【十字架は偶像?】私にとって「十字架」の思いを語ってみる!

    十字架は偶像礼拝ではないと私は考えています。イエス様への愛という信仰が第一であり、唯一です。それを前提として、聖書を通して得た心の豊かさをもって、十字架のネックレスを身につけることは、単なるファッション以上の意味を持つと思っています。十字架そのものには何の力もなく、本当の力とは、イエス様ご自身にあるからです。

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    私のとある体験談|ある日、十字架を感じた

    生きがい 聖書 生きる意味

    私は聖書を読み始めたばかりの頃、喜びの涙を毎日流していました。聖書はめくればめくるほど、読み込めば読み込むほど、あまりにも衝撃的でした。何よりも、「私は愛されている」と気づきを得られ、イエス様のことが大好きになっていきました。そんな時に、私はある不思議な体験をしました。

    十字架のような光は、突然現れた

    十字架 偶像

    その日も聖書を読んで、心から瞑想をしている時のことです。ふと、視界の端にチカチカ光るものを感じたのです。バッと顔をあげると、その真っ直ぐ先に、強い光を感じました。言語化が難しいのですが、実際に目に見えて光っているともいえるし、私の脳内で認識しているのか、正直今ではよくわかりません。ただ、閉めきったカーテンの前には、チカチカとまばゆい、少し黄色みのある光が確かにありました。

    これ(光)は一体、何なのか?

    十字架 偶像

    私はスピリチュアルから脱却し、聖書に立ち返った人間です。ですから、こういった超常現象には一層警戒心が強いです。聖なる存在かのように見せた、サタンの罠の可能性もあるからです。占いやヒーリングなど、私はサタンの罠に幾度となくかかっていたからです。

    だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。

    新約聖書 コリントの信徒への手紙 二 11:14

    しかし、私はこの光に対しては違うと確信していました。はじめて感じる光でした。なぜでしょうか。聖書を心から受け入れている只中、なぜかわかったのです。明確に判断できる材料は何もありません。ただただ、イエス様を感じました。

    十字架そのものに焦点を当てるのではない

    十字架 偶像

    この話と、本題の「十字架は偶像礼拝なのか?」ということについてですが、関係はもちろんあります。ただし、「光が十字架に見えたんです〜」という話をしたいわけではありません。ちなみに、十字架のように感じましたけどね。ただ、問題は、十字架そのものの形が重要ではないということ。十字架だとか光だとかに焦点を当てるのではなく、イエス様にです。

    イエス様を確かに感じた私

    十字架 偶像

    ですから、光そのものを拝んだわけでもなければ、それが十字架だとしても、十字架そのものを拝んだのではありません。イエス様だから、拝む心が私の中に現れたのです。つまり、感動しました。本当に感じました。そばにいるのを感じました。

    よって、ここの分別がついているのであれば、「十字架は偶像礼拝なのか?」の答えは言うまでもないことだと思います。

    私の十字架ネックレスについて

    十字架 偶像
    me

    私は時折、十字架のネックレスを身につけています。何のためかというと、ファッションの一部でもあり、少しの楽しみでもあり、十字架を通してイエス様へ思いを馳せたいからです。これを偶像視するか否かは、人それぞれかと思います。当人としてはそんなつもりはもちろんありませんけどね。

    ちなみに、清いほどにシンプルなデザインです。色味は15金ならではの、肌馴染みの良いゴールドです。現行品ではなく、アンティークショップでたまたま出会いました。出会ったのも、ちょうど聖書を読み始めてすぐの頃でしたね。グッドタイミングでもあり、私にとっては思い出の一つです。

    十字架とは何なのか

    十字架 偶像

    この十字架そのものには力などなく、本当に力があるのは、イエス様です。大事な認識です。十字架に価値があるのではなく、イエス様に目を向けています。このイエス様は、私の代わりに罪の代償(死)を支払ってくださったこと、ここに意味があります。

    よって、十字架は過程の中の一部です。私の大好きなイエス様は、十字架によって死なれました。その事実だけをみるならば、十字架は悲しくて残酷な象徴です。刑罰道具ですから。愛する方の死のそれを知ってアクセサリーにするなど、正気の沙汰ではありませんよね。

    十字架を偶像として見ていまへん

    十字架 偶像

    しかし、クリスチャンにとっては、十字架はもっともっと深い意味があります。十字架刑でのイエス様の死は、クリスチャンにとっては最大のプレゼントだからです。イエス様ご自身も、すべてはそのためでした。イエス様の成し遂げた、罪の購いの象徴でもあるのです。

    天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

    新約聖書 エフェソの信徒への手紙 1:4

    わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。

    新約聖書 エフェソの信徒への手紙 1:7

    偶像なんて虚しいものでは語れない愛

    十字架 偶像
    私が身につけている十字架ネックレス

    イエス様の犠牲は、悲しいものではありません。むしろ、喜んで受け取りたいと思います。確かに十字架刑そのものは残酷です、しかし、これは神様がすべての最初なる時からご計画されていたことです。

    私はイエス様を受け入れたいと思います。何ものにも変え難い犠牲的なまでの愛を信じ、この事実に感謝をし、私は自分の胸に十字架を身につけたいなと思っています。

    神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

    新約聖書 ヨハネによる福音書 3:16-17

    \モーセの十戒にて、偶像を禁止しています/

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