【あなたも偶像と同じようになる】むなしい物

    国々の偶像は金銀にすぎず 人間の手が造ったもの。 口があっても話せず 目があっても見えない。 耳があっても聞こえず 鼻があってもかぐことができない。 手があってもつかめず 足があっても歩けず 喉があっても声を出せない。 偶像を造り、それに依り頼む者は 皆、偶像と同じようになる。

    旧約聖書 詩編‬ ‭115‬:‭4‬-‭8

    心を向けているもの、

    眺めているもの

    に影響を受けるのが人間です。

    このことについて、

    クリスチャンの

    エレン・G・ホワイトは

    こう述べています。

    人間は、真理、純潔、聖潔に関して、自分が持っている観念以上に到達するものではない。もし、精神が、人間的水準以上に高められず、無限の知恵と愛を瞑想するために信仰によって高尚にされないならば、人間は常に低い方へ低い方へと沈んでいくのである。

    引用元:「人類のあけぼの」第8章 ノアの洪水 エレン・G・ホワイト

    このように、

    偶像は人間がつくった

    単なる物でしかありません。

    また、

    物ではなかったとしても、

    幻想・妄想でしかありません。

    私たちが拝む対象は

    ただお一人だけだからです。

    生きた神様です。

    むなしく偶像を拝むことは

    霊的な盲人へと成り果てます。

    「いやいや、違うんですよ。

    偶像として拝んでいるのではなく、

    目にみえることによって

    明確に想い馳せることが

    できるからなんです」

    このように、一見では

    もっともらしく言う人はいます。

    その気持ちは

    わからなくもありませんが、

    結論、罪の入り口になります。

    やがては、そのもの自体を拝みます。

    天地を造られた神様は

    人間が造ったものには

    到底おさまりませんし、

    表現などできません。

    人間はそれほど強くもなければ、

    むしろ弱い存在です。

    心の問題に関しては、なおさらです。

    偶像に縋って生きることは

    ますます自分を弱めます。

    弱い私たちを強めてくださるのは

    偶像などではなく、

    生きた神様です。

    神様を知るのに像は必要なく、

    信じる心が必要です。

    それは目に見えず、

    信仰の心が試されます。

    ですから、

    知るためには聖書を読み、

    自分の心で、

    まだ見たことのない景色すらも

    見ていく霊的な目・心を

    育ててみてくださいね。

    人間の精神は

    正しく用いると、

    神様と出会うことができます。

    そのように、

    神様は人間を造られたのです。

    生きた神様は私たち一人ひとりを

    個別で愛しておられます。

    その交流は、

    偶像があっては成り得ません。

    あなたの心が必要です。

    そして、誰でも、

    門をたたくものには開かれます。

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