【信仰の薄い者よ】何に縋るのか

    しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

    新約聖書 マタイによる福音書 14:30-31

    ペトロがイエス様の招きに応えて

    湖上を歩いた時のお話です。

    ここでは

    信仰とは何かということが

    記されています。

    まるで、私たちに対して

    語られている言葉のように響きます。

    「信仰の薄い者よ、何故疑ったのか」と。

    クリスチャンはいつも

    自分の信仰の弱さを

    心のどこかで

    感じているのではないでしょうか。

    信じていても、どこかで疑ったり、

    突然苦しみ・悲しみが

    私たちを圧倒するような時、

    神様を信じていても

    この世の荒波に

    溺れそうになる時があります。

    イエス様だけを

    見つめなければならないのに

    荒波や暴風の方に

    圧倒されてしまうことがあります。

    ペトロの失敗は

    イエスから目を離して

    周りの状況を見てしまったことです。

    それで恐くなり、沈みかけたのです。

    その時ペトロは

    「主よ、助けてください」

    と叫んだとあります。

    私たちは

    藁をも縋る思いになる時、

    何かに縋ろうとします。

    この時、何に縋るかが問題です。

    この世においては、

    多くの人は神様以外に頼ろうとします。

    お酒やゲーム、宗教や

    特定の人物や、恋人など。

    星の数だけあります。

    しかし、私たちには

    「助けて下さい」

    と叫べる主がおられます。

    主は、御自身を呼び求める者の

    すぐ傍近くにおられます。

    そして、主は手を伸ばし、

    不信仰という名の

    暗黒の海の中に

    溺れそうになっている

    私たちを

    しっかりと捕まえてくださり、

    ご自分の元へと

    引き寄せてくださいます。

    そこにはもしかしたら、

    教会という舟の中から

    海へと転落した者をも

    舟の中へと、もう一度

    連れ戻してくださる主の働きも

    同時に語られているのではないでしょうか。

    私たちは勿論、

    水の上を歩くことは

    最初から出来ません。

    信仰も同様です。

    自分の力だけで歩くのではありません。

    主の力に頼って、

    主に手を取っていただき、

    主と共に歩く。

    これが信仰です。

    信仰とは

    主の働きに

    自らを委ねていくことです。

    私たちが希望も見出せず

    絶望に立たされる時こそ、

    私たちのもとに近づいてくださり、

    私たちを招いてくださる主を

    いつも見上げて歩んでいきたいと思います。

    \私が信仰の道から逸れてしまい、また立ち戻る話/

    あわせて読みたい
    【バプテスマ後の試練】聖書から離れ、荒野にいた体験談 私はバプテスマ後、半年間聖書から離れてしまいました。半年間の間にいろいろありました。引っ越し2回、仕事、物欲と見栄、お金への執着など、清貧かつ愛ある品性から...

    \当サイト利用テーマ&レンタルサーバーはこちら/

    WordPressテーマ【SWELL】

    WordPressやHTMLの知識がほぼない私でも、直感的につくることができました。

    SWELL サーバー

    エックスサーバー

    過去使用した他社2つと比較すると、エックスサーバーはコスパが圧倒的にお得です。

    • URLをコピーしました!
    INDEX