【霊的盲人】「何をしてほしいのか」

    そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」

    新約聖書 ルカによる福音書 18:42

    盲人は、人々にたしなめられながらも

    引き下がる事なく

    「私を憐れんで下さい」

    と叫び続けたのです。

    これが信仰の姿です。

    「何をしてほしいのか」

    というイエス様の質問に対して

    「目が見えるようになりたいのです」

    と盲人は答えました。

    この会話はなんと単純で、力強いのでしょう。

    盲人の目が治る事以上に、

    イエス様をいつもはっきり見る為に

    視力を回復して下さい

    という叫びでした。

    目が治る事以上に

    弱い自分を支えて下さるイエス様を

    見る事が出来るように求めたのです。

    これこそが真の救いです。

    イエス様は、私たちにも

    「何をしてほしいのか」

    と問われておられます。

    霊の目が見えるようになりたいと

    求めるべきなのに、

    他の事を

    お願いしてしまっている事はないでしょうか。

    霊の目が開かれて、

    愛と憐れみの神様をはっきり見る事が

    出来るようにと祈り求めていきたいと思います。

    「あなたの信仰があなたを救った」

    とイエスは言われました。

    信仰とは、

    人間の側の誇りでも手柄でもなく、

    ただ神様の憐れみにすがる姿です。

    この盲人は、

    ただ目が見える事のみを

    求めていたのではない事が

    43節の

    「神をほめたたえながらイエスに従った」

    という言葉で分かります。

    そうでなければ、

    今まで自分が出来なかった事を優先するでしょう。

    イエスに従う大きな喜びがあって、

    目が見える見えないというのは、

    そこではもう小さな問題になったのです。

    自分の全てを委ねる事の出来る方に

    付いていく事、

    これがあらゆる問題の本当の解決です。

    盲人は神を見失っていた人生でしたが、

    神に立ち返る事が出来たのです。

    目が見えるようになっただけでなく、

    真の救いにあずかったのです。

    本当の意味で

    目が見えるようになったのです。

    こうしてイエス様に出会い、

    憐れみを求め、目が開かれ

    イエスに従っていった盲人は

    私たちの姿を代表しているのだと思います。

    私たちは、霊的盲人です。

    「主よ、もっと見えるようにして下さい」

    これは今日も必要な祈りです。

    イエス・キリストの生涯をまとめられた御本です。
    聖書が初めての方は、新約聖書から読んでみてくださいね〜
    • URLをコピーしました!
    INDEX