私がはじめて聖書を読み始めたのは、人生が辛い時でした。「仕事が辛い」「生きていても楽しくない」「自分の道がわからない」と悲観していた時です。どうにか人生を良くしたいと、その当時はスピリチュアル(ニューエイジ)で満たそうと必死でした。そんな折、聖書に出会いました。それが、2023年4月のことで、生きやすくなれた証しをさせていただきます。
ドリーン・バーチュー氏の引退を知り、聖書を読み始める
ドリーン・バーチューとは、世界規模でのニューエイジ思想家(スピリチュアル)です。メイン商品は「オラクルカード」という神託の類のコンテンツ作成や、多くの出版物やセミナーなどをし、ビジネスとして大成功していた女性作家です。
私が初めて触れた聖書の言葉は「マタイによる福音書」
ドリーンをきっかけに聖書を購入した私です。なぜか、きちんと読みたくなったからでした。とはいえ、どこから読めばいいのかわかりません。旧約聖書と新約聖書の違いがわかりません。順序もわからず、適当にパラパラ開いて、気になったところから読もうと決めました。それが、「マタイによる福音書」でした。当時初めて出会って聖句は、今でも覚えています。
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
新約聖書 マタイによる福音書 7:7-8
引き寄せの法則だと勘違いをする
当時の私は、スピリチュアル(ニューエイジ)にどっぷりとハマっている人間でした。上記の御言葉を読んだ時、勝手に歪んだ解釈をしていました。「欲しいものをイエス様に伝えたら、何でも与えてくれるってことなのね!」と。スピリチュアル的にいえば、引き寄せの法則や、宇宙へのオーダーだなと一人納得していたものです。結論をいうと、違いますけれどね。ともかく、この時から私は、すでに門を叩くことになっていたのです。
私が見つけたのではない、神様が私を見つけてくださった
この時から、私はイエス様(神様)に惹かれていくことになります。上記の一節を読んだだけでも、何だか心が晴れ晴れとしてきたのを今でも覚えています。まるで、心に潤いが戻ったかのようでした。乾いていた喉に、水を与えられたかのようでした。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
新約聖書 マタイによる福音書 7:7-8
この御言葉は、私の宝物です。私はここでイメージをします。扉の前に、イエス様がいます。コンコン、とノックをされています。中にいる人は誰なのか? それは、私です。そして、これを読むあなたでもあります。何が言いたいのかいうと、私たちが救いを求める前から、イエス様の方からすでに歩み寄ってくださっていたのです。
遠くから人を見張っているかのような神様ではありません。すぐ側まで歩み寄ってくださり、呼び掛けている方なのです。この神様こそが、イエス様です。私は冒頭でもお伝えしましたが、人生に生きづらさを感じていた時期でした。辛い状況の私へと、イエス様の方から現れてくださったのです。
偶然なんてものは、ない
壁一つを介して、イエス様はすぐ側までいらっしゃるのです。壁はきっと、些細なものです。私の場合であれば、たまたまドリーン・バーチュー氏の引退を聞いて、たまたま聖書をパラ読みしてみて、たまたま目に入った御言葉に感激したように。けれど、これらは決して偶然ではないと思っています。ここがまた、イエス様の業なのだと確信してなりません。
イエス様は私たち一人ひとりと、その人に合わせた形で、個人的に関わりをもってくださると思っています。ですから、出会いも人それぞれ。もしかすると、今日このブログ記事を読んで、はじめて聖書の御言葉に触れた方もいるのではないでしょうか?それもまた、一つの出会いです。
聖書を読むと、生きづらさが消えた
人生に疲れ、生きる楽しみが見出せなかった私はもういません。イエス様との出会いをきっかけに、心が満たされていくのを感じました。あれだけ乾いていて、いつも何かを探そうと必死になっていた私は、聖書の御言葉一つで救われたのです。これが不思議ですよね。今だからいえますが、神様の御言葉には力があります。目には見えない力が働くのです。
私のブログに出会ってくださったことに感謝
ここまでお読みいただきありがとうございます。私がかつて、ドリーン・バーチュー氏をきっかけに聖書を読み始めたように、このブログがあなたのきっかけになれば嬉しく思います。
イエス様は今も、一人ひとりの門をたたいています。求めることはもちろん、探すことももちろん、門をたたくことも、私たちから歩み出したようで、実はイエス様がすでに側にいてくださいます。だから、私たちはイエス様に対して、心の門を明け渡すだけなのです。オープンハートで、イエス様をお迎えくださいね。
\ 聖書には主に「4つ」の訳があります! /