【人間は粘土】神様が一人ひとりに想いを込められた

    しかし、主よ、あなたは我らの父。

    わたしたちは粘土、あなたは陶工。

    わたしたちは皆、あなたの御手の業。

    旧約聖書 イザヤ書 64:7

    聖書には、とてもユニークな表現で

    神様と私たちの関係をたとえています。

    たとえば、

    「ぶどうの木と枝」「羊飼いと羊」

    とあるように、

    ここでは、神様を陶器師に、

    人間を粘土にたとえておられます。

    神様の働きは

    御自分の民をご自分に似せてかたどり、

    形作る事にあります。

    お造りになった一人ひとりに

    神様の思いが込められているのだと思います。

    私たちが

    キリストの似姿に変えられていくに当たって、

    粘土が

    陶器師の手の中で練り上げられていくように、

    神様は私たちを

    様々な過程を通して練り清められます。

    それは苦しみかもしれません。

    様々な試練なのかもしれません。

    失敗かもしれません。

    しかし、神様はこれらを用いて

    柔和で謙遜な者、

    つまり神様に喜ばれる清い器へと

    私たちを造り変えて下さるのです。

    神様は私たちの父でもあるからです。

    苦しみや試練でさえ

    陶器師が用いる

    「ろくろ」

    のようなものかも知れません。

    その中で、私たちは粘土のごとく

    神様のみ手に委ねるのが当然です。

    私たちが自分の意志を貫くと

    神様の願われている形とは

    かけ離れた形へと変形してしまいます。

    すると、神様は

    私たちが神様のみ心に委ねる事が出来るまで

    何度も何度も忍耐強く、やり直し、

    練り清めて下さいます。

    きっと今も、根気強く私たちを

    練り清めて下さっておられるのだと思います。

    その度に私たちの粘土は柔らかくなり、

    その中で神様が願われている最高の傑作品へと

    造り変えられていくのです。

    陶器師である神様に粘土のごとく全てを委ね、

    謙って、命ある限り砕かれ、

    練られ成長させていただきたいと思います。

    聖書が初めての方は、新約聖書から読んでみてくださいね〜
    軽くて読みやすく革もイイ!
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