もう32歳だった──独身、さびしい女の話をしよう

    気がつけば32歳な私。ふと見渡すと、数少ない友達はみんな結婚。子どももいる。会社の人たちも、年齢が近い人はほぼ結婚、またはパートナーがすでにいる。急に現実を思い知らされた私は、ここ数ヶ月、いや、ここ数年心が穏やかではない。ずっと神様に祈っているのに、私の現状は独身女性(32)。そんな私のさびしいお話をここに記録しておきたいと思う。

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    32歳、独身女性のリアルな孤独と不安とは?

    どうして私だけ?比べてしまう心の仕組み

    自分でも自覚しているが、どうしてもやめられずにはいられない闇の心がある。それは『比較』。SNSは便利だけれど、その分、赤裸々に・または嘘に塗りたくられた現実をまじまじと見せつけられる。結果、周囲と比較するたびに感じる私の心は「取り残された感覚」「余り物」といった、自己肯定感を低くさせるような惨めな思い。自分が勝手に思い、感じていることもわかっているのに。

    周りの人の幸せが辛い。祝福できない私が嫌になる

    結婚と聞いて、なぜか苦しくなる。そう感じたのは、私が26歳になった頃からだったと思う。妹が結婚したから。そして一年もしたら、妊娠の報告が!私はこれを聞いた時、妹はもう「違う人」だと感じるようになった。なんていうか、妹は「大人だ」「きちんとしている」と感じたからだ。自分は生涯の相手を見つけることもできず、仕事もフラフラしていたから(当時ね)。つまり、結婚・出産の報告を心から喜べない自分への自己嫌悪があり、それは32歳になってもまだ続いている気がする。

    マッチングアプリを使ってみたけれど…現実は厳しい

    表面的なやりとりや無関心なメッセージの虚しさ

    結婚に焦り出した26歳頃の私は、マッチングアプリを始めてみた。ちなみに、このブログはクリスチャンとしての私が執筆しているのだが、その当時の私はクリスチャンではなく、神様もいるか・いないか、興味もない、どこにでもいるような人間だった。そんな私はアプリを進めるも、虚しさばかり残った。「恋愛って何だっけ?」と悲しくなり、中学生の頃の淡い恋をふと思い出しては、わりと本気で懐かしく思った。それくらいには、現実の条件付けと感情の伴わないマッチングに早くも嫌気がさしてきた。

    「もう遅いのかな…」という不安に飲み込まれそう

    30歳の頃、数年ぶりにマッチングアプリを始めたことがある。しかし、私はここで早くも悟る。30歳になったとたん、なんだかマッチングが少なくなってきたということ。30歳になってから始めて体感してわかったのは、20代というブランドはとてつもなく価値が高かったのだということ。

    ちなみに、補足程度の話だが、私は31歳で転職をした。その職場は20代が多く、この時にも「あ、私はもう若くないんだ・・・」と悟った。過ぎ去ってから気づく価値ってあると思う。

    32歳独身女性が将来に感じる不安ベスト5

    経済的不安、老後、孤独死…未来が見えない

    自分で言うのも何だが、32歳の今が一番大人だ。いや、そうだ、そりゃそうだ。それを言いたいのではなく、将来に不安を感じてきたから→大人になったのかも、という自覚だ。自分でもこれを書いていて、若干意味がわからないことを言っている自覚はある。なんていうか、20代の頃の私は「なんとかなる」とすべてに対して楽観視しており、実際なんとかなっていた。しかし、結婚を考えた時、いや、独身である自分を目の当たりにしたとき、不安が本気で広がった。

    32歳独身女性の不安要素

    1. 今の経済力で生きていけるのか不安
    2. 一人で生きていくのか・・・と絶望
    3. 孤独を感じたまま惨めに生きていく自信がない
    4. というか、未来が見えない
    5. お父さん、お母さん、ごめんない・・・って気持ち

    悲しきかな、これが私の本音です。

    とはいえ、焦りすぎると逆効果?

    「幸せになるために頑張ってるのに、どんどんつらくなる」

    ぶっちゃけ、私は頑張ってきた。あ、婚活ではないよ。結婚した周りの人の話を聞くと、やっぱり頑張って動いてきたからという結果がほとんど。そういう意味では、私は婚活をしてこなかったに等しい。じゃあ、何をしていたのかというと、それも辛い話。私本人は頑張って生きているつもりだが、結果としては、仕事も住む場所も転々として、キャリアも積めていなければ、お金も積めていない、何も持っていない人生を送ってきた。こんな現実、正直辛い。もう嫌だって何度でも思う。

    一度立ち止まって、自分に向き合う時間も必要だった

    けれども、私はこんなぐちゃぐちゃな32年間を歩んできたからこそ、かけがえのない出会いも果たした。それが、聖書。そこから知った、生きている神様の存在。心の拠り所だとか、そんなぬるい表現では語れない。きっと、人生上手くいっている人から見れば、神様を信じている私のことは「弱い人間」「なんかかわいそう」と距離を取られるかもしれない。いや、実際そういう経験もした。けれども、惨めな自分を体験せずして、神様と出会うこともなかった。

    不思議なんだけど、神様を知ると自分のことがわかってくる。自分=神、では決してないのだけれど、神様を通して自分の本当の姿が明け透けと見えてくる不思議な学びもした。自分と向き合う時間にも、結果的になったのだと思う。それが、31~32歳の時に起きたこと。つまり、今。

    結婚しない人生は本当に不幸なの?

    それでも私は結婚したい

    私が結婚したい理由は、ぶっちゃけただ1つ。人生という荒波を、二人で渡りたいから。それだけ。けれども、これが一番重要。妻と夫であり、友であり(それも親友というか戦友というか)、みたいなね。そう考えるようになったのは、神様を知ってから。私が30歳でクリスチャンとなり、いろいろ熟考して31歳になったあたりから。

    逆に言えば、31歳よりも前の私には、結婚したい明確な理由はなかった。願望はあったけれど、結婚に対して確信的なはっきりした理由などなかった。これも、今だから気づけた話。そう思うと、私の人生は不幸でもないと思う。けれども、結婚という幸せを享受したい。

    神様は男と女を創られたから

    結婚したいと思うのは、誰もが持つ当たり前の欲求

    私は聖書を読み始めてから、異性に惹かれ、結婚に憧れる理由が深いところで理解できた。結婚とは、神様が創られたもの。人間が勝手につくったものではない。それが、聖書の創世記1~3章を通して書かれている。アダムとエバという、男と女を創られたからだ。神様がご自分を型取って、この男と女という人間を創ったのだという。そうであれば、人間って凄く尊い存在じゃないか・・・!と、聖書に始めて触れた私は感激した記憶がある。

    別に、男とか女とか、分けなくてもよかったじゃない。そう思ったこともある。けれど、男と女をわけてつくり、二人で協力して生きていくことを、神様は祝福された。それが結婚。6000年前にできた祝福は今も続いており、今もみんな追い求めている。そう思うと感動すら覚えるよ。

    「独身=負け組」って誰が決めたの?

    結婚しない人生は本当に不幸なの?

    結婚を神様が祝福されているのならば、独身は祝福されないの?と考えてしまったことが私にはある。けれども、A=BはB=Cでもある、みたいな方程式ではないのも、聖書を読んで理解した。神様を信じ貫いた、パウロという男性が聖書(新約聖書)に出てくる。この人は、結婚についての助言を記している。そして、イエス様も結婚について語られている。これには私も驚いた。要約すると、「結婚は二人の人間が魂レベルで一体となり、神様は祝福される。しかし、独身もまた神様は祝福される。特別な人、神様の御心によって選ばれた人なのだから」みたいなね。

    『創造者は初めから人を男と女とに造られ、 そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。 彼らはもはや、ふたりではなく一体である。 だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。

    マタイによる福音書19:4-6

    「普通の幸せ」を疑ってもいい

    聖書を読むと、結婚の美しさを常々感じる。今執筆しながら悟ったのだが、私がクリスチャンになってから本気で結婚に憧れたのは、聖書における結婚の素晴らしさに感動したからなのかもしれない。だからこそ、聖書が否定している結婚においては、私は嫌悪感すら思うようになった。結婚前の同棲だとか、婚前性交だとか、不倫だとかね。世の中の風潮に自分を合わせていくと、とたんに何かがおかしくなっていきそう。幸せとは何なのか。結婚とは何なのか、世間一般の常識を疑うことで楽になることもある。

    それでも私は幸せになりたい。独身女性の小さな希望

    「今のままの自分」を認めることから始めてみる

    大前提、結婚=幸せ、ではない。けれども、聖書を読んできた私にとっては、結婚は神様からの祝福の一つだと認識している。結婚が私の運命にあるのだとしたら、私は受け取りたい。きっとそれが私の幸せなのだと謎の確信すらあるから。これが今の私の希望。ならばこそ、私が私を知らずして、認めずして、一体どう結婚できるのだろうか?もっと言えば、幸せな結婚は、自分自身の在り方次第なのだと思った。

    恋愛や結婚がゴールではない

    そんなことはわかっている。どこからか、聞こえてきた(私の声だよ)。けれども、結婚ができるのならば、した方がいいと思う。結婚を目指してもいいと思う。何をもってゴールと呼ぶのか、これ次第だとは思うが、私はゴールでもいいと思う。一人で生きてきた人生のゴールであって、結婚後は二人になる(二人だけれど霊的には一人同然の一体)スタートでもあるなと。・・・なんて神秘的だろう。

    人生はまだまだこれから。未来の可能性は閉じていない

    遅咲きでもいい、自分にとっての幸せの形を探す決意

    32歳、もう遅咲きの類に突入だろうか?確かに、世間を見れば私は遅咲きどころか、咲いてもいない、余り物でもあるだろう。けれども、聖書を知ってからの私は、31歳から人生が新しく始まった気もしている。決して明るい輝かしい人生を歩んでいるわけではないけれど、ぶっちゃけ、神様がずっとそばにいてくださるのを何度も体験してきた。そう思えばすでに幸せなんだけども。ともあれ、今がようやく私にとっての大人。大人になったばかり。ゆえに、可能性は広がっているとすら思ってしまう。

    まとめ

    今の不安や寂しさは「今の私の一部」であって、全てではない

    結婚できない今の私は、何であれ、やっぱり何だかんだで辛い。神様、どうにかして!って本気で何度思ったことか。それでも、今の不安や寂しさ、悲しみ、惨めさ、孤独さは無意味ではないことも知っている。聖書的に言えば、試練だとも言える。神様は何か計画があるのだと思う。こういったネガティブな経験でしか学べないことがあるのだと思う。それを知れ、と神様は教えてくださっているのだと思う。そう思うと、独身の辛い時期すらも祝福なのかもしれない。

    希望を持って生きていきたい

    主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。 それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。

    エレミヤ書29:11

    同じように悩む人がこの記事を読んで、少しでも「私だけじゃない」と感じてもらえたら嬉しいです。そして、ぜひ聖書を読んでみてください。創世記(旧約聖書に含まれます)は特に!結婚を切実に願っている人は、きっと何かあなたの心に残るかけがえのない宝を手に入れられるはずだから。

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