【なぜ生まれてきたのか】人間の起源と神様の計画

    この世界の本当の歴史、あなたはご存知ですか? 私はかつて、進化論を信じ込まされてきました。原始生物から進化していくという考えです。ですが、聖書を読めばこれは嘘だとわかります。神様の言葉に嘘はありません。真実を知れば、自分の生まれの由縁もわかってきます。それでは、聖書から導き出された情報をシェアさせていただきますね。

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    映画「宇宙の大争闘」

    地球が造られる前、天国という宇宙の首都がありました。実は、ここから歴史を読み解くことは重要です。なぜ人は生まれ、現代がこんなにも苦しいのか。それを表現したこの映画(上記動画にて)をぜひご覧ください。

    まだ、この地球という世界もない時のお話です。要約しますと、神様(神の子イエス様)とルシファー(サタン)や反乱の天使たちによる、罪の起源のお話です。聖書とエレン・G・ホワイト著の本を読むことで、この歴史はより詳しく理解できます。

    ルシファーによる反乱

    創世記 歴史 聖書 ルシファー 神

    さて、聖書では、ルシファーのことについて書かれている箇所があります。下記の通りです。人を知るには、まずこのルシファーから話は始まります。神様ご自身が語られた、ルシファーについて、まずはご覧ください。

    「人の子よ、ティルスの王に対して嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。
    主なる神はこう言われる。
    お前はあるべき姿を印章としたものであり
    知恵に満ち、美しさの極みである。


    お前は神の園であるエデンにいた。
    あらゆる宝石がお前を包んでいた。
    ルビー、黄玉、紫水晶
    かんらん石、縞めのう、碧玉
    サファイア、ざくろ石、エメラルド。
    それらは金で作られた留め金で
    お前に着けられていた。
    それらはお前が創造された日に整えられた。


    わたしはお前を
    翼を広げて覆うケルブとして造った。
    お前は神の聖なる山にいて
    火の石の間を歩いていた。


    お前が創造された日から
    お前の歩みは無垢であったが
    ついに不正がお前の中に
    見いだされるようになった。


    お前の取り引きが盛んになると
    お前の中に不法が満ち
    罪を犯すようになった。
    そこで、わたしはお前を神の山から追い出し
    翼で覆うケルブであるお前を
    火の石の間から滅ぼした。


    お前の心は美しさのゆえに高慢となり
    栄華のゆえに知恵を堕落させた。
    わたしはお前を地の上に投げ落とし
    王たちの前で見せ物とした。


    お前は悪行を重ね、不正な取り引きを行って
    自分の聖所を汚した。
    それゆえ、わたしはお前の中から火を出させ
    お前を焼き尽くさせた。
    わたしは見ている者すべての前で
    お前を地上の灰にした。


    諸国の民のなかで、お前を知っていた者は皆
    お前のゆえにぼう然とする。
    お前は人々に恐怖を引き起こし
    とこしえに消えうせる。」

    旧約聖書 エゼキエル書 28:12-19

    ルシファーの目的

    ああ、お前は天から落ちた
    明けの明星、曙の子よ。
    お前は地に投げ落とされた
    もろもろの国を倒した者よ。


    かつて、お前は心に思った。
    「わたしは天に上り
    王座を神の星よりも高く据え
    神々の集う北の果ての山に座し

    雲の頂に登って
    いと高き者のようになろう」と。

    旧約聖書 イザヤ書 14:12-14

    いと高き者とは、神様のことです。ルシファーは被造物です。その被造物が、創造主になりたかったのです。すべては高慢ゆえでした。ちなみに、神様以外のすべては被造物です。もちろん、人も。

    天国での戦いと結果

    さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。

    新約聖書 ヨハネの黙示録 12:7-9

    黙示録は、聖書研究が必要な難解な章です。初見の人も多いかもしれませんので、私なりに要約しますと、ルシファー(サタン)は当然神様に負け、天国から追放されました(滅されてはいません、ここが神様のご慈悲ですね)。黙示録は、サタンの終わりと、人を救う最後の章です。終わりの時であり、罪のない始まりを示しています。この章にて、サタンはついに滅ぼされます。

    愛の世界をつくることを決めた神様

    神は御自身にかたどって創造された。

    神にかたどって創造された。

    男と女に創造された。

    旧約聖書 創世記 1:27

    ルシファーを追放した神様は、創造を業を行います。愛の世界の創造です。それは、地球のことです。造られた目的は、人のためです。人のための地球です。なぜなら、それが神様のご計画だからです。そのために、人は神様に模って造られました。神様は愛そのものです。その方に模られたのですから、人は本来だと愛そのものでもあるのです。愛の世界に、愛の存在を置いたのでした。

    人の原初・アダムとエバ

    主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

    旧約聖書 創世記 2:7

    主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、

    旧約聖書 創世記 2:21-22

    ところで、神様はなぜアダムを創造された時、エバを造らなかったのか。なぜ、アダムのあばら骨から造られたのか。これは、聖書を読み進めていくと理解できます。聖書は一貫して、すべての章が繋がっています。聖書の疑問は、聖書で読み解くのです。

    主なる神は言われた。
    「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

    旧約聖書 創世記 2:18

    つまり、こういうことです。男だけ、女だけ、そうではなく、二人夫婦で助け合っていくことを良しとされたのが、神様です。どういうことかといいますと、人は本来、二人でいて完成であるということ。ロボットではなく、助け合っていく愛の関わりを持つことを、きっとお求めなのだと思います。だから、男女の違いがあって当然なのです。互いに助け合うことが目的で、男女に分けられているから。

    こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

    旧約聖書 創世記 2:24

    父母とは、現代で言うならば肉親のことです。しかし、この節には深い意味が込められています。一節のみで解釈するのではなく、文節で理解していくとすぐにわかります。結論からいいますと、自立という意味なのかなと私はとられています。神様から文字通り離れるのではなく、人として成熟して自立するような意味です。夫婦になればこそです。これもまた、愛からくるものなのでしょうか。私もよく噛み締めたいと思います。

    神様からのたった1つのお約束

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    主なる神は人に命じて言われた。
    「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

    旧約聖書 創世記 2:16

    愛と忠誠のテストが行われます。けれど、決して恐ろしい内容ではなく、たった1つの約束事です。神様はこの時点の前に、天国での反乱をご経験されています。神様のご計画のためと、人の自由意志を尊重するために、たった1つの律法を提示します。それが、かの有名な善悪の知識の木。

    ちなみに、この御言葉で注目したいのは、「命じて言われた」のです。ただの「言われた」ではありません。ここには、創造主の思いが込められているように私は感じます。難しいことは言っていませんよね。「食べなさい」と「食べてはならない」といった違い1つなだけです。それどころか、「必ず死んでしまう」とまで教えてくださっています。これもまた、愛です。

    サタン(ルシファー)は人を強く妬んでいる

    主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
    「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」

    旧約聖書 創世記 3:1

    サタンは、人の幸せを妬んでいました。かつては栄光をまとっていた自分が、今では堕落した存在になったからです。これは嫉妬なんていう生半可なものではありません。どこまでも高慢なのです。人が本当の意味では知り得ないほどの悪意の塊に成り果ててしまったのがサタンであると、私は理解しています。サタンには愛の一つもありません。神様が追放をされたほどです。その悪意の矛先が、アダムとエバだったわけです。

    魅力的な誘惑(嘘)を仕向けるサタン

    蛇は女に言った。
    「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

    旧約聖書 創世記 3:4

    神様は先におっしゃっていました。「必ず死んでしまう」と。しかし、蛇(サタン)は「決して死ぬことはない」と。真逆のことを言っています。それどころか、後から続く言葉だって、何一つ真実はありません。ましてや、神様のご性質を歪ませるような発言です。

    これは私の意見ですが、エバという女性に声をかけたのもミソだなと思っています。まるで、詐欺師と女性客みたいなイメージです。言葉を喋るのは神にかたどられた人だけですが、蛇が喋ったのですから。感情が揺さぶられると、「つい」が起きやすいです。これは決して差別的な意味ではなく、ただただ男女の違いです。少なくとも、私は31年女性をやってきていますが、こういう性質があると思っています。

    地上の支配権は、人からサタンへ

    知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。

    新約聖書 ローマの信徒への手紙 6:16

    「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

    新約聖書 マタイによる福音書 6:24

    人の力(栄光)は消えます。人が、神様との約束を破ったからです。神様を裏切るということは、神様と敵対する勢力側につくという解釈にもなるからです。人はそんなことを知らずとも(サタンの存在など知らない)、神様への裏切りは、神様から離れるということですから。人の所有権利は、人を支配することとなったサタンの手に渡ります。それが、この地球の支配権です。罪がこの世界に入ってきたのは、この時からです。

    このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。

    新約聖書 ローマの信徒への手紙 5:12

    罪の結果

    主の手が短くて救えないのではない。
    主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。

    むしろお前たちの悪が
    神とお前たちとの間を隔て
    お前たちの罪が神の御顔を隠させ
    お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。


    お前たちの手は血で、指は悪によって汚れ
    唇は偽りを語り、舌は悪事をつぶやく。

    旧約聖書 イザヤ書 59:1-3

    栄光と光の衣は消えました。人は一気に弱りました。この時から人は、死に向かうことになります。今日こそ、私たちは死を当たり前だと感じていますが、創世記を読むにあたり、もともと死は存在していなかったのです。命の危険もなければ、老いといった寿命もないのです。また、心が弱り、暗く、死んでいくことも存在しませんでした。これが罪の結果であり、現代にも続く心身の苦しみの連鎖です。神様はひどく悲しまれたでしょう。

    これは「罪は心の白内障」だと、映画「宇宙の大争闘」では表現されております。なるほど、上手な表現ですよね。神様を見ることができなくなりました。人と神との隔たり、それが罪です。いかに重いことか、お分かりになりますでしょうか。

    「どこにいるのか。」

    主なる神はアダムを呼ばれた。
    「どこにいるのか。」

    旧約聖書 創世記 3:9

    まるで、息子を失った悲しみの言葉のように聞こえます。遠ざかってしまった悲しみです。主はすべてをご存知ですが、あえてこの言葉を述べられていることに意味があると私は思っています。ただただ、悲しみです。それほどまでに、人を愛していたのでした。聖書に出てくる、放蕩息子のたとえ話を模倣させられます。※新約聖書 ルカによる福音書(15:11-32)

    人を取り戻すご計画

    主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

    旧約聖書 創世記 3:23

    アダムとエバは、神様がご用意された園から追放されます。この時から、神様はすでにご計画を立てられます。人を罪から取り戻すための、救いの計画です。それが、後に人となって地上にやってくるイエス様によって成し遂げられます。イエス様は神様です。この主ご自身が死ぬことで、全人類の罪の代償を支払うからです。例えるならば、人の莫大な借金を、すべて神様が無償で支払ってくださるということ。その対価が、死なのです。

    「この世界は神様がつくったのだから、すぐに変えることができるのでは?」と思ったことはありますか。私はあります。ここは初見の人では理解が難しいのですが、律法の話になります。聖書全体を通して学んでいくと、律法がわかってきます。今回は割愛で。

    ともかく知っておいていただきたいのは、主は人という形(イエス様として)で、人の罪を償うために自ら降りられてきました。恥辱の人生を生きられるのです。なんということでしょうか。人という罪まみれな生き物を、一人として欠けることなく愛しておられるがゆえでした。それほどまでに取り戻したかったのです。私はここに深く感動しています。

    神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

    新約聖書 ヨハネの手紙 一 4:9-10

    イエス・キリスト

    人は何のために生きているのだろうか? 今のままでは、死ぬためだけです。アダムとエバの罪の連鎖から、例外なく、人は始めから罪人として生まれてきます。生まれた瞬間から、死へと向かうのです。神様はそれを望んでおられません。サタンという罪・死・苦しみから救い出すために、救いの計画を完了されています。イエス様の死という対価によって。

    一人ひとりの罪の身代金として、イエス・キリストの十字架による死で完済します。ちなみにこれは、過去・現在・未来といった時系列は関係ありません。神様への信仰を見出したものが、この完済(救い)に預かれるのです。全人類、いつの時代の人にも救いを受け取ることができます。ただし、アダムとエバの時のように、人にはテストが行われます。それが律法であり、愛の信仰です。

    聖書では一貫して、上記に述べたことを語っておられます。さらには、イエス・キリストの犠牲によって、罪から救い出される人が出てきて、そしてサタンの地上の支配権も弱まっていきました。今も依然として存在しますが、すでにイエス様の勝利なのです。これ以上、人はサタンに支配される必要はありません。だから、私はこの救いを信じ、神様からの無償のプレゼントとして受け取りたいと思います。

    彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

    新約聖書 ヨハネの黙示録 21:4

    イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

    新約聖書 ヨハネによる福音書 14:6

    \ 聖書には主に「4つ」の訳があります! /

    特徴:一番最新の訳で、読みやすい
    特徴:原語(ギリシア語・ヘブライ語)に忠実
    特徴:20世紀に最も親しまれたポピュラーな訳
    特徴:大正時代ならではの文学感のある文章
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