【信仰・希望・愛】私にとっての愛の讃歌

    ここ数日、私は更新ができずでした。理由は「生きることに疲れた」からでした。信仰を持って生きていても、心が折れそうになっていた私でした。しかし、クリスチャンの先輩からの励ましや、聖書通読を通して、私は主に「生きよ」と言われた気がします。なぜなら、暗闇を漂っていた私に与えられたのは、「信仰・希望・愛」についての理解だったからです。それを証しいたします。

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    「信仰・希望・愛」とは

    それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

    新約聖書 コリントの信徒への手紙一 13:13

    この聖句は、とても有名です。もう何度も読んできましたが、実は深く理解していませんでした。しかし私は、命を放棄したくなるほどに人生に疲れていた数日間を通して、聖書に書かれている愛とは、神様からの「愛の讃歌」に他ならないと気付かされたのです。

    聖書に書かれている順番という奥義

    この3つは、登場する順番にも意味があると、私は信仰生活を通して感じます。どういうことかといいますと、信仰がなければ何も見えないからです。ですから、まずは信仰が一番に来ます。神様を信じずして、一体なにが希望でしょう、愛でしょう。今から順序立ててお伝えしていきますね。

    神様を信じる者に与えられる「希望」

    私はクリスチャン一年生なのですが、「希望」についてはあまり理解していませんでした。大前提、言葉の意味や、基本的な知識としては、理解しています。神様が用意されている御国(天国、エルサレム、神の国など言われる)なのだな、と。しかし、それに対して私の心は本気で動いていませんでした。希望の意味を理解しながら、希望を感じていなかったのです。

    後ほど、「愛」についても語りますが、聖書に書かれているこの言葉にハッとさせられました。知識や信仰を持っていようとも、心という愛がなければ何の意味もないということ。

    たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。

    新約聖書 コリントの信徒への手紙一 13:2

    希望がなければ、この世は苦しい

    冒頭でお伝えしたとおり、私は人生を諦めそうになりました。「もう頑張ったって仕方がない、喜びがない、むなしいだけだ」と。この先の人生に、希望を感じていなかったからです。嘘偽りのない、心から待ち望む希望を。そんな私ですが、結論からいいますと、神様に求め、尋ねた数日を通して、やっと希望を知ることができました。これを知らずして、この世を生きていくことは苦しいばかりです。それについては後ほどお伝えします。

    最後に、「愛」がある

    愛とは、難しいです。こんにちでは簡単に使われる言葉ですが、愛を体現できる人はなかなかいないものです。そもそも、人は理解しているのでしょうか。知っているのでしょうか。ちなみに、私は理解も知識もまともにありませんでした。軽々しく語れるものではないとすら、実は思っています。

    愛の対義語は無関心

    よく、愛の対義語は無関心といわれますが、そういう人が多い世の中です。だからどうだ、とかいう話ではありません。そもそもが、愛を知っている人は多いです。自分の家族や大切な人には優しいですから。そういう愛は、ということ。このような愛と同じものを、血の繋がっていない人や、名前も知らないような人に向けられるでしょうか。愛の程度があるということ。愛は難しいです。

    神様は愛である

    愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。

    新約聖書 ヨハネの手紙一 4:8

    そうです、神様は愛そのものです。私の神様である主イエス・キリストは、すべての人を愛されました。「この人は優れた才能があるから」「この人は美しいから」「この人はお金持ち・権力があるから」など、この世的な尺度で人を見ることはしませんでした。

    神様を知り、愛を受け取る

    信仰と希望がなければ、神様を知ることはできません。そして、愛を知ることはできません。ここの過程を抜きに、愛など語れません。知識で語ることができても、心から体現できるでしょうか。私は幸いなことに、希望を知った時、神様からの愛を知りました。それでは、先ほどお伝えした「希望を感じた」ことについてのお話を、愛と合わせてお話いたします。

    試練と希望、試練と愛

    人生は時に苦しいです。生きることに疲れることだってあります。明日が来なければいいのに、と思う時があります。自分の存在意義に疑問を感じ、不安と悲しみ、孤独を感じることだってあります。私はクリスチャンでありながらも、自分の命、しいては神様を疑いそうになりました。「なぜ、私をこんな目に遭わすのですか?」と。人生の試練に、抗い、解放されたかったのです。

    順風満帆な人生など、ない

    人の計画する人生は、神様の目には良しとされないことばかりです。聖書全体を通して読んでいくと、私の意訳にはなりますが、「人の計画はむなしい」「人の道は曲がっている」「神様のものさしとは違う」と。私はここを理解するのに、一年かかりました。いえ、今も本当に理解しているのかどうか・・・神様の計画は深く、壮大ですから。

    神様の計画による修正がある

    そんなわけで、人は人生を良くしたくて色々と計画を立てますが、その度に試練を受けるということ。そして、計画をせずとも、試練を受けるということ。人生は常に試練があります。クリスチャンだからとかは関係なく、すべての人に。事象は事象です。そして、試練を通して人の歩む道は修正されていくのです。

    試練の先にあるものが「希望」

    人は試練に遭うと、嘆きます。しかし、クリスチャンには特権があります。試練とは、神様が子に与える教えであり、決して人を苦しませるためのものではないという神様からの約束です。むしろ、その人の道を正し、品性を正し、神様の愛を溢れるばかりに受け取れるようにと鍛えてくださるのです。

    試練の先には神様の計画が続いており、希望があるということです。これほど心強いものはなく、奈落の道を歩いているわけではないことを知り、これ以上の価値はありません。これが、クリスチャンとして歩んでいる私にとっての恵みです。

    希望は、この世にはないので

    先に結論をいいますと、クリスチャンにとっての希望は「この世のもの」ではありません。キリストの弟子であるパウロは、この世のものは塵芥に等しいといったことまで言っておられました。不思議なことに、神様を第一に希望を置きますと、この世のものは、必要とあらばついてきます。神様は恵み深いお方だと気づかされ、希望はますます増すばかりです。

    とはいえ、この世の物事にばかり目がいってしまう私は、「信仰・希望・愛」の奥義を一年かかっても心から理解していなかった、いえ、理解できなかったのでした。この世の成功やお金、仕事、あらゆることに執着し、手放すことが嫌でした。ですから、私は試練を試練のまま苦しんでいたのです。それが冒頭で述べたような苦しみの期間。

    愛の中に、信仰と希望がある

    愛とは、相手と見つめ合って、うっとりすることだけではありません。「愛の讃歌」というシャンソン歌手のエディット・ピアフによる曲がありますが、このような情熱さも含まれ、それ以上です(ちなみに、私の好きな曲の一つです)。

    愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

    新約聖書 コリントの信徒への手紙一 13:4-7

    聖書の中でも、愛についてまとめられた箇所はこの聖句でしょう。私はこれを読んでも、一年以上経っても深く理解はしませんでした。ここに書いてあることは、ただ読んだって、言葉の羅列なだけであり、よくて教訓です。誤解しないでほしいのですが、神様の御言葉である以上、深みは凄まじいです。それでも、私はこの聖句を読んでも、心の底から深い理解をまだ得られませんでした。「信仰・希望・愛」をまともに理解していなかったものですから。。

    愛を知っているから、耐えられる

    さて、旧約聖書の創世記に、ヨセフという青年が若い頃にエジプトの奴隷として兄弟に騙されて売られてしまう話が書かれています。この青年は、理不尽や誘惑にも遭いましたが、常に「主が共にいてくださる」と信仰を持ち続け、神様による希望を諦めることはありませんでした。結論、彼はエジプトの総理大臣になります。私はこのヨセフ物語を読んだことによって、「信仰・希望・愛」を学ばせていただきました。

    神様へ捧げる「愛の讃歌」

    「信仰・希望・愛」について、ただ聖書を読むだけでは深い理解はありません。神様と共に歩む人生の中を信じ、試練をも受け止め、与えられたすべてを味わっていくものなのかもしれません。そういえば、聖書によると、中でも「愛」が最も大いなるものと書かれています。愛には、信仰と希望も含まれていますからね。神様をご品性そのものです。

    この人生の学びを通して、神様が私たちを愛してくださるように、私たちも神様の愛で休ませていただきながらも、希望を持ち、愛をささげていきたいと思いました。いつの間にか、私は暗闇から抜け出ていました。神様は愛を惜しみなく与えてくださる方であり、私の人生を照らしてくれる光の方なのです。

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