【物語化批判の哲学】「何者かになりたい」の罠——自分ラベル化の気持ち悪さ

    「私はこういう性格タイプだから」「あの人はこうだから」と、自分や他人をラベルで判断すること、ありませんか? MBTI診断や占星術、相性占いもそう。面接の場での自己PRの物語化もそうです。簡単に自己理解できそうに見えて、実は人生を縛る“罠”になっていることがあります。私はこれらのものを気持ち悪く思っています。なぜなら・・・

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    何者かになろうとする心理がある

    何者かになりたい 気持ち悪い
    「物語化批判の哲学」難波 優輝

    \ 何者かになるを真面目に考える /

    「自分はこういう性格タイプだ」→「だからこう振る舞うべき/こうしか振る舞えない」という思考を招き、「自分はこうだ」という確定的ラベルを貼ってしまう。

    「物語化批判の哲学」難波 優輝

    MBTIや性格診断で自分を固定化する

    何者かになりたい 気持ち悪い

    最近はMBTIやエニアグラムが流行しています。「私はINFJだからこう振る舞う」「あの人はESTPだからこういう行動をする」と自己認識や他者判断に使う人も多いでしょう。一見便利ですが、その瞬間、あなたは「自分はこうでしかない」というラベルを自分に貼り付けています。

    このラベルが何を生むか・・・それは、自由な選択や変化の幅が狭まるのです。性格診断は参考にはなるけれど、それを絶対化して「だから私はこうしかできない」と考えると、知らず知らずのうちに自分を制限してしまいます。


    面接での自己PRも物語化

    面接の場では、自分の経験をきれいにまとめて語る習慣があります。「あの失敗は学びになった」「私はこんな価値観を大切にして行動しました」と、事実を美化して物語化するのです。本書『物語化批判の哲学』では、「自分像をアニメートする」と呼んでいます。自分自身の生の体験をも、綺麗な物語に当てはめているんですよね。

    確かに、面接では有効かもしれません。むしろそれを要求されます。よくよく考えれば当たり前かもしれません。ありのままのあなたを求めているわけではないのが面接です。商品としてのあなたを知りたいのが本音でしょう。ここに違和感、気持ち悪さを感じるのは人間として真っ当な感性だとも思います。

    ともかく自己を美化して語ることは、知らぬ間に自分の物語に縛られることでもあります。自己理解のつもりが、実は制限を作る行為になっているのです。


    占星術・相性診断の思わぬ落とし穴

    スピリチュアルや占いも同じ構造です。

    • 「私は水瓶座だからこういう性格」
    • 「私とあの人は相性が悪いから関わらないほうがいい」

    こうした判断は、型にはめて物語を作ろうとする行為です。一見論理的・合理的に見えても、心の自由を狭めている点で、MBTIや物語化と同じ罠。自分や他人を分析して物語を作ることで、思わぬ制限を生むのです。


    なぜ「気持ち悪い」と感じるのか

    ここまでの例を整理すると、私たちが「何者かになりたい」と願うとき、つい次のような思考をしてしまいます。

    1. 自分や他人にラベルを貼る
    2. そのラベルに従って行動を限定する
    3. 変化や新しい選択を自分から遠ざける

    MBTIや面接、占いの世界では、自己理解や他者理解のつもりでこうしたことをしてしまいます。便利に見えるけれど、自由な人生の妨げになる。「なんかおかしくない?」と感じるのは、その直感が正しいのです。


    自由になるために意識したいこと

    一言でいえば、物語に自分を納めすぎないように気を付けることではないでしょうか。人はそれぞれの役割をもっていますが、そのどれもが自分であり、役割なしの自分は「よくわからない」・・・それは至って普通のことです。会社員の自分、母親の自分、娘の自分、妻の自分、〇〇ちゃんの友達の自分など・・・その時々で自分も変わるのは普通です。

    それ以外の自分を無理に探そうと、あれこれと型に当てはめないように気をつけましょう。

    • 性格診断や占いは「参考情報」にとどめる
    • 自己PRや経験の物語化も、必要な範囲で事実整理として使う
    • 「自分はこうでしかない」と思い込まない
    • 行動と選択で変化を起こす意識を持つ

    さいごに、私の結論(信仰的視点)

    クリスチャンでもあるは、こう考えます。イエス様は聖書でこう言っておられます。「自分を捨てて、私について来なさい」。これはまさに、「自分ラベルや物語に縛られた自分を手放す」というメッセージだと思うのです。今回の、自己を物語に型はめする癖から脱却できる方法だと個人的には思っています。

    自己理解や成長のために、さまざまな物語化や診断を使うのは悪くありません。しかし、本当に自由な自分を生きるためにはそれに縛られない視点やマインドが必要です。何者かになりたい欲求の裏にある「自分固定化」の罠に、気づくだけでも大きな一歩になるでしょう。

    わたしはあなたをほめたたえます。 あなたは恐るべく、くすしき方だからです。 あなたのみわざはくすしく、 あなたは最もよくわたしを知っておられます。 わたしが隠れた所で造られ、 地の深い所でつづり合わされたとき、 わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。 あなたの目は、 まだできあがらないわたしのからだを見られた。 わたしのためにつくられたわがよわいの日の まだ一日もなかったとき、 その日はことごとくあなたの書にしるされた。

    旧約聖書 詩篇 139:14-16

    それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

    新約聖書 マタイによる福音書 16:24
    何者かになりたい 気持ち悪い
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