蒔いた種が、人生を変える

人は、何かしらの「投資」をして生きています。お金の投資、時間の投資、人間関係や健康への投資。それらはすべて、自分の未来に対して「良き実りを得たい」と願うからこそ行うのです。けれど、もしあなたが「霊的なリターン」を得たいと願うなら、人生最大の投資先は――聖書です。なぜなら聖書は、読む人の人生そのものを変える、神のいのちの種だからです。
聖書はすべて、神の霊感による生きた書物
聖書そのものが、こう語っています。
聖書は、すべて神の霊感によるものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。これは、神に属する人が、すべての良いわざを行うにふさわしく、十分に整えられた者となるためである。
新約聖書 2テモテ3:16-17
この御言葉は、聖書が「ただの良書」ではなく、神様の霊感によって与えられた“生きた書”であることを証ししています。つまり、私たちが聖書に触れるとき、それは神様の息吹そのものに触れているのです。単なる文字が羅列された書物ではありません。生きた言葉なのです。神様の言葉だからです。これは実際に聖書に触れ、自分の目と口で読み進めないわけには体験できないでしょう。
ともかく、神様の霊によって書かれた書物は、人生のあらゆる局面において道しるべとなります。迷い、苦しみ、悩み――その中で「正しく導く力」があるのです。いつの時代でも、現代にも、もちろん私自身も、幾度となく体験してきました。
聖書は“種”であり、人生のリターンを生む
投資の世界には、古今東西を問わず変わらない原則があります。それは、「蒔いたものを刈り取る」という法則です。この原則は、聖書の中でもこう表されています。
思い違いをしてはいけない。神は侮られるようなかたではない。人は、その蒔いたものを、刈り取ることになる。
新約聖書 ガラテヤ6:7
つまり、私たちが心に何を蒔いているかが、将来の実りを決定するのです。
聖書の御言葉は、神様からの真理の種です。それを心に蒔くとき、やがて人生という畑に豊かな収穫が与えられます。それは目に見える形かもしれませんし、内面的な平安や確信という形かもしれません。いずれにせよ、神様は必ず報いてくださるお方なのです。私はそれを100%信じているので、100%の報いを受けた経験があります。神様は本当に今も生きていて、しかも助けを呼べばすぐに助けてくださる、とてつもなく身近なお方です。
聖書は“教え”、“戒め”、“矯正”、“義の訓練”
人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である
新約聖書 2テモテ3:16-17
ここにある4つの働きは、私たちの人生を豊かにするための「霊的トレーニング」とも言えるでしょう。つまり、自分という人間の成長です。
- 教え(Doctrine):人生の正しい土台を築きます。
- 戒め(Reproof):間違った方向へ進んでいるときに警告してくれます。
- 正しさ(Correction):すでに起こしてしまった過ちを修正してくれます。
- 義の訓練(Training in righteousness):日々の歩みの中で、神様に喜ばれる者となるよう鍛えてくれます。
これほどまでに実践的で、私たちを助けてくださるお方・主という神様は、どこまでも愛に満ちています。そのような“神様の声”が詰まった書物を、私たちは軽んじるべきではありません。むしろ、そこに日々の時間とエネルギーを投資することこそ、最も確かな人生の投資なのです。
御言葉が「道」となる
私たちは誰しも、「どこが正しい道なのか」と迷う瞬間があります。そんなとき、御言葉は静かに、けれどはっきりと、こう語ります。
あなたのみことばは、わたしの足のともしび、わたしの道の光です。
旧約聖書 詩篇119:105
また、人生の深い部分にまで届くその力も、こう表現されています。
神の言は生きていて、力があり、もろ刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、また関節と骨髄とを切り離すまでに刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを見分けることができる。
新約聖書 ヘブル4:12
つまり、聖書は外側だけでなく、私たちの内なる動機や思いまで、光で照らしてくれる存在なのです。
神様は、御言葉を通して今も語られます
私自身、聖書を読むたびに不思議と内側から「今、読むべきこと」「今、すべき選択」が示されることを経験します。これは、自分の直感ではありません。神様の霊(聖霊)によって、私たちの霊に直接語りかけてくださる導きです。
ところで、「霊感」と言ってきましたが、もしかするとこの言葉に語弊が生じているかもしれないと思い、ここで弁明させてください。日本語で訳すと霊感になるのですが、世間で言うスピリチュアルやニューエイジ、オカルト的な意味ではなく、神からの直観的な導き、真理への気づきだと私は信じています。
ものすごい祝福が約束された投資
この世の投資は、必ずリスクを伴います。けれど、聖書への投資は違います。これは、神ご自身がリターンを保証してくださる唯一の投資です。しかもその報いは、一時的な利益ではなく、永遠に価値ある祝福です。魂から喜び、命が輝き、人生が素晴らしくなる方法は、神様に身元に近づくだけ。神様を信仰する人生に切り替えるということです。それこれが投資です。こればかりは、強制など一切できず、自分自身が決心することです。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植えられた木のようだ。時が来ると実を結び、その葉は枯れず、その人のすることは、すべて栄える。
旧約聖書 詩篇1:2-3
今日、聖書を開いてみてください。そこには、神様のことばという永遠の種が備えられています。あなたの心に、その種を投資してみませんか?やがて必ず、驚くほどの祝福が、あなたの人生に実を結ぶはずです。