【幸せとは?】本人の価値観次第

    悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。

    新約聖書 コリントの信徒への手紙 二 6:10

    パウロは痩せ我慢をして

    このような言葉を

    言っているのではありません。

    パウロは貧しいようでしたが、

    多くの人々が

    彼によって多くの霊的祝福を受けました。

    何も持っていないようでも

    蓋を開けると

    あらゆるものを持っていたのでした。

    幸せな人というと

    お金持ちの人、地位のある人、

    大きな実績をあげた人など、

    色々出てくるかもしれませんが、

    他人からどんなに

    幸せだと思われていたとしても

    本人が幸せだと感じていないなら、

    その人は幸せではないのです。

    逆に、周りからどんなに同情されようとも

    本人が幸せだと感じているなら、

    その人は幸せなのです。

    結局は、

    周りの状況ではないという事です。

    ある障害の子供を持つお母さんは、

    障害が不幸なのではなく、

    生涯が不幸だという価値観に

    動かされているから

    不幸なのだと言っています。

    自分自身が

    心の底から幸せですと言える人は

    状況は関係なく、

    内側が満たされている人です。

    しかし、

    内側が満足していない人は

    外側に満足を求めようとしてしまいます。

    それがお金だったり、

    肩書きであったり、

    色々な物で着飾っていかなければ

    不安になるのです。

    パウロが

    「悲しんでいるようで常に喜んでいる」

    と語ることが出来たのは

    内側に

    キリストという満足を得ていたからです。

    御言葉、神の力のみが

    悲しみの中にあっても

    常に喜びに生きる人に

    造り変える事が出来るのです。

    世の中、将来に対する不安材料は

    山のようにありますが、

    イエス様を見続け、

    周りの状況に左右されることのない

    幸いを手にして歩んでいきたいと思います。

    軽くて読みやすく革もイイ!
    聖書が初めての方は、新約聖書から読んでみてくださいね〜
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