そもそも、アレキサンダー大王って何者!?

アレキサンダー大王(紀元前356年~紀元前323年)とは、マケドニア王国の王です。彼は現代でも名を馳せる、史上最も偉大な軍事指導者の一人です。
ところで、マケドニア王国とは?
マケドニア王国とは、古代ギリシャの北に位置した王国で、紀元前7世紀から存在しました。もともとはギリシャの中でも比較的辺境の地方でしたが、紀元前4世紀にフィリッポス2世が強力な軍隊を築き、王国を大きく発展させました。彼の息子アレキサンダー大王は、このマケドニア王国の王として、ギリシャ諸都市を統一し、その後ペルシア帝国を征服して広大な帝国を築きました。
バルカン半島の北東部

マケドニアはギリシャ文化の影響を受けつつも、独自の軍事力と政治力で地中海世界の歴史に大きな足跡を残した地域です。
場所としては、現在の北マケドニア共和国の一部とギリシャ北部のマケドニア地方、さらにブルガリアやアルバニアの一部にまたがっていました。特に中心地は今のギリシャ北部、テッサロニキ周辺やペラ(アレキサンダーの父フィリッポス2世の都)があった場所とされています。つまり、現代のバルカン半島の北東部にあたります。
アレキサンダー大王の伝説
父フィリッポス2世の死後、20歳で王位を継ぎ、わずか13年の間にギリシャ全土を統一し、ペルシア帝国を征服。さらにエジプトからインドに至る広大な領土を支配しました。
彼の遠征によって、東西の文化が融合する「ヘレニズム文明」が生まれ、世界史に大きな影響を与えました。およそ33歳という若くして急逝しましたが、その生涯と征服は後世に強烈な印象を残し、多くの伝説や神格化が生まれています。軍事戦術、リーダーシップの天才としても知られ、今なお世界中で尊敬される人物です。
旧約聖書に登場している!

聖書に「アレキサンダー大王」という名前は直接登場しませんが、多くの聖書学者たちは、旧約聖書のダニエル書8章・11章に出てくる「ギリシャの王」こそがアレキサンダーであると解釈しています。聖書は預言の書という役割もありますので、まさに未来のことを予知していたのです。
ダニエル書って何?
ダニエル書とは、旧約聖書にまとめられているうちの一つです。書かれた時期は、紀元前6世紀(約2500年前)、バビロン捕囚の時代にダニエルという預言者によって書かれたとされています。
アレキサンダー大王の遠征は紀元前4世紀(約2300年前)なので、ダニエル書の成立はアレキサンダーの出現よりおよそ200年から250年ほど前と考えられています。
ダニエル書8章5–8節にて
アレキサンダー大王については、表現としては「雄ヤギ」が西から飛ぶように現れ、東の「双角の牡羊」(メディアとペルシャ)を打ち砕く描写で登場しています。
「わたしが見ていると、雄やぎが西から飛んできた。その角は目立って大きかった。雄やぎはすぐに牡羊に立ち向かい、その牡羊を打ち倒した。雄やぎの大きな角は折れ、その代わりに四つの角が東西南北に向かって伸びた。」
旧約聖書 ダニエル書8:5-8
この雄やぎは、アレキサンダー大王を象徴するとされます。
- 「一つの大きな角」→ アレキサンダー本人
- 「その角が折れる」→ 33歳の若さで急死
- 「四つの角」→ 後継者なく帝国は四つに分裂
- セレウコス朝シリア(セレウコス将軍)
- プトレマイオス朝エジプト(プトレマイオス将軍)
- カッサンドロスのマケドニア(カッサンドロス将軍)
- リュシマコスの小アジア(リュシマコス将軍)
このように、聖書の預言は歴史の事実と驚くほど合致しています。聖書はこのように、独特な表現として表されています。この辺りも神様の計らいでしょうか。
これは私の考察ですが、具体的な人物名とかだと、人間がそれに合わせようと意図的に何かを起こすかもしれませんよね。ですので、アレキサンダー大王を雄やぎとして表現するなどの、比喩を用いるのはなかなかに考えたものだな・・・と何から目線なんだと言わんばかりの私なりの感激があります。神様ってすごい!!
アレキサンダー大王は神を求めていたのか?

アレキサンダー大王がただの征服者ではなく、何か大いなる意図や神の導きを求めていた事は、歴史的記録にも明らかです。
シワの神託所(ゼウス・アモン)にて
紀元前331年、アレキサンダー大王はエジプト砂漠のオアシスにあるシワ神殿(現在のリビア東部に位置)を訪れました。ここはエジプトとギリシャの神が融合した神殿で、神官から
「お前はゼウス・アモンの息子である」
との神託を受けたと伝えられます。この啓示は、彼に自らの神格化を強く確信させ、後の自己神格化につながりました。歴史家プルタルコスやアリアノスもこのことを記録しています。
デルポイのアポロン神託にて
また、ギリシャ聖地デルポイのアポロン神殿にも赴き、遠征の成功を問いました。このことからも、彼は自らの「運命」が単なる偶然ではなく「神の意志」と調和しているかを常に確認していたことが伺えますよね。
偶像崇拝者であっても、神に用いられる者?
アレキサンダー大王は多くの異教の神殿で礼拝し、偶像にひれ伏す姿も歴史的には見られます。これは聖書的には偶像崇拝とされますが、その行動は外側から観察されたものであり、彼の心の内はまた別のものだったかもしれません。
といいますのも、彼が神託の内容に即座に反応し、「運命と一致しているか」を繰り返し確認する行動は、「自分の意志」ではなく「大いなる存在の意図」を探っていたのでは?と個人的には思ったからです。妄信的ではないといいますが、探究していたようにも思えます。
もしかすると、彼の心はたとえ神の名前を知らなくとも、もっと大きな何かに向けられていたのかもしれませんよね。そして結果として、天の神様の計画の一部に組み込まれていた可能性も否定できません。真意はアレキサンダー、彼自身と神様のみぞ知る・・・です!
アレキサンダー大王は聖書を読んでいたのか?
歴史的証拠はありませんが、ユダヤ伝承では、
アレキサンダーがエルサレムを訪れた際、ユダヤの大祭司からダニエル書を見せられた
と伝えられています。ただし、これは後世の伝承であり史実とはされません。
重要なのは、彼が「神に導かれている」という感覚、あるいは「選ばれた使命感」を持っていたことです。ヤハウェ(旧約聖書の唯一神)を知らなくても、その使命感は神の計画の一部だったとも言えるでしょう。
神様は異邦人をも用いるお方
聖書には異邦人の王も神の計画に用いられる例が多々あります。
バビロン王ネブカデネザル
「わたしネブカデネザルは、天の王をほめたたえ、あがめ…」
旧約聖書 ダニエル書4:37
ペルシャ王キュロス(クロス)
「わたしはあなたのために立てられた主の油注がれた者である」
旧約聖書 イザヤ書45:1
アレキサンダー大王もまた、神の計画に用いられた一人なのかもしれません。私が今こうして考察しているのも、何かのご縁を感じます。
何故アレキサンダー大王は今も愛されるのか?

彼を知れば知るほどに、面白い情報が出てきます。
- 33歳で急死した彼の人生はイエス・キリストと同じ年齢で終わり、
- 自己神格化と神託への強い関心が混ざり合い、
- 世界を統一しようとした夢はヘレニズム文明という文化的遺産となって残った。
彼は神のように崇められていますが、決して神ではありません。それどころか、知れば知るほどに、強いものなりの探究があった気もしてなりません。人間味を感じます。なんだか、神に導かれた人間の代表例として人々の心を惹きつけられますね。
アレキサンダー大王という“預言の器”
彼は旧約聖書の預言を知らず、神の真理も誤解したかもしれませんが、それでも、ダニエル書の預言どおり歴史の舞台で神の大計画を前に進めた“器”でした。
「人は外見を見るが、主は心を見る」
旧約聖書 1サムエル16:7
何も、アレキサンダー大王のようなすごい権威を持った人だけの話ではありません。私たち一人ひとりも知らず知らず、神様の大いなるご計画の中で歩んでいるのかもしれません。
面白いよ、アレキサンダー大王!
ヘレニズム文化と福音の道筋
アレキサンダー大王のされた軌跡を辿ると、万事が益となす神様の采配かのように聖書の福音が広まる道をつくったようにも見えます。
つまり、アレキサンダー大王の遠征によりギリシャ語圏が広がり、ず〜〜〜っとその後、新約聖書はギリシャ語で書かれ、福音はローマ帝国の共通言語を通じて広まっていきました。その基盤を築いたのは、アレキサンダー大王です。
ヘレニズム文化とは?

アレキサンダー大王の東方遠征(紀元前4世紀)によってギリシャ文化が広範囲に広まり、ギリシャ文化と東方(エジプト、ペルシア、インドなど)の文化が融合して生まれた文明のことを指します。
この時代(紀元前323年〜紀元前30年頃)は、ギリシャ語が共通語となり、哲学、芸術、科学、宗教、建築などが発展しました。例えば、アレキサンダーの後継者たちが築いたセレウコス朝やプトレマイオス朝では、多様な文化や宗教が共存し、東西交流が活発になりました。ヘレニズム文化はローマ帝国に受け継がれ、その影響は西洋文明の基礎の一つとなりました。
まとめ|聖書とアレキサンダー大王

アレキサンダー大王は、旧約聖書ダニエル書に預言されている「ギリシャの王」として知られています。若くして広大な帝国を築き、33歳で急逝した彼の人生は、まるで聖書の預言とぴったり重なります。
聖書ではない別の記録では(歴史的には)、偶像礼拝をしていた姿も記録されていますが、その内面では「自分は何か大いなるものに導かれている」という使命感があったのかもしれません。実際、彼は神託を求め、それに従いながら進軍を決めていたことも有名です。
聖書を直接読んでいた証拠はありませんが、神様の計画の中で大きな役割を果たしたことは間違いありません。異邦人であっても神に用いられる存在がいることを感じさせる、とても興味深い人物です。

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