聖書に出てくる「性」の結びつきについて

    聖書には人類の起源が描かれており、実は驚くほど赤裸々です。恥ずかしいことも隠さず、神様の視点で淡々と語られています。今回は、性交渉にまつわる聖書の記述から、私なりに感じた「意味の深さ」について、シェアさせていただきます。

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    アダムは妻エバを知った

    「さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、『わたしは主によって男子を得た』と言った。」
    (旧約聖書 創世記 4:1)

    人類初の性交渉を、驚くほど簡潔に描写した箇所です。文脈からも読み取れるように、ここでの「知る(know)」とは性交渉を意味しています


    なぜ「知る(know)」が性交渉なのか?

    そもそも、性交渉はなぜ行われるのでしょうか?
    人類のはじまりであるアダムとエバの関係から、改めて考えてみると以下の理由が浮かびます。

    1. 家族を増やすため(子孫繁栄)
    2. 愛し合っているから(性的欲求、愛情)

    現代でも「寝る」「抱く」といった婉曲表現がありますが、「知る」という表現は、それ以上に相手の本質を深く知ることを含んでいるように感じます。


    夫婦は「知る」必要がある

    「寝る」「抱く」といった言葉と、「知る」との違いを考えると、後者のほうが遥かに意味が深いことに気付かされます。これこそが、今回私が最も伝えたいことです。

    以下は、アダムがエバを初めて見たときの言葉です。

    「ついに、これこそ わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
    「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」
    (旧約聖書 創世記 2:23-25)

    夫婦とは、互いを深く「知る」ために存在するのだと、強く思わされます。


    現代では「SEX」が蔓延している

    アダムとエバという最初の夫婦に思いを馳せると、その関係性は本当に美しいものだったと感じます。
    しかし、現代においてはどうでしょうか。不特定多数との関係や、性をビジネスにする行為が蔓延しています。これは、実は創世記の時代からすでに起きていたことで、聖書でも明確に語られています。


    性に「悪」が入り込んだ

    聖書の記述をもとに、事実ベースでお話しします。

    1. アダムとエバの息子・カイン(弟アベルを殺害)の子孫レメクが、一夫多妻制を実行。
    2. アダムとエバの息子・セトの子孫が、カインの系譜と交わり、神様はこれを悲しまれた。
    3. セトの系譜に連なるノアの時代、地上が堕落し、神は人類を大洪水で一掃される。

    つまり、性の領域にも「罪」や「堕落」が入り込んでしまったということです。


    大洪水後も満ちた性的な悪

    大洪水によって地上が清められた後も、悪は再び満ちていきました。ノアの子孫アブラム(後のアブラハム)の時代、甥のロトが暮らしていた街「ソドム」は、不法と性の乱れに満ちた街として描かれます。現代でも「ソドム」は、堕落や悪徳の象徴として語られることが多くあります。


    【個人的な話】「悪徳の栄え」に共感していた過去

    ソドム 聖書
    ソドム 聖書

    少し個人的なお話ですが、私はクリスチャンになる前、欲望のままに生きるアンダーグラウンドな世界が好きでした。性的描写やグロテスクな芸術表現に惹かれていたのです。中でも、23歳の頃に読んだマルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』や『ソドム百二十日』は、私にとって魅力的な一冊でした。ちなみに、訳の澁澤龍彦さんのファンでもありました。相当病んでいましたね、当時の私は。それと、『ソドムの市』なんていうとんでも映画も世の中にはございます。検索はされない方がいいです・・・。

    ともあれ、今思えば、それらに惹かれていた当時の私は、まさにソドム的な精神状態だったのだと思います。


    性交渉から「愛」が取り去られた

    「知る」という言葉が表す性交渉は、本来愛に満ちた、夫婦のための神聖な行為です。それが、いつからか「いやらしいもの」「穢れたもの」となってしまったのは、人に罪が入ってきたから

    この点については、サタンの影響という大きなテーマとも関わるため、より詳しくは下記の記事をご覧ください。

    👉 聖書と宇宙戦争についての記事


    聖書で初めて「SEX」が出てきた箇所

    最後に、英語訳の聖書で初めて「SEX」という単語が出てくる箇所をご紹介します。

    「彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。『今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。』」
    (旧約聖書 創世記 19:4-5)

    英語訳(NIV)ではここで初めて「SEX」が使われています。以前までは、性交渉も「know」と訳されていましたが、ソドムの乱れた行為に関しては、あえて「SEX」と訳されているのです。

    個人的には、この訳を読んだとき、「この単語には、なんて下品さがあるのだろう」と感じました。
    「知る」という神聖で美しい行為と、まるで対極にあるような、堕落した響き。それが、「SEX」という言葉には込められているように思います。


    まとめ

    聖書 性交渉

    「性」とは、単なる本能的な行為ではなく、深く相手を「知る」ための神聖な営みである――聖書を読むことで、私はこのような視点を持つようになりました。聖書の中にある「知る」という言葉の重み、そして、それが失われてしまった現代の状況に、改めて思いを巡らせたいと思います。


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