「あなたの好きな絵画は何ですか?」と聞かれたら、どれを思い浮かべますか? 私はミケランジェロの「最後の審判」と答えますが、同時に脳裏に浮かぶのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」です。一度見たら忘れられない、人類史上の傑作ともいえる人々の心を掴む絵画です。ところで、この絵の内容や背景は、ご存知でしょうか。この記事では、人にコソッと伝えられるように手短にまとめておりますので、ぜひご覧くださいね。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
いつ、どこで、誰が描いたのか?
「最後の晩餐」は、レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれました。1495年から1498年の間で、これは彼がイタリアのミラノに滞在していた時期にあたります。この絵画は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂の壁に描かれました。フランスのルーブル美術館にはありませんので、ご注意を(たまにド忘れしてしまいませんか?)。
「最後の晩餐」制作の背景
この絵が出来上がるまでに、多くの人が関わっています。スポンサーは、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァであり、彼は教会の改革と改装を行っていました。レオナルド・ダ・ヴィンチはこの依頼を受け、壁画のテーマとして聖書の中でも緊張感の走るイエス・キリストと12使徒の「最後の晩餐」を選びました。この選択は、食堂という場所とその宗教的な意義を考慮したものです。
イタリアの教会の壁画として存在
時代を超えて人を魅了し続ける「最後の晩餐」は、伝統的なフレスコ画技法ではなく、独自のテンペラ技法を試みました。これは、壁に直接絵を描くのではなく、石膏の上に油絵のように描く方法です。この技法は色彩の鮮やかさを保つために選ばれましたが、湿気や壁の劣化に弱く、後の修復が困難になる結果となりました。
現在も、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にて公開されています。ちなみに、見学には事前予約が必要です。観光客は制限された時間内でのみ観覧が許されています。イタリアに行ったら、ぜひとも自分の目で見たいものですね!
絵画の人物配置
イエス・キリストと彼の12人の使徒です。絵を左から右に順に紹介します。
- バルトロマイ (Bartholomew)
- 新約聖書には役職についての詳細は記述されていませんが、他の伝承によればインドやアルメニアに伝道したとされています。
- ヤコブ (James)
- 「小ヤコブ」とも呼ばれる。アルファイの子。彼も役職についての詳細は新約聖書には記載がありませんが、他の伝承ではエルサレム教会の指導者の一人とされています。
- アンデレ (Andrew)
- ペテロの兄弟。漁師。イエスに最初に従った使徒の一人(ヨハネ1:40)。彼の役職は特定されていませんが、ギリシャやスキタイに伝道したと伝えられています。
- ペテロ (Peter)
- 本名はシモン。イエスによって、ペテロ(岩)と言われました。使徒たちのリーダーであり、エルサレム教会の指導者です(マタイ16:18-19、使徒2章)。
- ユダ (Judas)
- イスカリオテのユダ。イエスを裏切った使徒(マタイ26:14-16、マルコ14:10-11、ルカ22:3-6)。
- ヨハネ (John)
- ゼベダイの子で、ヤコブの兄弟。愛された弟子として知られる(ヨハネ21:20)。ヨハネによる福音書、ヨハネの手紙、ヨハネの黙示録の著者とされています。
- イエス(Jesus)
- 救い主。我が主。人の子として生まれ、神の子として全世界の人々を救いに来られました。
- トマス (Thomas)
- 別名「ディディモ」。「疑い深いトマス」として知られる(ヨハネ20:24-29)。インドに伝道したと伝えられています。
- ヤコブ(James)
- ゼベダイの子で、ヨハネの兄弟。ペテロと共に主要な使徒の一人であり、ヘロデ・アグリッパ1世によって殉教した(使徒12:1-2)。
- フィリポ(Philip)
- ベトサイダ出身の使徒(ヨハネ1:44)。役職についての具体的な記述はありませんが、ギリシャやフリュギアに伝道したとされています。
- マタイ (Matthew)
- 元税吏。「マタイによる福音書」の著者とされる(マタイ9:9)。
- タダイ (Thaddaeus)
- 別名ユダ・タダイ。使徒の中で役職については特に記述がありませんが、「マタイによる福音書」では「タダイ」として登場します(マタイ10:3)。
- シモン(Simon the Zealot)
- 熱心党のシモン、カナン人のシモンとも呼ばれる(ルカ6:15)。役職についての具体的な記述はありませんが、伝統的に彼はペルシアやエジプトに伝道したとされています。
※使徒たちの具体的な役職や職務の詳細は、必ずし聖書内で明示されているわけではなく、彼らの役割や活動に関する情報は、伝承や歴史的な文献から補完されています。
実際は地べたに座り、身を寄せていた
当時のユダヤの食卓は、横たわって食べていたようです。こんにちのような、机と椅子という文化ではなかったようです。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチによる「最後の晩餐」を見ると、現代でもスタンダードな椅子と机、人との間隔がある食卓として描かれています。
そもそも、レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリア出身です。彼の文化に合わせて絵にしたのでしょう。つまり、当時のイエス・キリストの文化背景は描いていないということ。とはいえ、誤解しないでいただきたいのが、事実に忠実かどうかで評価が変わるというわけではありません。アートというものは、面白いですね。そして、この「最後の晩餐」はやはり素晴らしいに尽きます。一応、参考までにという小話でした。
聖書では、どう書かれている?
イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」 弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。 イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。 シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。 その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、 イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。 ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。 座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。 ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。 ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。
新約聖書 ヨハネによる福音書 13:21-30
イスカリオテのユダ、その後について
そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。 「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。 ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。 ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。 このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。 詩編にはこう書いてあります。 『その住まいは荒れ果てよ、 そこに住む者はいなくなれ。』 また、 『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』
新約聖書 使徒言行録 1:15-20
ユダ、自殺する
そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、 「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。 そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。 祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、 相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。 このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。 主がわたしにお命じになったように、彼らはこの金で陶器職人の畑を買い取った。」
新約聖書 マタイによる福音書 27:3-10
【さいごに】最後の晩餐とは
聖書を読む者としてお伝えしたいのですが、最後の晩餐において、使徒の誰もが「明日イエスは捕まえられ、十字架刑に処せられる」とは思ってもいません。それでも、イエス様がいつもとは違うことも悟っておられたと思います。ですが、イエス様のみが、ご自身が死ぬという預言を悟っておられました。実際、晩餐の後に、ゲッセマネの静かな土地で、イエス様の祈りと嘆きも描かれています。この時の祈りの言葉を読むと、心が締め付けられます・・・。
宗教画の背景には、聖書の内容ありき。聖書を知れば知るほどに、深みが出てきますね。そんなレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、イエス・キリストを後世まで伝える素晴らしい絵画。また、ルネサンス期を代表する傑作でもあるでしょう。当時の時代や、イエス・キリストの時代に想いを馳せながら、じっくりと見つめたい絵ですね。今日も多くの人々を魅了し続けています。
\ 聖書には主に「4つ」の訳があります! /