この世界では、何かを手に入れるには、何かを差し出さなければなりません。まるで等価交換のように。では、私たちが「成功・お金・力」を得たとき、その代償として何を失っているのでしょうか・・・?静かに考察していきたいと思います。そして、かつてはそれらを追い求めていて挫折し、けれどもっと大切な真理に出会った私なりの結論もお話します。
成功の代償

成功者の言葉に耳を傾けると、そこには必ずと言っていいほど“代償”の話がついて回ります。努力の結果、手に入れたものの裏に隠された、失ったものの存在――それは時に、成功それ自体よりも重く、鋭く、静かに人の心を蝕んでいきます。
成功を手に入れた人は、多くの犠牲を払っています。家族との時間、心身の健康、自分自身と向き合う余裕。成功の裏にあるのは、孤独やプレッシャー、止まれない苦しみです。「すべてを手に入れたけど、いつも不安だった」そんな声が、成功者たちからよく聞かれます。もちろん、そこから脱却して幸せな方もたくさんいらっしゃいます。それはもう少し後ろでお伝えしますね。
お金の代償
みんな大好き、みんな求めているお金。いつの時代でも求められたこのお金というのは、強烈な強い魔力のような吸引力を感じますね。お金と命は天秤になるどころか、お金の方が傾くほどの重みすらあるのです。命がどれだけ重要なのかもわからずに。
自由をもたらしますが、それと引き換えに人間関係の本質が変わってしまうこともあります。「この人は、私を“人”として見ているのか?それとも“金”として見ているのか?」という疑念。信頼の喪失。真に心を許せる人が減っていきます。
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
新約聖書 マタイによる福音書16:26
力の代償
権力や影響力を持つということは、多くの人の上に立つということ。それは、道徳的責任や良心の葛藤を抱えることにもなります。正しいことをする勇気よりも、批判されない選択をしてしまう弱さ。力を持つ人ほど、純粋さを失いやすくなります。
それでも、権威の上に立っている人に従うのが人間であり、守るべきでしょう。少なくとも自分が頂点ではありません。それを知らずしての権威を誇示するのは愚かであり、破滅です。この意識をもって、責任と謙虚さを持っている人はどれほどいるでしょうか・・・。
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。 従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。
新約聖書 ローマの信徒への手紙 13:1〜2
「魂を売る」という最大の代償
成功・富・権力を追い求めるあまり、人は“なぜそれを欲しかったのか”という原点を見失うことも。他人の評価、数字、称賛に振り回されるうちに、本来の自分――「魂」や「良心」「使命感」を犠牲にしてしまう人が多いのです。
この記事を書いている私でも、規模こそ小さいですが「稼ぎたい(お金がほしい)」という行き過ぎた気持ちのあまり、ここではあえて書きませんが失ったものも多々ありました。また、かつて夢見た理想を叶えても、「心が満たされない」「本当の自分がどこかへ行ってしまった」と感じる人だっています。外の世界を手に入れた代わりに、内なる世界を空洞にしてしまったからなのかもしれません。
これらを何を得て、何を失いましたか?そして、その代償に、納得していますか?そう問いたくなる人もこの世にはたくさんいます。何が一体幸せで、何が真実なのでしょう。最後に答えをいいますと、イエス・キリストです。この方を知らずして、成功・お金・力は何の意味もありません。いえ、天秤にもかけられないほどの命の価値を真に知ることはできないのです・・・と言った方が正しいでしょう。
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
新約聖書 ヨハネによる福音書 14:6
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 二人はすぐに網を捨てて従った。
新約聖書 マタイによる福音書 4:19〜20
\ 成功・お金・力から目を覚ます /
