【自分の使命】キリストに捕えられた道

    しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。

    新約聖書 使徒言行録‬ ‭20‬:‭24

    パウロの生きている姿勢が

    ここに現されています。

    パウロは何よりも

    自分に与えられた使命を

    最優先しました。

    パウロにとって

    何があっても進むべき道は

    神が示してくださる道であり、

    自分のことよりも

    主の御心を優先し、

    その中で、

    自分自身の生も死も

    捉えていこうとしたのです。

    キリストに

    捕えられたが故に

    たとえどんな苦しみがあっても

    この道を行くしかなかったのです。

    走り抜くしかなかったのです。

    これが、

    キリストによって

    捕らわれた者の姿です。

    皆さんはどうでしょうか?

    キリストに

    捕らえられているでしょうか。

    自分のことが

    優先になっていないでしょうか。

    仕事、家庭、将来のことであれ、

    キリストに捕らえられていなければ、

    ただの自己実現となってしまいます。

    自分に与えられた環境や

    働きを通して

    主イエスから受けた

    神の恵みの福音を証する

    という使命を覚え、

    それを最優先にして

    生きることが大切だと

    今日の御言葉は

    私たちに教えているように思います。

    何とかして福音を伝えたいと

    ひたむきに願う心、姿こそ、

    キリストによって

    捕らえられた人の

    真の姿ではないでしょうか?

    このひたむきさは、

    神様に献身していく上で

    必要とされる素質でもあります。

    走るべき行程のある生活が

    クリスチャンの生活です。

    神様が備えてくださってる

    信仰の行程を、

    私たちはゴールを目指して

    しっかりと走り抜きたいと思います。

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