あわれみの綱、愛のひもとは?神様が私を引き寄せる理由

    神様が私を引き寄せた!そうとしか思えないことがあります。聖書を読んでいると、ときどき心を深く揺さぶる言葉に出会います。それが「あわれみの綱」「愛のひも」——この表現は、神様の愛の本質を語る象徴的な言葉で、私のとても大好きな表現です。それは、罰や命令による支配ではなく、やさしさと慈しみで人を包み込む神様の導きを意味しています。この不思議な綱について、解説していきます。


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    あわれみの綱、愛のひも とは?

    あわれみの綱 愛のひも 聖書

    聖書には時折、詩的かつ本質的な言葉が用いられます。この「あわれみの綱」「愛のひも」という詩的な言葉もその一つで、登場する箇所は、ホセア書エレミヤ書です。どちらも、神様がイスラエルの民を愛し、何度も裏切られてもなお、見捨てずに引き寄せる愛を語っています。

    個人的にこの2つの書は、自分の存在意義や自己価値が見失ってしまいそうなほど精神が擦りきった時に読むと、不思議なほどに魂が癒されていきます。ここに書かれていることは、単なる文字の羅列などではなく、神様の口から出た紛れも無い神様の言葉なのだと実感いただけるでしょう。


    ホセア書11章4節

    わたしはあわれみの綱、 すなわち愛のひもで彼らを導いた。 わたしは彼らに対しては、 あごから、くびきをはずす者のようになり、 かがんで彼らに食物を与えた。

    旧約聖書 ホセア書 11:4

    ここで神様は、民を“奴隷のくびき”から解放し、あわれみと愛で導いたと語っています。エジプトからイスラエルの民が解放されたことや、ユダヤ人がバビロン捕囚にされていたが解放されたこと。こういった歴史的な大きな意味だけではなく、超個人的な解放をも意味しています。神様はいつの時代でも、「愛」で私たちを引き寄せるお方なのです。私もまた、その一人なのです。

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    エレミヤ書31章3節

    主は遠くから彼に現れた。 わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。 それゆえ、わたしは絶えずあなたに 真実をつくしてきた。

    旧約聖書 エレミヤ書 31:3

    リビングバイブルでは、より詩的な表現をしております。↓

    それは、かつてイスラエルにこう言ったからだ。 わたしの民よ。 わたしは永遠の愛をもっておまえを愛してきた。 あわれみの綱でおまえを引き寄せてきた。

    旧約聖書 エレミヤ書 31:3

    ここでは、神様の愛が永遠に変わらない愛(ヘブライ語:アハヴァット・オーラム)として語られます。
    「引き寄せる」とは、力づくではなく、失われた者を再び抱きしめる行為です。まるで、放蕩息子(ルカによる福音書 15:11~32に出ているお話)を思い起こすかのような、何よりも尊い、比べることのできない深い愛をもって抱きしめるといったものでしょうか。ともかく、神様のあわれみの綱は、たとえ私たちがどんなに離れてしまっても、もう一度やさしく元の場所へ導く“見えない愛の手”なのです。


    愛のひもは“結ぶ愛”の象徴

    聖書では、「愛のひも」や「きずな」という言葉が、関係を回復する愛を象徴することが多くあります。古代イスラエルでは、綱やひもは「結ぶ」「つなぐ」ものとして、契約や絆を表す象徴でした。

    • 神様は怒りによってではなく、愛の絆で人を結び直す
    • あわれみの綱は、赦しと回復の象徴
    • この綱は、罪人をも抱きしめる愛の力

    ホセア書の文脈では、神様は何度も裏切るイスラエルをなお愛し、「わたしの民」と呼び戻します。それはまるで、迷子の子どもをやさしく腕に抱き上げる父親のような姿です。


    新約聖書に見る「愛のきずな」

    「あわれみの綱」は旧約の言葉ですが、新約聖書にも同じ意味の表現が引き継がれています。

    これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。

    新約聖書 コロサイ人への手紙 3:14

    ここでいう「結びの帯」は、まさに“愛のひも”です。神様の愛が、私たちを互いに、そして神様ご自身とひとつに結ぶ帯となるのです。

    また、ローマ8章ではこう書かれています。

    わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

    新約聖書 ローマ人への手紙 8:38-39

    なんと、熱烈な愛でしょう!これは「あわれみの綱」が決して切れない愛の絆であることを、確かな確信、喜びとして記されています。この綱は切れることがないのです。


    神様のあわれみの綱に気づく瞬間

    現代を生きる私たちは、時に孤独や虚しさの中で「自分は見放された」と感じることがあります。しかし、神様の愛は私たちが気づかなくても、静かに働き続けているのです。見放されるということは決してありません。

    • 思いがけない励ましの言葉
    • 誰かの優しさに涙が出た瞬間
    • 自分を責める心の中に、そっと湧く赦しの思い

    それらは、見えない「あわれみの綱」が、神様からあなたに伸びている証拠です。神様は、あなたを遠くから静かに見つめ、愛のひもでそっと引き寄せておられます。


    まとめ|神様の愛が私を引き寄せた!

    聖書箇所表現意味
    ホセア書 11:4人の綱・愛のきずな神様が優しさで導く
    エレミヤ書 31:3あわれみの綱永遠の愛による引き寄せ
    コロサイ 3:14結びの帯(愛)愛によって完全になる
    ローマ 8:39神様の愛から離れられない断ち切れない愛の絆

    人はつい、「自分は何かをしたから、この結果なのだ」と原因論のようなもので考えがちです。そして、神様を知ったこと、出会ったことに対しても、「自分がこうしたらから出会ったんだ」と思っている人もいるかもしれません。私がかつてそうでした。しかし、私たちから自発的に何かをしたのではなく、神様の方から、私たちを深い愛をもって引き寄せてくださったのです。

    神様の愛は、命令ではなく関係。恐れではなく、あわれみ。その綱は、あなたがどんなに遠く離れても、決して切れることはありません。今日も神様は、あわれみの綱をもって、あなたを静かに、しかし確かに引き寄せておられます。あなたやあなたが大切な人が、今日この綱に気づき、神様の愛の中に帰ることができますように。


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