書 4:12-13
人間の抱く願い



真理について聖書にはこう書かれている
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
新約聖書 ヨハネによる福音書 14:6
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
新約聖書 マタイによる福音書 6:33
この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、
新約聖書 テモテへの第一の手紙 6:17
人間とは一体何者なのか



神に喜ばれ、愛されるために生まれてきた
あなたを造り、あなたを胎内に形造り、 あなたを助ける主はこう言われる、 『わがしもべヤコブよ、 わたしが選んだエシュルンよ、恐れるな。
旧約聖書 イザヤ書 44:2
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
新約聖書 ヨハネによる福音書 3:16
主は遠くから彼に現れた。 わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。 それゆえ、わたしは絶えずあなたに 真実をつくしてきた。
旧約聖書 エレミヤ書 31:3
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
旧約聖書 創世記 1:26-27
何が善で、何が悪か



罪という悪について聖書にはこう書かれている
わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、 善を呼んで悪といい、 暗きを光とし、光を暗しとし、 苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。 わざわいなるかな、彼らはおのれを見て、賢しとし、 みずから顧みて、さとしとする。
旧約聖書 イザヤ書 5:20-21
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
新約聖書 ガラテヤ人への手紙 5:19-23
それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。
新約聖書 ローマ人への手紙 7:7
みんな違った人間



あなたは乏しくないと聖書には書かれている
主はわたしの牧者であって、 わたしには乏しいことがない。 主はわたしを緑の牧場に伏させ、 いこいのみぎわに伴われる。 主はわたしの魂をいきかえらせ、 み名のためにわたしを正しい道に導かれる。 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、 わざわいを恐れません。 あなたがわたしと共におられるからです。 あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、 わたしのこうべに油をそそがれる。 わたしの杯はあふれます。 わたしの生きているかぎりは 必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。 わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
旧約聖書 詩篇 23:1-6
すでに与えられている



神がそれを用意されると聖書に書かれている
しかし、聖書に書いてあるとおり、 「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、 人の心に思い浮びもしなかったことを、 神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」 のである。
新約聖書 コリント人への第一の手紙 2:9
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
新約聖書 ヨハネによる福音書 14:2-3
心の拠り所



偶像に気をつけよと聖書には書かれている
子たちよ。気をつけて、偶像を避けなさい。
新約聖書 ヨハネの第一の手紙 5:21
彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。 こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。 その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。 そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、これに祈って、「あなたはわが神だ、わたしを救え」と言う。 これらの人は知ることがなく、また悟ることがない。その目はふさがれて見ることができず、その心は鈍くなって悟ることができない。
旧約聖書 イザヤ書 44:14-18
豊かさについて



祝福は主から来る
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
新約聖書 マタイによる福音書 6:30-32
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
新約聖書 ヨハネによる福音書 14:27
ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
新約聖書 ローマ人への手紙 11:33
ヨハネは答えて言った、「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない。
新約聖書 ヨハネによる福音書 3:27
感想|松下幸之助の哲学を読んで


小難しく考えているなと思った
私は松下幸之助の数々の言葉を追う中で、ふと疑問が出ました。「もしかすると、この人は聖書を読んでいたのかな?」と。しかし、あるところから「いや、聖書を読んではいないな。または、読んでいても神様という存在を知らないな」とも。何というか、人生を深く考えていることは言葉の節々、思想から十分わかるのですが、一番大事なところを掴みきれなかったようにも思えるのです。若輩者が偉そうに、申し訳ありません。
なんというか、松下幸之助の言葉には聖書に思想に限りなく近く、崇高な精神が節々に現れていると感じました。しかし、肝心なところが曖昧なのです。たとえば「恵みの根源」「宇宙」などと、壮大な何かを本人は感じているものの、それがどんな存在なのか(または概念だと思っているのか)わかってはいません。それもそうです。この世界と私たち人間を計画もって造られた存在は創造主であり、その方を説明しているものは聖書の他に存在しません。
繁栄や幸福を求める人生
また、松下幸之助は度々ある言葉を使用しています。「繁栄」「平和」「幸福」「真理」などの言葉です。実は、聖書でもこういった言葉はよく出てきます。しかし、これらを目標として生きるのは違うなと、聖書を読んでいくと思わされます。しかし、松下幸之助はこれらを求め、掴んでいくことが人間の道であるかのようなニュアンスで語っているようにも思います。きっと、世の中の多くの方も同意見ではないでしょうか。
私もかつてはそうでした。いわば、「成功」という言葉に集約されているのかもしれません。仕事であれ、プライベートであれ、物も心も豊かさ・夢を掴み取ってこその最高の人生だと思ってきました。一見聞くと、素晴らしい大義にも聞こえます。聖書でもこういった話は語られていますが、風のように一夜にして去っていくあやふやなものであると教えてくれたように私は受け取っています。
最後にもっていけるもの
それよりも、本当に求めていくものは別にあるのです。最後にもっていけるものは、これら3つ「信仰」「希望」「愛」だからです。こんなこと、聖書以外にはどこにも書かれていません。本当の愛のこと、信仰という崇高な精神のこと、何に希望を持つのかということ、こういった高くて深い神様の知恵は聖書の中にしかありません。その宝を一生をかけて探し求めていくのが、この世における人間の在るべき姿なのかなと私は思ったりしています。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
新約聖書 コリント人への第一の手紙 13:13
とはいえ、人間の欲望も神様はご存じです。成功などのものも、添えて与えられることも神様は約束しておられます。ようは、神様を第一にして生きていく時、すべては与えられるのです。なんと慈悲深い神様でしょう。主の御名を賛美いたします。



















