キリスト教会とは?
- 天地創造の神様を礼拝するために集まるところ
- キリストを中心とし、互いに愛を持って交わる信徒が集まる場所
- 福音(キリストに結ばれ、罪から救われ、永遠の命を得るという良き知らせ)を世に伝えるための伝道センター
教会の献金制度とは?
十分の一を献金(自分の収入の10分の1)。什一献金とも呼ばれる。
※強制ではない、しない人もいる
この献金制度、神様は何を約束されている?
「十分の一の献げ物をすべて倉に運び わたしの家に食物があるようにせよ。 これによって、わたしを試してみよと 万軍の主は言われる。 必ず、わたしはあなたたちのために 天の窓を開き 祝福を限りなく注ぐであろう。」
旧約聖書 マラキ書 3:10
神様ご自身が、「試してみよ」と仰られています。試すことを良きとされていないお方が、ハッキリと述べておられます。そして、「必ず」「祝福を」「限りなく注ぐ」とお約束されています。
什一献金の歴史は?
アブラハムが、メルキゼデクに十分の一を贈ったことが始まりです。そして、アブラハムは豊かな恵みを生涯通して受け取りました。
イエス・キリストは、什一献金を承認している?
はい
献金を捧げる人は何から守られる?
貪欲から守られます。
まとめ
- 什一献金は、祝福に満ちた献金制度です
- 教会全体の伝道活動を支えます
- 地方教会の運営を支えます
- 献金は自発性が大事
- 献金は強制ではない
【さいごに】献金について個人的なお話
私は教会に初めて行った時、献金制度に驚きました。「お布施みたいで嫌だな」と、一気に嫌悪を感じました。強制はないものの、「なんか出さないと悪いかな」という気持ちにさせられました。ともかく、私にとって献金は、最初こそ印象は最悪だったのです。ところが、今では一変しています。1000円を出すことさえ嫌だったケチな私は、それでも献金をしてみたのです。すると、貢献した金額以上のものをいただく機会に恵まれました。神様はすべてをご存知の方です。感動的な采配でした。
守銭奴で嫌な人間から解放される
個人的な恵みだけでなく、私は教会が愛おしくなっていきました。かつては1000円を出すのも、100円を出すのも嫌な守銭奴でしたが、次第に献金そのものに喜びを感じるようになりました。神様は必ず約束を果たされるお方です。意味のない献金などないと思い知らされました。きちんと、生きたお金として循環されるのです。
教会にはお金が必要
私のお世話になっている教会は、お金が必要です。いえ、どこの教会もそうだと思います。どんな組織であれ、1円もかからずに存続していくことは厳しいですよね。当たり前のことです。教会メンバーが私に良くしてくださることを思うと、什一献金は喜びでしかありません。何よりも、神様がそのために献金を言及されておられるのです。これは私の意見ですが、教会でほんの少しの貢献として、私は献金をしていきたいと思っています。
「お金がもったいない」
とはいえ、献金制度は強制ではありません。もったいないと思っているうちは、無理に出す必要はないと思います。聖書に基づいた献金は、他のどことも意味合いが違います。お布施でありませんから。神様も喜ばれません。ですが、「試してみよ」と神様は仰っています。私もそれに乗りました。あまり思い詰めることなく、とりあえずやってみても良いかと思います。そのうち、ご自分で祝福に気づくと思いますよ。
100%自分のお金にすると、貪欲に溺れることになる
さいごに、戒めの言葉を贈ります。私は7ヶ月間、教会から離れていました。礼拝に行かないため、当然、献金もしていませんでした。すると、その分のお金が浮いたとばかり喜び、すべてのお金を自分のために使っていました。什一献金の概念が消えていました。すると、欲は留まることを知りません。お金の亡者かつ守銭奴で、自分の何かが壊れていきました。これが、貪欲の結果なのでしょう。いかに身を滅ぼすのか、思い知りました。献金は心の健康と節制の意味でも重要です。