私は転勤族の家庭で生まれました

父は転勤族の営業マンでした。私たち家族はその辞令に従って、日本各地を転々とする生活。生まれたときから中学生くらいまで、私はずっと「転勤ありきの暮らし」を送ってきました。この生活を振り返って、ひとつ思うことがあります。それは、「家があるって、すごく大事だな」ということ。転勤族の子供だった私だからこそ、強くそう感じるのです。
転勤族の家庭で育つことのメリットとデメリット
◎メリット
・いろんな土地に住める。旅行とはまた違うリアルな体験ができる
・普通のサラリーマン家庭だけれど、裕福に見えることもあった
全国各地をまわることで、他の子たちよりも視野が広がったのは確かかもしれません。大人になった今でこそ、それを良かったと思える部分もあります。
▲デメリット
・仲良くなった友達とすぐ離れないといけない
・方言に馴染めず、孤立感がある
・年齢が上がるにつれ、新しい関係を築くのがしんどくなる
・「転校生」というだけで、どこか浮いた存在になる
正直、メリットよりも、心に残っているのはデメリットの方でした。
家庭の崩壊と、居場所のなさ
父と母は、転勤生活の中で少しずつすれ違っていったように思います。転勤のせいだとは断言できないけれど、次第に会話は減り・・・私が成人した後、2人は離婚しました。そして、気づいたときには「私には帰る場所がない」という感覚だけが残りました。「実家」と呼べる家がないのです。
親は離婚して別々に暮らし(県外)、どちらの家も賃貸。私が慣れ親しんだ土地もなく、思い入れもない。地元と呼べる場所もなければ、「ただいま」と言える家もない。ああ、これが一生ジプシー生活かと、そう思うと、心にぽっかりと穴が空くのが、転勤族で生まれ育った私の思い。
母を見ていて感じたこと
母はいつもパートで働いていました。時期によっては仕事をしていないこともあった。20代の私は、どこかで母のことをうらやましいと思っていました。私だって仕事をしたくなかったから。ですが、そんな思いも30代になった今では、見方が変わりました。母は可哀想だとふと思ったのです。
仕事って、ただの「お金稼ぎ」ではなく、自分の社会的な役割や、場所を持つための大事な手段なんだと思うようになったからです。仕事はなんだかんだで素晴らしいです。もし私が転勤族の妻だったら、あの状況でどう生きられただろう?母も母で、大変だったのだろうなと今では思います。
旅行はできた。でも、子供にはわからなかった
大人になった今、全国を旅したような幼少期の記憶は面白く感じられることもあります。でも、子供の頃はそんなこと、よくわかっていませんでした。行く先々での不安、友達との別れ、土地に馴染めない孤独感。それらが積み重なって、今の私の「帰属感のなさ」に繋がっている気がします。
「実家」と呼んでも、帰った気がしない
今の親の家を、形式的には「実家」と呼んでいます。けれどそこに帰っても、正直、おじゃましますという感覚に近いんです。思い出がない。自分の部屋もない。あの土地に懐かしさもない。人間って、やっぱり“場所”に根ざして育つんだなと実感します。それは地域や家そのもの。帰る場所がある人が、とにかく羨ましいです。
最後に伝えたいこと
家は、人生の基盤です。私はそう思っています。家はただ寝泊まりする場所ではありません。家族の軸であり、子供にとっての居場所であり、人生の基盤です。
もし家庭に子供がいるなら、なるべくなら持ち家を構えて、ひとつの場所に定住することをおすすめしたいです。たとえ賃貸でもいい。引っ越しや転勤が頻繁な生活は、なるべく避ける。子供が成人するまでは、地に足をつけて暮らしてあげてほしい。
なぜなら、その「帰る場所」があるかないかで、大人になってからの心の安定感がまるで違うから。持ち家は、単なる財産ではありません。人が安心して人生を築いていくための、最強の環境だと思うのです。