「お金が必要なので、神様に祈ってロト6を買ってみようかしら……なんちって。」そんな冗談のような本音から、私はあることに気づきました。「ロト6」の“ロト”って、もしかして聖書の人物・ロトから来てるのでは?ということで、考察してみました!
ロト6の「ロト」は何の略?

調べてみると、「ロト6」の“ロト”は、イタリア語の「lotto(くじ)」が語源。英語の「lottery(宝くじ)」にもつながる言葉で、「数字を選ぶくじ」=ロトくじ、という意味でした。つまり、「ロト6」は「1〜43の中から6つの数字を選ぶ宝くじ」ってこと。
……聖書のロトとは関係なかったんです。
聖書にも「くじ」が登場する?
とはいえ、聖書にも「くじ」が出てきます。
- イスラエルの土地分配にくじ(ヨシュア記)
- 罪を犯した人物をあぶり出すためのくじ(ヨシュア記7章)
- 12使徒を補うマッティアの選出(使徒1:26)
そこでは、神の御心を仰ぐために「くじ」が使われていました。
人がくじを引いても、最終的な決定は主による――そう書かれているのがこの御言葉です:
くじは人のふところに投げられるが、そのすべての決定は主による。
旧約聖書 箴言 16:33
くじと占いとはどう違うの?
このあたりでふと疑問が。「じゃあ、占いとくじはどう違うの?」と。どちらも、運命のようなものに結果を委ねているなと、個人的に類似したものを感じました。とはいえ、少し考えれば意味は全く違います。
項目 | くじ | 占い |
---|---|---|
主体 | 神に委ねる | サタンに伺いを立てる |
目的 | 御心を問う | 未来を知り支配したい |
評価 | 旧約では一定の役割あり | 聖書で明確に禁止されている |
占いは、人間の「知りたい・コントロールしたい」という欲を刺激します。そこに働くのは聖霊ではなく、サタンの惑わしです。
ロト6は「くじ」なのか、「占い」なのか
「ロト6も“くじ”なんだから、神様が導いてくれることもあるのでは?」そう思いたくなる気持ち、私もわかります。でも、宝くじは主の導きを求めるものではなく、“一攫千金の欲望”に根ざした偶像的なギャンブルです。もちろん、神様が宝くじを通して語られることが全くないとは言いません。ですがそれは、“くじに当たったかどうか”よりも、その行為の心の動機の中にあるのかもしれません。
神様は、宝くじ以上の「分け前」をくださる方
聖書では、「くじ」とは、分け前、嗣業(inheritance)とも訳されます。
主は、私への嗣業と杯です。あなたは私のくじを守ってくださいます。
旧約聖書 詩篇 16:5
神は私たちを、聖徒たちと共に光の中にある相続の分(klēros)に与る者とされた。
新約聖書 コロサイ 1:12
主は、宝くじの当たり以上に、私たちに永遠の分け前(命・祝福)を用意してくださっているのです。
本当に欲しいのは何?
私は、ロト6に夢を見たがる自分の心をちょっと笑いながら、こう問いかけてみました。「本当に欲しいのは、お金?それとも、神様の導き?」・・・私たちの本当の宝は、数字の当たりではなく、主の御心に当たることなのかもしれませんね。
