【思考の洪水】白黒つけたがる人って、生きづらい

    私はどうやら、人よりも深く考える癖というか、思考があるようです。そして、思考が強めだということにも気づきました。「人や物事に対して常に“ハッキリさせたいタイプ”なんだな」と。これこそが、生きづらさの原因になっているのかもしれない・・・という思いから記事にしてみました。もしあなたも「白黒つけたい」「曖昧がイヤ」と感じるタイプなら、この記事を最後まで読んでみてください。現実へのモヤモヤ(生きづらさという言語化まで行かなくても)と向き合えるチャンスだと思います。

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    「白黒つけたがる人=わがまま」?自覚なき“正しさ”の追求

    白黒ハッキリさせたがる人って、実はわがままな一面を持っている気がします。いえ、そうですよね。フラットな思考とはまた違いますから。平等に考えることは人間誰しもが意識すればできることだとは思いますが、何せ自分自身の意見が強いと・・・それはフラットではなくなるのです。そして、白黒ハッキリさせたくなるという。…といっても、本人にその自覚は案外ありません。これ、少し前までの私のことを言っています。意見が強かったです。わがままという表現がぴったりかもしれません。

    白黒は正解に行き着くのでしょうか?

    ある時、会社の先輩にこう言われてハッとしました。「あなたって、いつも“正解”を求めてるよね」別の人からは「意固地だなぁ」と。これらの言葉を聞いた時、深い意味こそわからないにしろ、急に自分が恥ずかしくなったのを覚えています。今まで自分の意見は正しいと思っていました。誰だってそういう部分はあるかと思いますが、私はとりわけそうだったのです。これこそが生きづらさの原因だと、30歳手前にしてようやくわかりました。

    目的思考が強すぎると、曖昧を嫌い、白黒ハッキリを求めてしまう

    巷で言われている生きづらさの要因って、探せばたくさん出てきます。自己肯定感なんて言葉もあります。私はこれ、少し違うと思うのです。先ほどから連呼している「白黒」さ、これが生きづらさの原因であり、思考なんだと思っています。いわば「白黒思考」とでもいいましょうか。

    白黒思考と人間味

    では、それはどういった場面であるのか?たとえば、「これって何のためにやってるの?」と目的をすぐに探ろうとしたり、何でもゴールを決めてから動きたがるのも白黒思考です。一見、良いように聞こえますよね。なんなら、ビジネスでは当たり前かもしれません。しかし、ここには人間味がなくなっていくという罠があります。目的意識が強くなりすぎて、“答えのないもの”に対する不安が大きくなっていくからです。または曖昧なものは受け付けたくないという愛の欠如さ。

    白黒思考には優しさがありません。ですから「理由のない行動=意味がない」とすら思ってしまうのです。でもですね、本当は目的がなくても行動はできるんですよね。もちろん目的はあったほうが道がまっすぐになりますが。許容といいますか、人や物事に対して許す心なしに、白黒思考は治ることはないと自負しております。

    世の中のほとんどは“グレー”でできている

    白黒思考

    なぜ白黒ハッキリさせることが自分を苦しめるのか?良いことではなかったの・・・?そんな価値観が無意識に根付いていた私に対し、気づきを与えてくれた人がこう教えてくれました。

    「昔の私もそうだった。だけど、世の中のほとんどは“グレー”ばかりなんですよ。白黒つけられることなんて、ほんの一部。」

    これを聞いた時、私は衝撃を受けると同時に、自分がとにかく恥ずかしくなりました。何もわかっていない子供のような自分を自覚したのです。白黒ハッキリしているとわかりやすいし、安心しますよね。しかし、世の中はそんなもんじゃないということ。現実は単純ではないのです。グレーの中で、悩み、対話し、相手を想ってより良い方向へと進んでいく・・・。いわばグレー思考。これなしでは、どこに行っても何をしても対立したり、孤立するなど、白黒思考している本人が一番苦しみます。

    グレーの中にある“創造性”と“自由”

    白黒思考から、グレー思考へ。少しずつ許し、受け入れることを意識しました。そこで私は気づきました。「グレーって、けっこう楽しいじゃん」と。ハッキリさせないままでもいいのだという境地を知りました。ガチゴチで頑な心が溶かされていったのです。物事がまだ決まっていない段階で、自分の思いを打ち明けつつも、仲間の意見も取り入れて一緒に組み立てていく。そのプロセスこそが難しくもあり、楽しい。自分だけの世界から広がっていったのです。“正解”ではなく、“創造”していく感覚を知りました。一人より二人がいい。これが本当の自由なのかもしれません。

    結婚こそ、究極のグレーゾーン?

    隣人愛 金持ち 聖書

    ちなみに、私に気づきをくれた人はこうも言っていました。

    「この“白黒思考”って、パートナーシップにも出るよ。私もかつてそうだったから、すごくわかる」

    ・・・ちなみにわたくし、独身(32)でございます。結婚願望はもちろんあるのですが、どうもなかなか上手くいかず。これには自分自身も言いようのない何かを感じては悩み、葛藤していました。ですから、このような言葉を言われた時は本当にドキッとしましたね。ちなみにこの発言をされた方はミラクルな結婚を遂げました。玉の輿とか言っても過言ではないくらいです。これで未婚でしたら聞く耳持たずだったかもしれません(そういうところだよ!←)

    人間誰しも個性がある

    結婚をしていない私でも、なんとなくこの言葉はわかる気がします。結婚こそ、まさにグレーの連続なんだろうなぁと。性格も価値観も違う二人、しかも異性同士が同じ空間で暮らすのですから、白黒どころかグレーでいっぱいでしょう。人間誰しも個性があり、一人として同じ人などいませんから。・・・当然ですよね。「どっちが正しい」「白か黒か」で判断しようとするほど苦しくなるのは、当たり前であり、もっと自覚を持たねばと思い知らされました。

    白黒とグレー、どう付き合うか?

    白黒 思考

    私の結論は2つあります。

    ①「自分を深く内観し続けるしかない」、②「他者に愛情を向けよう」

    白黒思考は案外自分を理解していない証拠

    まず①ですが、これは自分自身に問うことですね。「なぜ白黒つけたがるのか?」「なぜ曖昧がイヤなのか?」「本当は何に不満があるのか?」もし、自分の意見が強く出そうになった時は、まずは一呼吸置いて、よくよく自問してみることですね。または一晩寝かせてもいいかもしれません。白黒な意見は、冷静な心なしにはまともに向き合えません。案外、自分のことって自分ではすぐにはわからないものですから。感情に振り回されるな、ってことですね。

    愛情こそがグレーを受け入れる土台

    そして②ですが、こちらの方がはるかに大事です。白黒つけたがる人って、自分が必要以上に大好きなんですよ。かつての私も、今の私もそう。人間誰しもそうですが、自分が一番可愛くて仕方がないのです。そして時には、自分が幸せであるならば、他者のことなどどうでもいいという愛情も何もない思考にさえなってしまいます。

    少し話が飛躍しますが、今の日本がまさにこれだなと個人的には感じます。だって、電車で押しのける人っているでしょう?エレベーターで開くボタンを押して「お先にどうぞ」という人がずいぶん少なくなったことも。人にわざと体当たりして何か憂さ晴らしする人だっています。愛情、ありますか?・・・極端なお話をしてしまいましたが、本当に愛情があれば白黒なんてどうでもいいといいますか、グレーのままでもOKなんですよね。それが人間であり、肯定しており、根底には愛情があるから。

    人との関わりの中で教わった経験をシェアさせていただきました。そう思い返すと、人との関わり、ましてや深い対話は宝です。これを読むあなたの参考になれば幸いです。

    イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。

    新約聖書 マタイによる福音書 1:18〜20
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