【幸せに生きる方法】健康・人間関係・お金…それでも足りないと感じるあなたへ

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    どうしたら幸せな人生を送れるのか

    幸せに生きる方法

    「幸せに生きる方法って、なんだろう?」ふと、立ち止まって考えたことはありませんか?私はそれを本気で考えたのは、25歳あたりから。人生の大きな挫折を味わい、幸せを強く熱望していました。そのために、何百冊という本を今日までかけて読んだり、セミナーに通ったりもしました。

    このような自己学習的な本や自己啓発では、「健康」「人間関係」「お金」が大切だと言われます。確かにそれはその通り。ですが、それだけでは足りないような気がするのです。そう思ったことが、私には何度もありました。この記事では、私自身が人生を通して感じてきた「本当に幸せに生きるために必要なこと」についてつづっていきます。


    健康と人間関係は、お金では買えない

    有名人でもあるホリエモン(堀江貴文さん)もこんなことを言っていました。「健康と人間関係はお金では買えない」と。どれだけお金があっても、心身の健康や信頼できる人間関係は、お金ではどうにもならないものです。むしろ、それがあるかどうかで、人生の満足度は大きく変わります。

    健康は、人生を楽しむための土台

    健康がすべてではないけれど、健康がなければ何をしても楽しめません。心が元気で、体が軽やかであること。それだけで一日の質が変わります。食べたいものを美味しく食べられる、行きたい場所へ行ける、人と気持ちよく話せる。その「当たり前」があるだけで、人生は楽しくなるのです。

    人間関係こそ、人生最大の財産

    そして何より、人とのつながりは生きる力そのものです。どんなに孤独に慣れていても、人は誰かとのつながりの中でこそ、本当の安心や喜びを感じられるものです。信頼できる人がいること。笑い合える人がいること。それは、健康やお金以上の“豊かさ”かもしれません。

    お金は現実。でも、それだけでは満たされない

    お金はもちろん大事です。資本主義社会に生きている以上、ある程度の収入がなければ不安にもなりますし、選択肢も限られます。「お金がすべてじゃない」と思いながら、実際には「お金がないと何もできない」と感じてしまう。そのギャップにもどかしさを抱えることもあるでしょう。お金があるからこそ、できることが広がってきます。

    幸せに生きる方法、それでもどこか足りないとき

    健康もある。人間関係も悪くない。お金もそこそこある。それでも、「何かが足りない」と感じることがある。それって、一体なんなのでしょう?私はそこに、「神様という存在の不在」があると思っています。

    神様を思う心が、心に平安をもたらす

    突然かもしれませんが、私はこう思うのです。人間は、神様を見上げて生きるようにできている。犬が飼い主を信頼して安心するように、人間も「自分の外側にある確かな存在」に心を預けることで、深い安心感を得られるのだと思うのです。

    「宗教」ではなく、もっと素朴な、「神様を思う心」。私はイエス様を信じています。そして、それは単なる信念や慰めではなく、本当に“生きておられる方”だと確信しています。


    幸せに生きる方法とは、外側だけでなく“内側”を満たすこと

    健康も、人間関係も、お金も。たしかに全部大切。でも、それらはすべて“外側”を満たすもの。本当の意味で「幸せに生きる方法」とは、自分の“内側”をどう満たすかに尽きるのではないでしょうか。

    心に神様を置くこと。見えないけれど確かにある存在を信頼し、思い馳せること。それが、真の安心感につながり、人生の波に飲まれそうなときでも、心の軸を保っていられる方法だと私は感じています。


    人生は、よくわからなくて、不思議なもの

    生きてきて32年のぺーぺーが言うのもあれですが、人生は、まるで海のようです。どこに流れ着くか、どんな波が来るか、誰にも予想できません。私はこれまで、何度も溺れ死にそうになりました。それは経済的にも、精神的にも、肉体的にも。もはや年齢一つでは語れません。ただ、壮絶な生き方だとか言いたくありませんし、まだすべてを話す気持ちにはなりません。

    ともかく、生きるとは「何を大切にして生きるか」が、すごく重要になると思います。もしあなたが「幸せに生きる方法」を模索しているのなら、健康、人間関係、お金――そして、“見えないけれど確かなもの”を思う心を、ぜひ大切にしてみてほしいと思います。


    最後に

    幸せは、目に見えるもので測れないことも多いです。だからこそ、自分自身の心と、目には見えないけれど確かなこと・・・神様ですね、この限りなく大きい存在に目を向けながら、生きていきたいと思っています。

    すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

    新約聖書 マタイによる福音書 11:28-30
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